平井山付城 : 三木城攻略のため築かれた秀吉本陣跡

平井山付城(平井山ノ上付城)跡は、三木合戦にて織田方が三木城周辺に築いた付城(つけじろ)の1つで最も大きく、秀吉の本陣と伝わる場所。付城は40余り築かれたという。天正6年(1578年)7月、神吉城を落とした織田信忠は平井山に着陣し付城を構築、翌月秀吉が着陣した。秀吉はここで茶湯の名人 津田宗及(つだそうぎゅう)を招き茶会を開いている。南西に三木城を眺めることが出来る高台や、多数の兵を駐屯できる雛壇曲輪などの遺構が残る。平成25年3月に三木城跡とともに国史跡指定されたことに伴い、周辺に説明板や縄張図、ノボリや簡易展望台などが設置された。

平井山付城<基本データ>
●名称: 平井山ノ上付城
●所在: 兵庫県三木市(マップ
●築主: 織田信忠
●築城: 1578年(天保6年)
●遺構: 曲輪
●関連: 三木市HP

<訪問記>

平井山の上付城跡は、三木城跡から北東へ約3kmの地点にある。三木合戦の陣中で病没した竹中半兵衛の墓所の、更に奥にあたる。

hiraiyama-9430竹中半兵衛の墓所と平井山の上付城跡との分かれ道。右側に案内板が立っている。右へ進めば竹中半兵衛の墓へ、まっすぐ進めば秀吉本陣跡。正面に見える山のさらに向こう側が本陣跡となる。

hiraiyama-9430a-94845分ほど進むとキレイに整備された階段とともに、大きな「秀吉本陣跡」の説明板が見えてくる。ここが平井山の上付城跡の入り口にあたるようだ。看板横のポストに入っている縄張図を一部いただくことを忘れないよう。

hiraiyama-9431秀吉本陣跡 説明板。平成25年3月に国史跡に指定された後に作られた、とてもキレイで分かりやすい説明板だ。現在地は地図の左上で、山全体にかなり大きく構築されているようだ。

hiraiyama-9433階段をあがって、山中へ。愛宕社を右へ折れ、先へ進む。

hiraiyama-9437しばらく進むと、道の右側が段々畑のように細長い削平地が折り重なったような場所へ到達する(枯れ葉が積もっていて少し分かりづらい)。簡易な案内板が木にくくりつけてある。段状の平坦地群、とあり、兵が駐屯できるように斜面を削ったり土を盛ったりして複数の平坦地を築いた跡、という。

hiraiyama-9439途中、がけ崩れを起こしているのか、急な斜面が突如現れる場所もある。トラロープが張ってあるが要注意。

hiraiyama-9442更に進むと、一直線のわりと広い道へ出る。「太閤道」と呼ばれ、秀吉ゆかりの道であったとのこと。本陣跡なので秀吉はここに居たのだが、この道がどう「ゆかり」なのだろうか。

hiraiyama-9480奥に進むとかなり広い曲輪へ出た。どうやらここが主郭のようだ。

hiraiyama-9443主郭の内部を進む。かなり木が生えてはいるが、主郭中央部には土が盛ってあり、かなり広い平坦部になっているようだ。奥に銀色の建造物が見える。

hiraiyama-9445主郭の一番奥には、羽柴秀吉本陣のノボリとともに、アルミパイプで建てられた簡易展望台が建っていた。ここから、往時の秀吉のごとく、三木城を見下ろす事ができるようだ。主郭の周囲は低いが土塁で囲ってあるのも分かる。展望台はアルミで軽そうなので、登ってる最中に体重をかけると倒れてしまわないか心配になりながら、ゆっくり登る。

hiraiyama-9450簡易展望台の上からの眺望。三木の街を一望だ。ただ、結構松や木が高く生えていて、眺望はあまり楽しめなかったのが正直なところ。木の隙間を狙って眺望を撮影。

hiraiyama-9447展望台の上に貼ってあった、三木城跡の位置など。赤線で囲まれたエリアが当時の三木城跡、現在の三木城跡(本丸跡)は一番右端の「上の丸公園」、その左の図書館は二ノ丸跡にあたる。この写真を元に、1枚上の眺望写真を見る。松の木のすぐ左に写真に写る鉛筆みたいな形の市役所が見える。手前の横長の団地などから想定すると、図書館および上の丸公園は写真の中央に横長に写る緑の部分のようだ。まさに三木城が丸見えだ。

hiraiyama-9454主郭からさらに少し奥へ進むと、櫓台状遺構と記された、土盛があった。この上に櫓が建っていのだろうか。

hiraiyama-9456道は更に奥へと進む。時折、「順路←」のような案内板が木にくくりつけてあるので迷うことは余り無いが、縄張図は必要。

hiraiyama-9458ここにも土を盛り土塁状に形成された曲輪があった。

hiraiyama-9459突き当たりへ。左に進めば縄張り図に曲輪IIと描かれた最上部へ進むことができるが、行ってみたものの道があまり整備されていなく、また最上部への登り口も見当たらなかったため戻ってきた。右は整備が進んでいて遺構が見やすかったので右ルートを紹介。

hiraiyama-9464広いエリアに出る。道が右と左にまた分かれているが、右は簡易展望台のあった主郭へ直接戻るルート、左は伝大手口跡へ行くルートとなる。左へ進む。

hiraiyama-9465ここにも段状の平坦地群があった。往時はどれぐらいの密度で兵が駐屯させられていたのだろうか。

hiraiyama-9468「大手口(推定)」跡。地面が1mほど深く掘られ、虎口を形成している。横の案内板によると、与呂木という麓の集落から付城へあがる登城道で、ここが往時の大手道と想定されるようだ。

hiraiyama-9470大手口内部へ。段状の平坦地群は枯葉が積もって分かりづらくなっているが、ここは高さがある分はっきりと分かる遺構だ。往時はこの上に木の盾や塀を巡らせ、守備兵が守っていたのだろう。別所方が起死回生を狙った平井山の合戦ではここまで戦いが及んだのだろうか。

hiraiyama-9475主郭へ戻るルートへ。植林が高く生い茂った中を進む。まるでトトロの森だ。

hiraiyama-9478主郭付近に戻ってくると、案内の矢印が木にくくりつけてあるのだが、このように右や左にたくさん付けられている場所があり、一見どっちに進めばいいのか分からなくなった。正解は、どっちに進んでも遺構がある。

hiraiyama-9485下山して三木城方面へ。奥に見える一番高い山が平井山ノ上付城跡。丸見えじゃないか。なお写真では分かりづらいが、目視では、主郭に立っていたノボリ(羽柴秀吉本陣)がはためているのが見えた。三木城の兵士たちはあそこに大軍が来ているのが目に見えるので、気が気じゃなかっただろう。

三木合戦ゆかりの地めぐりということで、三木城跡、竹中半兵衛の墓、そしてここ平井山秀吉本陣とセットでめぐりたいところ。

訪問時期:2014年4月
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