吉田郡山城 [後編] 旧本城へは岩肌むき出し箇所を直登り

吉田郡山城 [中編2] の続きです。本丸の周囲に広がる多数の曲輪をぐるっと見て回った。釣井之壇上に残る数mの石垣に感動。これで本丸周辺はほぼ見終わったので、パンフ記載の登山ルートに従い南へ下る。尾崎の丸、旧本城跡、山麓の清神社など、まだ見どころはある。

<訪問記>

koriyama-0123御蔵屋敷跡の南西にある、多分城内で一番広いんじゃなかろうかと思うぐらい地図ではデカく描かれている勢溜壇跡(せだまりのだん)。

koriyama-0124勢溜の壇跡 説明板。本丸守護のための兵が滞在していたとか。勢溜(せだまり)とは、その字の通り勢いが溜まる場所という意味で、ネットで調べると出雲大社の大鳥居の前の広場のこととか出てくるが、そのようにたくさんの人が集まって勢いづく場所、という意味合いのようだ。なるほど兵がたくさん居てエイエイオーとかやってる場面が想像される。

koriyama-0126勢溜の壇はかなり奥の方まで曲輪が細なが~く伸びている。奥まで行けば眺望がよい場所があったようだが未訪問。

koriyama-0131勢溜の壇跡の南側には、尾崎丸という郭がある。地図を見ると、尾崎丸の奥は旧本城の近くまで伸びているようだ。

koriyama-0133尾崎丸入ってすぐのところに曲輪を分断するように堀切が横断していた。今は1mほどの小さな段差だが往時は数mの深さがある薬研堀のような形だったのだろう。堀切を渡って尾崎丸の奥へ向かうこともできるが、一旦登城ルートへ戻る。

koriyama-0136登城ルートをしばらく進むと、山麓にある郡山公園と清神社を通り下山するルートと、旧本城へ向かうルートとに分かれる。ちゃちゃっと旧本城へ向かおう。旧本城へはここから1本道だが500mほどありそうだ。只今13:57。

koriyama-0141こんな感じで植林された林の中を尾根に沿ってどんどん降りていく。行きは良い良い、帰りはしんどいコース…koriyama-0142途中、地図にも載っている通り、尾根を分断する堀切があった。今はほぼ埋まっているが昔はもっとガッツリ掘られて真ん中に土橋が通っているのが分かりやすい形だったのだろうか。

koriyama-0144旧本城 案内板の新旧が揃い立ち。同じデザインのまま、案内板が朽ちる前に取り替えているのが分かる。安芸高田市GJ。しかし、道の向こうはかなり急峻な感じ…

koriyama-0145と思ったらこの急峻な崖の向こう側が旧本城本丸のようで、さすがにこれを直登りするわけではなく、回りこむルートのようだ。崖の向こう側に登りやすい登山道があるのだろう。よかった。

koriyama-0147案内板にしたがって崖の向こう側へ。岩肌が露出している。どこが道かかなり分かりづらくなってきたが、まあ右側の岩肌に沿った道がルートだろう、と右奥へ進んでいくも敢え無く行き止まり。で、道らしいところを探しながら引き返してきたが…

koriyama-0147a-0159やはりこの岩肌ぐらいしか他に通れそうな場所はない。この岩肌もあまり通れそうな感じではないが… 試しに少し登ってみる。まさに手足を岩にかけてロッククライムする感じ。

koriyama-0148半分ほど登ってみると、右上の方に旧本城← という風に書いてありそう〜な感じの案内板が見えた!このルートで合ってたのか。コレは分かりにくい。

koriyama-0149a-0157何とか這いつくばって岩肌の上へ。「旧本城 本丸 ←」という淡々とした案内板の先に、道が続く。

koriyama-0150案内板に従ってぐるっと回り込むように進むと、先ほど見た崖の真上と思われる削平地に出た。どうやらここが旧本城本丸のようだ。ある程度は整備されているが、向こうの本丸よりも草木が多く地面も葉っぱや枝が積もり積もっている。あまり来る人も居ない感じ。只今14:05。分かれ道から10分弱もあれば来れるようだ。奥に説明板が見える。

koriyama-0152旧本城 説明板。建武の新政(鎌倉幕府が滅びて室町幕府が出来るまで行われていた後醍醐天皇の政治期間。足利尊氏、楠木正成、新田義貞など。太平記で有名)。の頃に築城された旧 郡山城とのことだ。本丸(ここ)、二ノ丸、三の丸が一列に直線的につながっているという。本丸には櫓台もある、と書いてある。

koriyama-0153本丸の端っこにあった奥の盛土部分が説明板にあった櫓台か。櫓台付近は木々も少し切られているのか眺望がありそうだ。櫓台へ。

koriyama-0154a-0151旧本城 本丸櫓台から見た安芸高田市の様子。パンフの説明によると、正面の山が「青山城跡」、その右奥が「三井山城跡」のようだ。どちらも尼子氏がここ郡山城を攻めた時に築かれた陣城で、ここにも多数の曲輪群が全山に渡り築かれている、とある。右の方に見える赤い看板はyoumeタウン。

旧本城の二ノ丸方面にも向かってみたがかなり大変な草ぼうぼう&枝葉落ちまくりで未整備だったので時間の問題もあり(広島駅へ帰るバスは1時間に1本)これ以上奥に行くのは断念して下山。途中、展望台や郡山公園、明治天皇聖徳碑などを見ながら、どんどん降りていく。

koriyama-0160a-0177山麓の清神社へ。きよじんじゃ ではなく すがじんじゃ と読む。四脚門のような立派な控柱がついた堂々たる木造の大鳥居をくぐって、境内へ。(郡山城跡から降りて来るといきなり本殿前→石段→大鳥居の順になるが写真は逆の通常参拝ルートで掲載)

koriyama-0161a-0174大鳥居の奥の石段上から、参道沿いの桜を見る。訪問時は4月前半、まさに桜日和。ちなみに、城跡によく植えられている桜の木だが、吉田郡山城跡には一切なかった。男前。

koriyama-0172清神社 本殿。軒唐破風と千鳥破風を持つ堂々と反り返った屋根が大迫力。かなり歴史のありそうな社殿だ。

koriyama-0173清神社 由緒書き。日本書紀に出てくるヤマタノオロチを退治した場所がここではと言われているとか。立派な本殿は元禄7年(1694年)輝元公の建立! 元就公寄進の刀剣や、輝元公寄進の花瓶なども伝わるという。由緒書きには(もちろん)書いてないが、広島のサッカーチーム サンフレッチェ広島 の面々が開幕前に必勝祈願に訪れるという。阪神タイガースが虎繋がりで信貴山を訪れるのと同じか(張子の虎で有名)。

吉田郡山城。公共交通で行くにはちと厳しいロケーションではあるが、それに見合うだけの堂々たる規模の山城。石垣は破壊されてしまっているが、その破壊されっぷりがそのまま残っているところや、大堀切や広い曲輪も見応え十分。整備の行き届いた城跡という印象で、変に模擬建造物などを建てていない潔さも素晴らしい。このまま貴重な歴史遺産の維持に頑張って頂きたい!

訪問時期:2014年4月
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