吉田郡山城 [中編2] 釣井之壇の上に残る数mの現存石垣は必見

吉田郡山城 [中編] の続きです。元就公の墓所から山道を歩くこと約20分。到達した三の丸下通路沿いの徹底的に破壊し尽くされた石垣跡を見てから、いよいよ三の丸〜二ノ丸〜本丸へと上がってみる。

<訪問記>

koriyama-0055三の丸へ。坂道を上がると、目の前に小さな石積みが残っていた。元々は大きな壁になっていて、虎口を形成していたのだろう。他はほとんど元の状態がわからないぐらい破壊されているのに、ここだけちょっとだけ残っているのは何故だろう? 奥の方には土塁も見える。

koriyama-0056a-0089三の丸虎口の石積みをアップで。弧を描くように積上げられているのが特徴。そこそこ整形されて綺麗に積まれている。この石積みもかなりの見所だと思うのでこれについてわかっていること(元の形だとか毛利流石積み手法についてとか)を看板でも建てて説明してくれれば〜と思う。

koriyama-0059もう1段上がって二の丸へ。ここが最上段になり、ここから奥のちょっと盛り上がったところが本丸、更にその奥にもう1段盛り上がったところが櫓台(天守台)のようだ。二ノ丸は広くて日当たりもよく、ベンチがあるのでここでしばし休憩してお昼ごはんを頂く。

koriyama-0060二ノ丸跡 説明板。二ノ丸南側には高さ3mの石垣が残り、とあり実際に見に行ってみたが先ほどの三の丸下通路の崩壊した石垣のような残骸しか無かった(と思う)。もしかしたら見逃した可能性あり。しかしパンフや説明板等にも一切その”高さ3mの石垣”の写真が載っていない。うーむ。説明板最後に書いてある三の丸への幅1.5mの通路や礎石というのは先ほど見た弧を描く石垣の跡のことだろう。あそこには石垣の壁だけでなく門あるいは塀があったのかもとのこと。

koriyama-0061a-0084二ノ丸奥にある本丸へ向かう。結構広い ように見えるのは超広角で撮ったからかもしれない。資料によると先ほどのベンチがあった二ノ丸よりここ本丸のほうが広いとのこと。

koriyama-0063本丸跡 説明板。35mx35m(約1200平米)ということで、バスケットボールコートが2つある体育館ぐらいの広さと思ってもらえれば。

koriyama-0065奥の最上段、櫓台あるいは天守台へ上ってみる。確かに崩壊が激しいのか、角は削れて丸くなってしまっている。建物の礎石だったか石塁だったかの石がゴロゴロしている。よく見るとランダムに落ちているのではなく列を成しているので、石垣の壁だったか。一番奥には「御本丸跡」という石碑が1つポツーンと立つ。

koriyama-0067櫓台の上から本丸と二ノ丸を見下ろす。かなりの広さがある。破壊された山城跡という郡山城跡だが、破壊された感は残しつつ、曲輪の中に大量に生えていたであろう木々は綺麗に伐採されていて、よく整備が行き届いている感が伝わる。安芸高田市GJ。

koriyama-0094本丸一帯には中央の曲輪群だけでなく、三の丸の周囲に尾根にそって放射状に伸びる細長い曲輪がいくつも造られていた。それらを順に見て廻ろう。三の丸下通路の崩壊石垣の奥へ進み、反時計回りにぐるっと廻るコースをたどる。石垣跡を越えると、本丸や二の丸ほどは綺麗に整備されていないTHE山城跡な腐葉土っぽい土の地面となる。更に奥へ。

koriyama-0097まずは厩之壇跡(うまやのだんあと)。地図を見るとこの奥400mぐらいまで小さな曲輪がいくつも連なって形成されていたようだが、南隣の曲輪が馬場と呼ばれていたことから、ここには厩舎(きゅうしゃ=馬を飼う小屋)があったものと思われるとのこと。今いるこの曲輪が一番広い(410平米)。

koriyama-0099 厩之壇跡の一番本丸側の曲輪から山道が北へ抜けており、それを通って次の壇へ。

koriyama-0101次の壇へ到着。ここは「釜屋之壇」跡。ちゃんと統一されたフォーマットで説明板がきちんと設置してあるところが嬉しい。しかも設置から20年ほど建っているが城跡でよくある「看板はあるけど壊れたり消えたりして読めない」なんてことはなく、しかも汚れも少ない。きちんと定期的に通路路や看板の掃除をしに来ているのだろう。素晴らしい!

koriyama-0102釜屋之壇跡 説明板。地図によるとこの奥には大きな堀切を経て羽子の丸と呼ばれる出郭的な場所もあるようだ。釜屋之壇はその名の通りここで食事を作ったりしていたのだろうか。

koriyama-0104釜屋之壇からは奥(右)に進めば羽子の丸、前に進めば次の壇である姫之丸壇へとつながる。ちゃんと案内板があるのも嬉しい。郡山城内でよく見るこの案内板、毛利らしく(?) 三本の矢で方向を指し示しているところも◯。ちなみに「姫丸之壇」ではなく「姫之丸壇」。ここだけ之の位置が違う(案内板を作った人もついつい間違えたようだ)。

koriyama-0105姫之丸壇へは高度差があるようで、釜屋之壇を出てすぐ急な坂を降りることに。木で階段を作ってあるので登り降り辛いことはない。

koriyama-0106階段を降りて振り返ると、本丸は遥か上。結構降りてきたようだ。ここを直登りするのはかなり厳しい角度。

koriyama-0107姫之丸壇へ到着。例の百万一心の石が埋められた伝説が残る曲輪だ。

koriyama-0108姫之丸壇跡 説明板。北に3つの曲輪が繋がり、更に北奥にも三段があるが、手前の三段には石垣も残るという。また例の百万一心石が埋められたのは「この壇に基礎を置いた本丸の石垣中」とある。先ほど見た急な角度の本丸斜面にここから上まで石垣が積上げられていたのだろうか。

koriyama-0109姫之丸壇の3つの曲輪を歩きまわってみたが説明板にあった「一部に残る石垣」は見つけられなかった。もしかして、これ? あるいは壇の上から周囲を見下さないといけなかったのかもしれない。石垣が残る場合は説明板に簡易図でいいので「このへん」あるいは写真で「これ」と分かるように図示していただけると大変ありがたく。(探すのも楽しさの1つではあるけれど)

koriyama-0111 姫之丸壇跡から更に進むと本丸東側まで戻ってきた。釣井之壇跡。その名の通り、井戸があるようだ。

koriyama-0112釣井之壇跡 説明板。かなり奥まで伸びる細長い曲輪のようだ。直径2.5mの石組井戸があるが土で埋もれてしまって今は水がないとのこと。

koriyama-0115看板の手前に石組井戸があった。最近作ったと思われるキレイな木組の枠と金網がしてあって肝心の中がよく見えない。落ちたら大変なので仕方ないが、せっかくの石組井戸、内側の石組だけでも見たいもの。残念。

koriyama-0117釣井之壇の井戸の上、本丸側の斜面を見上げると…上の方に石積みが少し残っているところを発見。僅か数m、三段ほどの石積みだが、これは貴重だ! 訪問時は井戸の上を是非みていただきたい。

koriyama-0118現存石積みの近くまで斜面を登ると、奥に細長い釣井之壇も見渡せる。

釣井之壇まで来ると先ほど登ってきた御蔵屋敷跡はすぐそこ。これで本丸周囲の曲輪は見終わったので、パンフ記載の登城ルートに沿って南へ進み、尾崎丸や旧本城などを見ていこう。

>> 吉田郡山城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年4月
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