米子城 [前編] 石仏を見ながらつづら折れの山道を登る

戦国末期、毛利家臣の吉川広家(“毛利両川”の吉川元春の子)が西伯耆を所領し築き始めた米子城は、7割ほど完成した時点で関ヶ原合戦が起こりゴタゴタの末 岩国へ転封、代わった中村一忠が築城を続け、1602年に完成させた。五重の天守と四重の副天守を持つ壮大な山城だったが、明治になり売却され建物は破却された。山上には本丸・内膳丸の2つの曲輪を中心に高石垣を始めとする見事な石垣遺構が随所に残り、山麓にも二ノ丸の枡形、移築長屋門等が一部現存する。

米子城<基本データ>
●名称: 米子城
●所在: 鳥取県米子市(マップ
●築城: 吉川広家 / 中村一忠
●竣工: 1602年
●遺構: 石垣、曲輪、井戸、長屋門
●情報: 米子市HP

米子城跡 本丸前の枡形虎口で360°パノラマを作成しました→コチラ

<訪問記>

米子城跡は、JR米子駅から歩いて20分ほどの場所にある湊山と言う山一帯に残る。山上への登山道は何本かあるのだが、今回は山麓の二ノ丸跡に残る枡形がある東側の登山道からあがることにしよう。まずは枡形前まで。時刻は既に17時過ぎ。日が暮れる前に登って、石垣をめいっぱい愛でて、降りる!

yonago-8287a-8290山麓 二ノ丸跡の枡形前。看板等が立っているのでまずは見てみよう。

yonago-8288米子城跡 湊山公園案内図。山頂の城跡へは5本の登城道があるようだが、今回は東からの登山道(右側が北)から登る。

yonago-8289米子城跡 説明板。平成19年の看板だが汚れきっている感じ。米子城は向かいの小山に応仁の乱の頃に当時の山名氏によって建てられた砦が最初と書かれている。今の場所に城を建てたのは戦国時代末期に当地を抑えていた毛利氏配下の吉川広家公。毛利両川の吉川元春の息子だ。天守は五重の大天守と四重の副天守の2つが並んで建っていたが、吉川時代は四重の方が天守だったようだ。ガイド氏の話によると、吉川氏時代に四重の天守を建築したが、その後入った中村一忠が負けじと隣に五重の大天守を建てたとか。

yonago-8291山麓の二の丸跡 枡形内へ。枡形を構成する石垣がソックリそのまま残っていた。隣が野球場で、枡形内部はそこで練習する学生の自転車置場になっていた。

yonago-8292枡形の上へ。石垣は野面積みだが隅石はきっちり切り揃えられた算木積み。巨木を避けるように石垣が建てられていることから、往時からこの巨木(当時は普通の木だったか)があったものと思われる。

yonago-8293枡形を上がると長屋門がある。看板によると、旧 小原家長屋門で、幕末の米子城主 荒尾家の家臣であり、江戸時代中期の建築という。長屋門なので、門だけでなく2階建ての建物になっている。米子に残る唯一の武家屋敷とのこと。

yonago-8296長屋門の奥からも山上へあがることができるが、今回は東側の登城道から上がるため一旦戻る。階段の上から見下ろした枡形の様子。枡形にしてはかなり広い(敵を固めて襲うには広すぎる)のは、ガイド氏によると、江戸時代の枡形は防御施設というよりは城の権威を示すための装飾的な意味合いだったという。

yonago-8297a-8417枡形を構成する石材を見てみると、矢穴跡がしっかり残る石も積上げられていた。

yonago-8300枡形を出て、登城道へ。ここから山道を上がる。

yonago-8303山道沿いは四国八十八ヶ所巡りが体験できる石仏通りとなっている。大正時代に整備されたとのこと。石仏を拝みながら、どんどん上がっていく。

yonago-8305しばらく石段を上がると、土ベースの山道となる。石仏はまだまだ続く。

yonago-8307途中いろいろ道が分かれるが、その都度このように看板が指し示してくれるのでどんどん上がっていこう。

yonago-8308このひときわ大きな石仏を過ぎたら、城跡はもうすぐ。

yonago-8309最後の石段を上がる。ぐるっと回り込めばいよいよ城跡へ。

yonago-8311石段の先に立派な石垣が見えてくる! 疲れもふっとぶ一瞬。ここまで山麓から約10分。

yonago-8312この石垣の迫力! 訪れるものを圧倒する。

yonago-8316石垣の間を通りながらどんどん上へ上がっていく。野面積みの荒々しい石垣(左側)もあれば、打込ハギの整然と積まれた高石垣(右側)もある。

yonago-8317一段と高い石垣の櫓台へ。こちらは副天守台。整然と積まれた打込ハギ。隅石の角がきっちり削られて尖っている。熊本城のような反り立つ武者返し石垣。この副天守の向こう側には大天守があるのだが、まだ見えない。

yonago-8318今は石垣の向こうに空が見えているが往時は石垣の上には櫓や土塀が建っていただろうから、ここから空は見えず、要塞の中という感じだっただろう。

yonago-8319当時の姿に想いを馳せながら石段を上がっていくと、鉄御門(くろがねごもん)跡へ。両天守のある本丸へ続く最後の門は、火矢で燃え落とされることを防ぐために鉄板で覆われた鉄の門だったそうだ。2階建ての櫓門とのこと。

yonago-8319a-8425鉄御門を越えた枡形内には、矢穴跡が残る巨石が置かれていた。ガイド氏曰く、天守に続く重要な虎口内に矢穴が残る石がそのまま置かれているのは解せないとのこと。鏡石的なイメージだろうか。

yonago-8320枡形を構成する櫓台の上にあがってみると、遥か向こうに大山が見える。

>> 米子城 [中編] へ続く。<<
>> 米子城跡 360°パノラマ を見る。<<

訪問時期:2014年3月
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