郡上八幡城 [後編] 昭和8年造の木造天守は見応え十分

郡上八幡城 [前編] からの続きです。中腹の駐車場で車を降りて、そこから七曲りな登城道を上がって城域へ。立派な石垣がバンバン見られるが、恐らく端の方で見られる苔むしまくった石垣意外のよく見える位置にあるキレイな石垣が後年の積み直しor復元かと思われる。壊れっぱなしより積み直してもらったほうが断然良い。そしていよいよ天守内へ。

<訪問記>

gujo8man-7972a-8009附櫓の櫓台は中が空洞になっていて、階段をあがって天守内1Fへ。他の天守でもよく石垣の中から天守内へ入るパターンはよくある。が復興天守なので往時の八幡城もこうだったのかは不明。

gujo8man-7980天守1Fには定番の刀剣・甲冑・城主ゆかりの品々が展示されている。こちらは何と2代目八幡城主 遠藤慶隆が姉川の戦いに出陣した際に着用したという伝承のある具足だとか。すごい!  紺糸威二枚胴具足(こんいとおどし/にまいどう/ぐそく)。

gujo8man-7974そして関が原で家康公が使ったといわれる”葵の御紋”入り火鉢を、江戸時代の城主である青山氏が拝領したといわれる代物。二重伝承。

郡上八幡城 八幡城の戦い 絵図八幡城の戦いを描いた大きな絵図も展示されていた。今の八幡城の姿と見比べてみると、中央の門が最初に残っていた石段で、石垣伝いに上にあがり、左上の門から入って天守を見た、というルートか。クリックして拡大。

gujo8man-7983郡上市は”福よせ雛”というひな祭りが有名とのこと。普通のお雛様ではなく、雛人形たちがいろんなことに挑戦している姿を大人数で模しているところが面白い。城内にはいくつかの”福よせ雛”が飾ってあって、これはその1つ「書き初め」。一見ただの習字中の雛人形かと思いきや、書いてる内容がメチャクチャで笑える。誇大妄想に二束三文だって…

gujo8man-7985a-7988実際の展示物は来訪時にしっかり見ていただくとして、やはり見所は昭和8年造の木造天守そのもの。中は一風変わった構造になっており、1階2階は吹き抜けで、中央に階段が伸びている。中央を貫く4本の心柱は結構太い。

gujo8man-7986a-80073階部分は周囲に廊下がつけられていて、外を見る事もできる。でもどうせなら最上階で見たい。よくある日本の名城写真がずらりと並べてある。木造建築の雰囲気にあわせた黄色いライトもイイ感じ(白い蛍光灯だとガッカリ)。

gujo8man-7987a-8003復興とはいえ木造再建のため、太い梁もあちこちで見られる。昭和8年(1933年)といえば、調べてみると日本が国際連盟を脱退したキナ臭い時代。よくぞ観光のためにここまで立派な木造建築を建てたものだと感心。

gujo8man-7995最上階の展望台フロアへ。層塔型のため廻縁はなく、窓から外を見る。階段の上に置かれている中央の木箱は「日本一」と言う文字が木の中から出てきた?という伝承に関するものだった。

gujo8man-7996a-7991郡上八幡城天守から見下ろした眺望。写真に撮ると城の周囲が雲海っぽく写っていて幻想的な感じだが、実際は真下の本丸以外は真っ白で何も見えず実にガッカリした感じ。天守前の曲がったように見えた土塀の中には特に何もないが、土塀に突っ込む形で切株が見える。

gujo8man-8015天守を降りる。少し斜めから天守を見上げる。やはり手前の土塀は曲がっている。。。天守台の形と実際に再建した天守の形がずれたから、隙間を埋めるために土塀を立てたら、角度の関係で曲がったように見えるということだろうか。先ほど上から見た土塀に突っ込む切株の外側は、石垣に突っ込む根っこだった。

gujo8man-8018本丸を出て料金所の裏側へ行ってみると、向かいの山が東殿山城跡だという看板が立っていた。東殿山城は遠藤氏が郡上八幡城を建てる前に郡上一円を支配していた東氏の居城だったという。どれが東殿山城跡かは霧で分からず。

gujo8man-8020本丸下まで降りてきたところで、先ほどより多少霧が晴れた感じがしたので定番ショットをもう1枚。

gujo8man-8024もう少し広角でぐいーんと撮ってみる。ちなみにこのまま本丸石垣に沿って左前に進んでいくと天守の裏側に出られたのだが、未訪問。

gujo8man-8033もう1つ下の曲輪へ降りてきて隅櫓と天守のツーショットを見る。この角度の姿もなかなかのものだが、夏場は中央の大木が茂って邪魔になるだろう。手前の庭っぽい雰囲気の場所は「八幡城庭園」、そこには350kgの巨石 通称「力石」がある。りきいし、ではなく、ちからいし。詳細は郡上八幡城HPの伝説ページを参照。

gujo8man-8045a-8051城域を出て、山麓へ。先ほどスタートした駐車場の横は大きな広場「城山公園」になっていて、銅像が立っている。

gujo8man-8045b広場の隅には八幡城本丸跡という碑が建っていた。ん?本丸。。。? と思って調べてみると、郡上八幡観光協会HPに以下のような記載を発見→「宝暦9年(1759)に丹後の宮津から転封した青山幸道は城下の殿町に居館を築き、旧二の丸は本丸、旧本丸は桜の丸、松の丸に改められました」平和な時代にもはや山上の城は不要で、実質の政治の中心地だったここ山麓の二ノ丸を本丸としたということか。なるほど。

gujo8man-8046二ノ丸あらため本丸跡に建つ 山内一豊公と妻千代の像。司馬遼太郎”功名が辻”で夫のために妻がヘソクリで名馬を買い与える有名なシーン。大河ドラマ放映の頃(2006年)に建てられたとか。なぜここに功名が辻かというと、千代の出身がここ郡上八幡(しかも初代城主 遠藤盛数の娘)とする史料が伝わることから。などといった説明が横の看板に書いてあった。

gujo8man-8049二ノ丸改め本丸跡にはもう1つ、土霊水という井戸跡が残っていた。垣根で囲われているので井戸自体は殆ど見えないのだが(看板の下にちょっとだけ井戸上の鉄板が見える)、看板によると遠藤氏の後に城主となり天守等を建てた稲葉氏が、ここに御殿を構えて井戸を掘ったという。

gujo8man-8057本丸跡から歩いて城下町へ。城下町も古い街並が残る情緒あふれる雰囲気だったが、雨のためあまり散策せず。城下町からの登城は、ここ安養寺の横からになる。目印の史跡八幡城登口 石碑。

復興天守とはいえ、昭和8年造の木造天守で見応えは十分。これはこれである意味ひとつの文化財ではなかろうか。郡上八幡城、個人的には結構好きです。

訪問時期:2014年3月
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