岐阜城 [後編] 悪天時の見所は…ルイスフロイス書簡

岐阜城 [前編] の続きです。ロープウェイで山頂へ上がり、断層がむき出しの岩肌を見ながら天守を目指す。斎藤道三と織田信長が拠点とした岐阜城も、関ヶ原後に廃城となり資材は加納城築城のために移されてしまったため、目に見えるところにはわずかにしか遺構が残っていない。

<訪問記>

gifu-7874いよいよ天守へ…というところだが、岐阜城の歴史その3が立っていたのでお勉強。信長の入城から長男信忠へ、そして本能寺の4年後には秀吉により三法師(織田秀信)が城主となるも、関ヶ原の前哨戦で敗れて開城するまでがざっくりと書かれている。

gifu-7877天守を見上げる。天守の真横のスペースがかなり狭く、こうして見上げる形でしかここからは見られない。石垣はガイド氏によると復興天守再建時に積み直したものだが、下の方には一部現存していた石垣も残るという。上の方と下の方で明らかに雰囲気が異なるのはそういうことか。

gifu-7875天守台の下に、もう1段石垣があった。ガイド氏によるとこれは積まれたまま残っていた石垣の一部と言う。奥の方で崩壊が進んでいるため修復したいが険しく平坦地が極めて少ない山の上にあるためどうしようもないとのこと。

gifu-7882a-7902岐阜城天守を正面から見る。これぐらい下がらないと全体像が見えづらいが、あいにくの雨と霧で下がり過ぎると真っ白になってしまう。

gifu-7881岐阜城天守への入口横に掲げられていた、岐阜城の由来 説明板。昭和31年に建てられたこの復興天守だが、平成9年に大改修を行っているとか。この大改修工事で「信長の頃の壮麗な天守閣の姿を再現しました」と書いてあるが、それはキレイに造り直しましたというだけの意味なのか、いやいや加納城の天守(岐阜城天守を移築したと伝承がある)図面を参考に出来るだけ当時の外観に変更したという意味なのか、分からない。その辺が知りたいのに!

gifu-7883aいざ天守の中へ。鉄筋コンクリート造りのため中はこんな感じ。天井に梁のような飛び出た部分が中央から放射状に伸びていて、普通のコンクリートビルとはかなり趣が違う。これで内装をコンクリートむき出しではなく焼き板でも貼れば、それっぽくなりそうではある。天井に掲げられた暖簾? の紋は、右側が信長の「織田五瓜(ごか)」、左側が道三の「道三波」。

gifu-7884城内には刀剣や甲冑など色々な文化財が展示されていたが、いくつか珍しいものを。まずは「戦災刀」。昭和20年の米軍による無差別爆撃で焼損した刀という。鎌倉時代〜江戸時代の作。鍛錬に鍛錬を重ねた鋼だと爆撃をも乗り越えて今の世に伝わる!

gifu-7888岐阜城跡から出土した鬼瓦。

gifu-7889同じく出土した金箔が貼られた三巴紋のある軒丸瓦。凸部ではなく凹部に金箔が貼られているのは安土城と同じだ。

gifu-7890a-7901階段をあがると目の前に信長の木造と甲冑がお出迎え。

gifu-7892江戸時代に作られた地球儀。ほとんど現在と変わらない形が描かれているのに驚き。

gifu-7894フロイス新譜書簡訳文。あのルイス・フロイスの日本史(と思われる)の一部本文とその訳文のコピーが貼ってあった。実際はもっと左の方までずらーっと貼ってある。当時の岐阜の街の様子や信長家臣、信長との謁見の様子がとても細かく書かれている。クリックして拡大!

gifu-7897そして岐阜城天守 最上階へ。ルイス・フロイスの書簡を読んだ後なので何だか当時の岐阜城の天守にいるみたいな感じがするデザインだ。

gifu-7898しかし外は一面の濃霧。まったくもって、何も見えない。3秒で退散。

gifu-7905天守から降りて正面奥へ進むと、二層櫓のような建物がある。これは岐阜城資料館で、昭和50年に造られたとか。中には天守内と同じく、歴史資産が展示されていた。珍しい櫓時計(和時計)もあった。また100名城スタンプもこの中にある。

gifu-7910本丸井戸。金華山は見ての通り巨大な岩盤でできているので湧水など無く、掘っても水は出ないので、穴を開けて雨水を貯めるタイプの井戸(といえるのか?)がいくつかあるだけのようだ。これは厳しい。

gifu-7923a-7925再びロープウェイに乗って山麓へ。駅の奥には信長公居館跡および庭園跡があり、近年発掘調査を行っていろいろ出てきているようだ。雨で崩れるからか、全体的にシートが掛けてあり、まったく見えなかった。

gifu-7924一面のビニールシートの周囲をぐるぐる廻り、なんとか見つけた説明板。大きな池を持つ庭園だったことが発掘調査でわかったようだ。

gifu-7926横に積まれていた石。出てきた石を取り出してしまったのか、修復工事をするために持ち込んだのか、詳細は不明。

gifu-7928a-7930おまけ:駐車場の横には大きな四脚門と信長騎馬像があった。巨大な石を積み上げた櫓台的な石垣もある。門も石垣も復興だろう。イメージとは異なる信長像が気になる。

gifu-7929イメージと異なる信長像アップ。全力で走る馬に乗って後ろに弓を引く(いや射た後か?)信長公。台座を見ると「若き日の織田信長」と書かれていた。実に躍動的で、武者の銅像としては好きだが、これが信長公だ!と言われると… う、うーむ。。。

他に信長公の銅像といえば、安土城訪問時にJR安土駅前でイメージどおりの銅像を見たことがある。またJR岐阜駅には金ピカ銅像があるという。

銅像といえば、ロープウェイ山麓駅の近くに「板垣退助」像があった。なぜに岐阜に板垣公? なんと「板垣死すとも自由は死せず!」で有名な演説は、ここ岐阜城の山麓で行われたそうだ。で、そのまさに刺された現場に銅像が建っているという。すごい。

以上、岐阜城というか山城は雨天の際は半分も楽しめないことが身に沁みて分かった。こればかりはどうしようもない。幸い、岐阜城・犬山城は公共交通でも比較的行きやすい場所にあるので、機会を見ていずれリベンジしたい。

訪問時期:2014年3月
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岐阜城 [後編] 悪天時の見所は…ルイスフロイス書簡” への4件のフィードバック

  1. こんにちは。

    こういう施設の利水がどうなっていたのか興味が有るのですが、この様に天水の貯水施設を作っていた所があるのですね。この「井戸」でどの程度城で必要となる水を賄えたのでしょうね。

    1. kanageohis1964さん
      コメントありがとうございます。雨水を貯めるだけの穴ですから、常に水があるわけでもなく、またそれほど多くも溜められ無さそうですよね。現地の看板によるとこういった井戸は岐阜城に4つ見つかっているそうです。

      また岐阜城は、井戸がこんな状況なことに加え、山上に平坦地がほとんどないこともあり、信長はそもそも籠城用の詰城ではなく権威を内外に見せつけるための象徴の城と位置づけていたのではという意見もあるようです。

  2. こんばんは。地元のモンですw
    岐阜城は斎藤氏からの詰城を改修した物なので古典的な様相ですが、石垣や石積を多用した城でした。小牧山城でも発見された様に「見せる城」を意識して作られたので、好んで巨石を多用し高石垣も作りました。城下から意識した造りで、天守台下の石垣も三段造り、見上げた時に一つの高石垣に見える様に作ってあった様です。
    現在山上で見られる石垣は、ほぼ昔のままの石垣でしょう。ただ七間櫓や下台所門で見られる小さな石で作られた石垣は後世の物の様です。天守台も巨大な岩盤の部分の横にある石垣は昔の物ですが明治の天守を造成した時に積み直されているようです。天守台その物は後世の物で積み方も「野面積み」ではなく、川の護岸のコンクリートブロックでよく見られる「落とし積み」と言う物だそうです。

    天守ですが、明治期に長良橋の廃材でトタン葺きの木造天守が観光目的で作られました。日本で最初の市民による天守だそうです。その後失火で焼けてしまいまして、昭和31年に鉄筋コンクリートで建てられたのが今の天守です。一応、加納城二の丸に移築されたという伝承があります。それは雷で焼けてしまった後に「由緒ある建物だから、失念しないうちに」と古図を残されたものです。
    これを名古屋工業大学名誉教授の城戸久氏によって、丸岡城を参考に研究された岐阜城天守をベースに作られたものが現在の天守ですが、実は4層4階か5階で設計されているんですよね。
    主に募金などで建てられたのですが、まあ資金不足もあったんでしょうかね…。3層3階になってしまいました。
    設計通りに建てられていたら「小さい」とか言われなかったんじゃないかと思うんですけどね…。
    図はあるんですが、ここには載せられないので。「岐阜城天守閣」で検索すれば2枚ほど出てくるかと。

    1. ソレックスさん、地元よりコメントありがとうございます。数年前に書いた古い記事で当時の知識でいろいろ書いてますが、岐阜城では先日山腹でも当時の石垣と思われる遺構が新たに発見されたり、美濃を攻略し権威を見せつけるための巨大な石垣の城だったことが分かってきていますね。今見られる石垣は当時の資材を使っていたとしても、天守その他復興・整備の際に積み直されてしまっていることも、十分想像できます。居館跡の整備もかなり進んでいるようで、岐阜城はまたぜひ(今度は歩いて)登ってみたいところです。

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