苗木城 [後編] 複雑に構築された石垣が残る大矢倉跡

苗木城 [中編2] の続きです。天守で360度パノラマを堪能した後、石段を降りて馬洗石に驚き、千石井戸の奥にある中世山城感の残る土ベースの帯曲輪を通って物見矢倉跡へ。そして城主が住んだという二ノ丸へと進む。

<訪問記>

naegi-7679物見矢倉跡から本丸巨石群を見上げる。目の前の巨石の上は古絵図には「須磨明石」と載っているが命名はよくわからない。パンフにも須磨明石の説明が載っているのだが命名の由来までは記載なし。須磨明石には特に建物は無く、見晴らしの良い場所という位置づけだったようだ。須磨明石(兵庫県の真ん中あたり)まで見渡せるぐらい眺望が良い…にしては方向が違うし。むむ。

naegi-7680本丸巨石群の脇の細い通路を通って二ノ丸住居群の方へ向かう。途中、巨石を祀った八大龍王大神があるが、土台がコンクリート固めで、古絵図にはここに井戸が描かれているため、近年造られたもののようだ。崩れないようにお祈り。

naegi-7681八大龍王大神の脇の巨石の下には古い石積みがある。これは石垣を築いてから巨石を置いた…わけはなく、土を掘って石を埋めたのだろうか。雨などで土が流れて巨石が転がり落ちないようにするため??

naegi-7686大神からまっすぐ南西の方向へ進んでいくと、小さな門跡が見つかる。ここは「不明門(あかずのもん)」跡。大抵どこのお城にもある鬼門(北東=艮[うしとら])方面ではなく、対角上の裏鬼門である南西に築かれている。

naegi-7685不明門跡 説明板。死者などを送り出すための不浄門という位置づけではなく、苗木城の不明門は忍(しのび)のための門と言われていたとか。しかしこの門の向こう側には外に通じる道が見つかっていないとかで、さすがは忍びといったところか。♪忍が通る〜ケモノ道〜

naegi-7687不明門を過ぎて二ノ丸中心部? の城主居住地域へ。石垣の復元工事中だった。おそらく一番左側が的場跡、その横が藩主居宅…だと思う。石垣がまっすぐガッチリ組まれている。

naegi-7691さすがは城主居宅前、石垣もキレイに整形された切込ハギで美しく積上げられている。左端に見える小さな坂をあがると台所門があり、その向こうは綿貫門〜大門に出る。

naegi-7692藩主居宅跡の一部と思われる礎石群。さすが見晴らしも良い。写真ではわずかに写るだけだが、左下には木曽川もよく見える。

naegi-7695複雑に細かく積上げられた石垣も今に残る。まさに岩壁の要塞。

naegi-7698三の丸へ。大矢倉の向かい側には、東側へ伸びていく山道への出入口にあたる「駈門(くもん)」跡が残る。この先は急坂をつづら折りになって山麓まで続くという。パンフによると計30回ほどの曲がりだが四十八曲りと呼ぶ、とか (細かい)。廃城後、ここを通る人がほとんどいなくなり、今は荒れ放題だとか。

naegi-7699そして三の丸にそびえる巨大石垣遺構、大矢倉跡へ。広角レンズでないとかなり後ろに下がらないとフレームに収まりきらないぐらい大きい。左側に見える巨石の横は風吹門。古絵図によるとこの石垣すべてが大矢倉跡というわけではなく、大矢倉自体は一番奥の最も高い部分に建っていた建物のことを指し、その手前には小さな蔵がいくつか並んでいたようだ。しかしこうして残された石垣だけ見ると巨大な城塞の跡に見える。

naegi-7702しっかりと切込ハギで組まれているため、崩壊もほとんどなく、上に登ることも許されている。いざ階段の前へ。この存在感!

naegi-7706一段上がる。おおまかに分けて3段構成になっているようだ。

naegi-7706a-7721何とかこのすごい迫力を伝えるために二段目の階段の下から見上げるように撮影してみる。

naegi-7707二段目へ。青く変色?着色?した破片がたくさん散らばっているが何かは分からず。無骨に四角く積上げられた櫓台もいいが、こうして複雑な形に積上げられた石垣も良い。

naegi-7714大矢倉部分。このあたりはいわゆる地階にあたるのだろうか。礎石らしきものも残る。奥に石段らしきものが見えているが、ここだけ崩れていて、最上段へはちょっと頑張って這い上がる感じになる。

naegi-7718大矢倉跡 最上段より天守方面を見る。大矢倉は地階を入れて3階建て、今いる場所からは2階建ての建物が建っていたので、最上階にいた人はさらにここから5−6m上からの眺めだっただろう。天守に居る人との情報伝達も出来そうな感じだ。

naegi-7723大矢倉跡を堪能した後は下山。元来たルートを逆戻りする。風吹門跡から再度 大矢倉跡の石垣を見返す。裏には石段があった。古絵図を確認すると、この石段は大矢倉に通じているのではなく、その脇を通って北門と呼ばれる小さな門へ通じる道だったようだ。

苗木城跡。散在する巨石もさることながら、それをうまく取り込んだ大量の石垣と、その上に建っていたという矢倉群を想像するだけでお腹いっぱいになれる、そんな名城跡。変な模擬建造物もなく、遺構状態も良く、織田と武田の領地争いの舞台でもあった苗木城が、なぜ日本100名城に選定されていないのか甚だ疑問。100名城しか行ってない人は、岩村城訪問の際には是非その奥にあるココ苗木城跡にも訪れて頂きたい!

訪問時期:2014年3月
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