岩村城 [中編] 土岐門跡に三重櫓高石垣に菱櫓台と石垣好きは必見

岩村城 [前編] の続きです。山麓の藩主邸跡からスタートし、復元太鼓櫓と熱い思いの看板を見て、登山道を通って城跡へ向かう。しばらくは”切り通し”(土の斜面を削って道にしたもの)が続くが、突如 厳重な石垣に囲まれたエリアが出現! ここが最初の関門、一之門跡だ。

<訪問記>

iwamura-7387一之門跡を越えてしばらく進むと、道が大きく左へ曲がり斜面を登っていく。正面の斜面は石垣で固めてあり、攻め手がまっすぐ突き進めないように構成されているようだ。なお写真左側には広い曲輪のようなエリアがあったが、パンフの縄張図によると屋敷跡とのことだ。

iwamura-7391斜面の一番上には、切込ハギでしっかり造られた石垣の虎口が残る。これはすごい! 山城の上にこんなキレイに加工された石垣があるなんて! と大興奮。

iwamura-7393説明板によると、ここは土岐門跡。その昔、遠山氏が土岐氏との戦いに勝ち、その居城の城門を奪ってここに設置(!)した伝承にちなんで土岐門と呼ばれるという。古絵図によるとここには薬医門が建っていて、なんとその土岐門本体が移築され町内にある徳祥寺の山門として現存するという! 時間がなく見に行くことは出来なかったが、歴史資料館で購入した岩村城冊子(500円)に写真が載っていた。岩村城跡 唯一の現存城郭建造物とのこと。

iwamura-7393b-7533土岐門跡の内部の曲輪から門の外を見る。四脚門の左右は土塀で囲われており、門を迂回しようとしても出来ない。そして右側はかなりの斜面。左側は石垣でガッチリ。これはなかなか厳重だ。

iwamura-7397土岐門跡を越えると古絵図では広い馬出しのようなスペースがあるように描かれているが、現地はこのように切り通しの細い山道になっていた。杉林に混じって立つ灰色の電柱が無粋。。。

iwamura-7399そして馬出しエリアを越えると、一之門の規模をはるかに越える巨大な石垣の櫓台が現れる。右奥にはすごい高石垣、更に左奥のほうにも巨大な石垣が見える。

iwamura-7400説明板によるとこの辺りは畳橋と呼ばれており、元々ここにあった(今は土で埋まっている??) 空堀の上にL字型の木橋を架け、正面の高石垣にそびえる三重櫓(!!)を見ながら左に折れて先へ進む構成になっていたようだ。残った石垣から往時の姿を想像してみる。。。

iwamura-7403畳橋付近の石垣。打込ハギと算木積みでキッチリ積み上げている。古絵図の空堀がどこにあるのかがよくわからないので、古絵図の石垣と目の前の石垣がどうリンクするのかイマイチ分からなかったが、恐らく右奥の一番高い石垣の上に三重櫓が建ち、この眼の前の石垣の上には土塀がぐるりと囲っていたのだろうか。右奥に見える一段高くなっている小さな石垣は謎。もしかしたら今いる場所は空堀の底なのかもしれない。。。

iwamura-7405畳橋(推定場所)を越えて枡形の中へ入ると、左右には段々と高く連なる石垣が見える。古絵図とのリンクがいまいち取れないが、とにかくすごい迫力だ。

iwamura-7406奥に進むと、右側に見えていた石垣の上へ上がる階段を発見。この階段は古絵図には載っておらず、更に階段横には近年整備時に積んだコンクリートブロックがある。ということは、今まで居たところはやはり空堀の底で、畳橋が無いので往年のルートは辿れないため、空堀の底を通って奥まで行ってそこからこの階段を作って枡形の中へ入る構造になっているようだ。と解釈。

iwamura-7407階段をあがり、枡形の中へ。三重櫓が建っていたぐらいなのでかなり広い枡形だ。

iwamura-7408追手門 三重櫓 説明板。三重櫓は岩村城最大の櫓で天守相当だったそうだ。と思ってパンフを見てみると、確かに本丸には二重櫓しかない。

iwamura-7409本丸まで二百米 の木柱のあたりが、古絵図に載る追手門だったようだ。横の小さな木札には「大手櫓門址 岩村城の正門 城中最大の門である」とある。看板の裏に石垣を崩したような石材と盛り土がある。櫓門を壊すときに一緒に壊してしまったのだろうか。

iwamura-7413追手門(大手櫓門)を越えると、石垣に囲まれた細いまっすぐな通路に出る。左右の石垣の上は古絵図によると屋敷跡とある。

iwamura-7414しばらく進むと右側が開け、その中央に「竜神の井」がある。横の小さな説明板によると、昭和60年に復元したものという。今も水を湛え、岐阜県の名水50選にもなっているが、生水では飲めないようだ。一帯の曲輪は「五郎作屋敷址」。城内住み込みの侍屋敷とのこと。

iwamura-7417更に奥へ進むと、竜神の井よりも立派な井戸があった。パンフ等にも載っている「霧ヶ井」で、城主専用の霊泉であったという。敵が攻めてきた時、城内秘蔵の蛇骨を投じると霧に覆われて城を守ったという伝説があるとか。岩村城の別名「霧ヶ城」の由来。なおこちらも岐阜県 名水50選。

iwamura-7418霧ヶ井 説明板。蛇骨は二ノ丸の宝蔵に収蔵されていたとか。現存しているのだろうか? 蛇の皮はよく見るが、蛇の骨はあまり見かけない。

iwamura-7420霧ヶ井の正面は石垣と石階段でしっかり造られた一角があった。この上は八幡宮跡(八幡曲輪)で、往時は八幡宮の他に二重櫓が建っていたという。

iwamura-7421八幡宮跡を越えると、いよいよ本丸まで百米となる。

iwamura-7422と、ここで突然カラーの図入りの櫓風な看板が出現。菱櫓と俄坂 という説明板で、この看板の裏側に見える高石垣が「菱櫓跡」、向かい側あたりが俄坂(にわかさか)門だったという。菱櫓の石垣はひし形に積んであるという。俄坂門は搦手口にあたるようだ。

iwamura-7423少し退いてみる。菱型というより、円形に近い独特の石垣がそびえていた。この上に石垣の形に沿って櫓が建てられていたという。それにしてもさっきの絵はちょっと盛りすぎ。

iwamura-7424菱櫓の石垣クローズアップ。独特の鈍角が付けられている。自然地形に沿って積んだところこのような形になったとか。この上は二ノ丸にあたる。

なお菱櫓向かい側の「俄坂門跡」はまさに跡というか草ぼうぼうで道すら分からず、看板が建っていないと門跡とは気づかないレベルだった。

そして菱櫓跡を越えると、いよいよ岩村城 最大の目玉である自然巨石を組み合わせた六段石垣へ。

>> 岩村城 [中編2] へ続く。<<

訪問時期:2014年3月
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