丸岡城 [前編] 北陸唯一の現存天守は板張り石瓦の”北国の城”

丸岡城は日本最古級の現存天守(最古は犬山城と丸岡城の2説ある)。1576年(天正4年)に一向衆への抑えとして信長の命により柴田勝家の甥 勝豊が築城。古式な二層三階 望楼型天守が今に伝わる。豪雪に耐えるため、重い石瓦を葺いていることが特徴。天守以外の門・櫓などは明治に売却され、本丸を囲む五角形の内堀や外堀のほとんども埋められた。天守は1948年(昭和23年)の福井地震で一度倒壊したが、崩れた部材を組み直して修復再建された。幕末に日本海側に築いた丸岡藩砲台跡も残る(訪問記)。

<基本データ>
●名称: 丸岡城 [別名 霞ヶ城] (Wikipedia)
●所在: 福井県坂井市 (マップ)
●城主: 柴田勝豊
●竣工: 1576年(天正4年)
●遺構: 現存天守、石垣、曲輪、井戸 等
●情報: 丸岡観光協会HP坂井市HP


<訪問記>

丸岡城はJR福井駅の北東10kmほどの場所にあり、福井駅からバスで40分ほどかかる。バス停は「丸岡城」でまさに城の目の前。

maruoka_s-01バス停を降りると目の前には「お天守前公園」。この横の道を進む。

maruoka_s-02道の正面には、丘陵の上にそびえる丸岡城天守が見える。木が結構生えてて、下からの眺めはさほど良くない。

maruoka_s-03石段を上がって本丸へ。左の石碑は「國寶 霞ヶ城」。霞ヶ城は丸岡城の別名、戦前の旧法では国宝だった。現在は重要文化財(格下げというわけではない)。ちなみに現行法での国宝天守は現存12天守のうち、松本・犬山・彦根・姫路の4天守のみ。城郭検定に出るので抑えておこう。

maruoka_s-05丸岡城の名称はその横の看板に有り。日本最古の城 丸岡城 いつまでも大切に。ほとんどの現存天守は江戸時代の建造であるが、丸岡城と犬山城はその前の戦国時代の建造である可能性があり、どちらが最古かは結論が出ていないようだ。

maruoka_s-06天守は目の前に見えるが、まっすぐは上がれない。石垣の回りをぐるっと回って反対側へ。

maruoka_s-07sこちらが石垣の上の本丸部分へ行くための通路。入城料300円也。100名城スタンプもここで押して行こう。

maruoka_s-08as本丸へ。訪問時は本丸内にこのような柴田家家紋「二つ雁金」の陣幕と畳床几 (たたみしょうぎ、大将が陣内で座る折り畳み椅子のこと) がセットされていた。丸岡城は柴田勝豊による築城後、安井氏、青山氏、本多氏、有馬氏と城主変遷したが、丸岡城としては初代の柴田氏推しということだろうか。床机に座って記念撮影もOK。

maruoka_s-09陣幕の前に出て、丸岡城天守を撮る。この角度が最もメジャーな天守の姿だろう。天守の回りに植樹された大木が無ければもっと壮観なのが残念。伐るのは忍びないので、移してはどうか。

maruoka_s-10丸岡城天守閣 石碑。歴史がざーっと書いてある。ちなみに丸岡城を建てた柴田勝豊は、清須会議の後に勝家の所領となった長浜城に移封。そこで発病し、病床の中で秀吉の説得を受け秀吉に城を明け渡した。その後、賤ヶ岳の合戦が勃発、勝家が敗北し北ノ庄城で自害する僅か1週間前に病没した。

maruoka_s-11天守前にはいろいろ展示してある。まずは天守閣紀念碑。明治期に建てられた漢文ビッシリの史蹟碑だが、妙に細長く、また変なとこで改行してある「天守/閣紀/念碑」の文字が珍しい。

maruoka_s-12天守へ登る石段横には、石瓦と同じ石材で出来た鯱瓦が展示されている。説明板によると、福井地震で天守が倒壊したときに落ちてきたもの。元々 江戸時代は鯱は木彫銅板張りだったが、昭和初期の修理の際に(戦時中で銅板の手配が困難だったため)石製に改めたものの、昭和23年の福井地震で落下。昭和30年の修復の際は江戸時代どおり木彫銅板張りに戻したという。こんな石の塊が屋根の上に乗っているのはかなり恐ろしい。

maruoka_s-12a天守の屋根の上をズームアップ。確かに銅板が貼ってあるような佇まいだ。ちなみに高欄のすぐ下にある千鳥破風(三角屋根)の頂点にある鬼瓦は石製。写真に写る鬼瓦は口を開けている(阿)だが、反対側はもちろん閉じている(吽)。

maruoka_s-13では、さっそく天守内へ進もう。この角度からの丸岡城天守も雑誌等で定番のカット。

maruoka_s-13as天守内部の様子。太い柱が目に入るが、最上階まで貫いているわけではないとのこと(1階が2-3階の望楼を支える構造)。内部は、以前来た時は自然光のみで薄暗く、壁に古い写真が展示されている程度だったが、今回はパネルが設置され巨大な天守模型もありライトアップで明るい歴史博物館のような感じになっていた。展示内容は「本多成重 丸岡城入城四百年」。あれ? 柴田氏推しじゃないのか…

maruoka_s-14a丸岡城 天守模型。よく出来ていて、細かく見入ってしまう。説明板によると模型内に忍者や馬などの隠れキャラが仕込まれているようで、それらを探すという楽しみもあった。写真にも赤い忍者1人が写っている。分かるかな?

maruoka_s-15天守内は天守自体が展示物・文化財であるので、あちこちに設備の説明板が設置されていた。これは一階の構造について。もちろん天守内は土足禁。

maruoka_s-16s現存天守名物、急な階段。結び目のついたロープがたらされているので遠慮なく使おう。傾斜 62°あるとか。

maruoka_s-17二階のつくり 説明板。二階は外から見た二層目(望楼部)の下半分に当たる。外から見える巨大な千鳥破風(三角屋根)の内部は、兵が隠れるためのスペースだったとか。

maruoka_s-18二階の窓からは石瓦がよく見えるとのことで、石瓦に関する説明板は二階に設置されていた。福井産の緑色凝灰岩、笏谷石(しゃくだにいし) が使われているとのこと。なんと天守にかかる重さ100t!!

maruoka_s-19二階から見る笏谷石の石瓦。これはかなり重そうだ。しかし風雪に耐えるには、このように石瓦を使うか、会津若松城のように釉薬(ゆうやく)を塗った特殊瓦を用いるか、弘前城のように銅板瓦にする他なかったのだろう。

maruoka_s-20反対側。日に当たっているとそうでもないが、日陰で見ると緑色凝灰岩という名前がよく分かる色合い。

maruoka_s-21aさて三階へ。こちらもかなり急。小さな櫓だと途中で折り返すか、このように急階段にせざるを得ない。

maruoka_s-22最上階。現存天守らしく、天井板はなく、梁がむき出し。曲がった大木をうまく組み合わせている様は、彦根城などと同じだ。なお欄干のある縁側には出られないが、代わりに大きな窓が四方にあるので眺望はよく見える。

maruoka_s-22a三階のつくり 説明板。部屋中央を貫く2本の柱は心柱のようにも見えるが2階とは繋がっていないという。

maruoka_s-23丸岡城 天守望楼から見る眺望。福井平野が一望。

maruoka_s-24別角度の眺望を1枚。欄干のすぐ下には大きな鬼石瓦が背を向けていた。

>> 丸岡城 [後編] へ続く。<<


訪問時期:2013年11月
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