山中城 [4/4] 作りかけで秀吉に攻められてしまった”出丸”跡へ。

山中城前回までの山中城 訪問記。

美しく整備された巨大な障子堀が圧巻の二ノ丸跡を見終え、あとは下山へ。二ノ丸経由ではなく、横の山道を通って東海道へ戻る。


<訪問記>

冒頭で「二の丸跡を見終え」って書いてしまったが、工事中で見所が少ない二ノ丸跡だけどそれでも一応一周してみたのだった。

yamanaka2-71二ノ丸周囲をぐるりと囲む土塁も鋭意造成中。説明板によると、山中城の全ての曲輪は土塁で囲まれており、何を隠すのか(人、馬、槍 etc.)によって土塁の大きさ等が変わっているという。また守りやすく攻めにくいよう、内側は緩斜面で、外側は急斜面になっている。

yamanaka2-72二ノ丸奥にある見張台は完全に工事中で立ち入り出来ず。せめて工事の様子だけでも。盛土が崩れないよう芝生を植えているのだが、30cm四方ぐらいの芝生シートをピタピタ貼って造っていることが分かった。そりゃそうか。見張台は再訪時の楽しみにしておこう。

yamanaka2-73二ノ丸を降りて、下山ルートへ。二ノ丸と元西櫓の間の堀は畝堀ではなく通常の横堀で、往時はもっと深く急峻で、しかもローム層がむき出しだったという。今はマリモの家。

yamanaka2-74西ノ丸から下山ルートを降りて行くと、途中に溜池が2つあった。こちらは1つ目の「田尻池」。説明板によると西隣が「馬舎」と呼ばれていたことから、馬用の水飲み場だったと想定される。どちらにしろ山城では貴重な水源だったに違いない。向こう側は三の丸堀に繋がり、雨であふれた際などは堀に流れる仕組み。

yamanaka2-75西隣にはもう1つの池「箱井戸跡」がある。説明板によると、ここも発掘調査により先ほどの田尻池と併せて湿地帯だったところを真ん中を土塁で区切って2つの池にしたことが分かったらしい。2つの池は排水溝で繋がり、高台にあるこちらが湧水ポイントで、こちらが兵用の飲料水、下の田尻池が軍馬用や洗い場用と分けていたとのこと。今はスイレンが植えられているとか。ちなみに覗きこむと鯉が沢山居た。

yamanaka2-76池を越えると三の丸広場。ここには公民館が建っており、その奥にはお寺と北条軍・豊臣軍の武将の墓地がある。こちらが墓地一帯。樹齢数百年の巨木が立っている。

yamanaka2-77武将の墓の説明板まである。うらみを忘れたように並んでいる北条軍と豊臣軍の墓碑、、、お参りしていこう。

yamanaka2-78まずは北条方の武将墓碑。手前から、上州箕輪城主 多田出羽守長定、長谷川志摩守近秀、3つ目は判読不可。合掌。

yamanaka2-79続いて、こちらも北条方の武将、松田右兵衛太夫直長 の墓碑。左側の五輪塔が乗る墓碑には北条氏真幕下忠臣とある。先ほどの説明板によると秀吉侵攻時の山中城主だったようだ。

yamanaka2-80そしてその横にはひときわ大きな墓碑が立つ。こちらは豊臣軍の先鋒で山中城で討死した一柳伊豆守直末の墓碑とのこと。豊臣方と北条方の墓碑の大きさの違いよ。。。

yamanaka2-81さて 再度駐車場まで戻ってきた。続いて奥の出丸跡を散策。。。の前に、その手前の石畳の道は旧箱根街道とのことで、少しだけ見学。

yamanaka2-82この森の向こうに続く道が旧箱根街道。

yamanaka2-83箱根旧街道 説明板。石畳は復元のようだ。整備前は左下のような石が土に埋もれたような状態だったのが、整備の結果いまのように綺麗な石畳が復活。右下の写真は発掘時の様子。説明板によると、箱根旧街道は江戸幕府が整備した各街道のうち、三島宿と小田原宿を結ぶ箱根八里(約32km)の区間のことで、元々ローム層の土で滑りやすすぎたため江戸時代に石畳となったとのこと。地図の緑の部分が発掘して出てきた江戸時代の石をそのまま使って復元したエリア、オレンジの部分は石が無くなってたりしたので新たに石を持ってきて整備したエリア。

yamanaka2-84こちらが箱根旧街道。道の両サイドに高い杉木が並び、空気も澄んでいて気持ちいい。一里(約4km)ごとに道の脇に目印となる盛土(一里塚)が築かれていて、それも一部現存するという。

yamanaka2-85さて城跡へ戻る。この階段を上がると、山中城 出丸跡へ。

yamanaka2-86特に名前がついていないようだが、広い曲輪。

yamanaka2-86a奥に進むと一段あがった「御馬場曲輪」があり、かなり立派な土塁で囲まれていた。奥には作りかけの土塁跡が残り、城の整備途中で豊臣軍に襲われたことを物語っているという。

yamanaka2-88御馬場曲輪の奥は「岱崎出丸」。土塁や櫓台が残る細長い曲輪だ。土塁の上にはマリモ(状の植樹)があるが、その向こうは崖になっていて山麓の街が一望できる。

yamanaka2-89岱崎出丸の一番奥は「すりばち曲輪」と呼ばれる、すり鉢状に中央が沈んだ場所があった。防衛のための武者溜まりだったのではないかとのこと。斜めの土地だと溜まりにくいのでは…?

yamanaka2-90こちらがすり鉢曲輪。確かに、周囲に向かって斜めに傾いていることが分かる。

yamanaka2-91岱崎出丸の西側斜面の下には横堀が掘られ、こちらにも畝が造成されていた。整備状態は本丸側と比べてあまりよくなく、崩れかけといった感じ。こちらは一ノ堀と呼ばれる。奥には街が一望。

yamanaka2-92一ノ堀は岱崎出丸の西側全面にずーっと続いていた。

yamanaka2-93すりばち曲輪付近から見返した岱崎出丸。すごく細長〜い曲輪。この岱崎出丸一帯は、秀吉との対立で侵攻に備えて北条方が急遽造成を開始した防衛設備だが、工事が終わらないうちに攻められ僅か1日も持たず落城したという。ガイド氏曰く、当時の北条氏による山城築城技術はすごく高い完成されたものだったが、時代は既に鉄砲と大兵団による戦いの時代に移行しており、旧来の防衛施設である土塁ベースの山城のまま秀吉軍を迎えてしまった(時代の変化に乗りきれなかった)ことが敗因だと語っていた。

日本一整備が行き届いた中世山城遺構と言ってもいい山中城跡。次は緑豊かな夏場に(激暑にも負けず)訪問して、また違った表情を楽しみたい。有名な障子堀だけでなく、往時の山城の姿を見たい山城ファンにもオススメの城跡。

訪問時期:2014年2月
撮影機器:SONY NEX-3C
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