三日月陣屋 : 現存櫓と復元長屋の美麗コラボが楽しめる陣屋跡。

三日月陣屋は「播磨三日月藩」というオシャレ?な名前の藩の陣屋跡で、当時は地名を取って「乃井野(のいの)陣屋」と呼ばれていた。江戸中期の元禄10年(1697年)に津山藩森家が改易となり、その分家の森長俊が一万五千石で立藩。明治まで続くも廃藩置県により陣屋は解体。物見櫓と藩校舎が現存。物見櫓は移築保存されていたが長屋門や水堀の復元に合わせ元の場所に戻った。藩校舎は小学校に転用され現在は陣屋跡隣の列祖神社境内に武道場として残る。山上の演武場跡には土塁石垣などが残る(未訪問)。

<基本データ>
●名称: 三日月陣屋 [別名 乃井野陣屋] (Wikipedia)
●所在: 兵庫県佐用郡(マップ
●築城: 森長俊
●竣工: 1697年頃
●遺構: 物見櫓(現存)、石垣、土塁、復元長屋門
●情報: 佐用町HP


<訪問記>

三日月陣屋は兵庫県西方の佐用町三日月にある。みかづき。三日月小学校に三日月中学校、JR三日月駅と、名前が三日月だらけの何だか素敵な町だ。駅から見える山裾には、京都の大文字、神戸の錨マークよろしく、三日月マークもある。歴史的には、姫路藩→平福藩 (利神城のあたり) →山崎藩→天領→三日月藩 と変遷した。

JRで行くと姫路駅から→姫新線乗り換え→昼間終点の播磨新宮駅で更に乗り換えて奥へ→三日月駅、と約1時間かかる。本数も少ない(1時間に1本)。無人駅。駅からは歩いて10分ほどで辿り着けるようだが、ここは車で行き、佐用3城 (利神城 上月城 福原城)と同日に訪問するのがベターか。

mika01-sまずは陣屋跡へ。遠くからでも結構目立つこの建物(門)は、三日月藩 乃井野陣屋跡 で、櫓が2つとそれらを結ぶ長屋、水堀、橋とで構成されている。このうち、向かって左側の”物見櫓”のみ現存、あとは平成の復元。水堀の石垣は、発掘調査で出てきたものを少し位置を移動して積み直したものという。

mika02-s手前の物見櫓は、2階部分が出っ張った出窓のような形(出格子 でごうし)になっているのが特徴のようだ。

mika03-s長屋や物見櫓には一番左端の扉から入って見学できる(なんと入場無料)のだが、開門は土日祝のみで16時まで。訪問時は16時半だったため閉門されていた。かなり残念。

mika04-s諦めて外観だけでもしっかり見よう。こちらは右側の櫓門、”中御門”。復元。三日月陣屋といえばこの写真というぐらいの定番ショット。

mika05-s中御門を正面より。こちらは門なので、開けると長屋に通じるのではなく、向こう側に出られるだけのようだ。門の向こう側は藩主屋敷跡 (建物は未復元)。

mika06-s一番奥の”通用御門”。中御門は藩主や家老など、通用御門はそれより下級武士たちが通る門だったのだろう。

mika07-s旧三日月藩 乃井野陣屋跡 周辺案内図。当時の図面および現在の地図とが描いてあるが、これだと場所は分かるが今もそこに遺構がどれぐらい残っているのかは行ってみるほか分からない。

mika08-s石垣と堀の、発掘調査時の写真パネル。石垣は北面(陣屋門の土台)はすべて現存、東西南は約1/3が現存とのこと。兵庫県立歴史博物館のサイトに発掘調査時の写真がいくつか載っている。以前はこの土台の石垣がそのままここに残っていたのだろうか。それともコレが埋まるほど地面が高かったのか。。。

mika09-s陣屋門の東側(右奥)には、土塁が奥の方まで続いていた。

mika10-s土塁の奥の方には石垣も。古絵図に描かれている、陣屋門右側の土塀下の石垣だろうか。

mika11-s陣屋門を上から見る。陣屋門しか復元していないので、本来は”入口”のはずだが、これ自体が本体に見えてくる不思議。この奥(写真左)には、大きな藩主屋敷があった。

mika12-s藩主屋敷跡。幾つかの段差が作られ、小さな石垣も見える。敷地はかなり広い。

mika13-s陣屋門および藩主屋敷跡の西側 (向かって左) には、列祖神社がある。神社は奥の林の向こう側で、手前は境内。

mika14-s列祖神社境内にある古い建物。正面入口上に出っ張った2階部分が、地震が来たら落ちてきそうで少し怖い。入口上に由来看板があるので近づいて見てみる。

mika15-s由来記。この建物は元藩校舎で、廃藩後に移築され小学校として流用。小学校の新校舎が出来ると、この建物の一部がここ列祖神社境内に再移築された。中を覗いてみると一面に畳が敷いてあり、柔道などの武道練習場として今も利用されているような感じだった。

mika16-s旧藩校舎の向かいには絵馬堂が建っていた。特に由来等の説明はなかったが、見た感じでもかなり古いことがわかる。

mika17-s絵馬堂にあった絵の1つ。三日月藩郭内之図。先ほどの陣屋前の看板に描かれていた古絵図の元はこれだろうか。

mika99-sおまけ:三日月のマンホール。地方のマンホールは大抵その地の観光などの売りを絵柄に採用していることが多い。陣屋門かと思いきや、山裾に作られた三日月マークだった。陣屋門復元は平成10年頃の話なので、このマンホールはそれより前からあるよねということで納得。

整備されてる陣屋巡りも、なかなかいいね。近隣のめぼしい城めぐりが終わったら、陣屋巡りもしてみたい。

訪問時期:2014年2月
撮影機器:SONY NEX-C3
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