利神城 [3/3] 山麓に残る石垣造りの御殿屋敷跡を散策。線路が石垣を分断。

利神城 訪問記 其の三。

[前回までの概要]
本丸、天守丸、三の丸を散策。三の丸から見上げる利神城全景は素晴らしい眺めだった。其の三では二の丸〜馬場跡 方面および山麓の城下町跡を散策する。

訪問時期:2014.2
利神城 訪問記 – 其の一


<訪問記>

三の丸の散策を終えて二の丸へ向かう。縄張図を見ると三の丸南の虎口から山道(井戸跡)を通って二の丸へ抜けられる道が描かれているが、木々が生い茂り判別不能だったため、一旦本丸虎口へ戻り、本丸下石垣沿いを通って二の丸へ抜けてみる。

rikan53-sふたたび本丸虎口前へ。この左側、石垣と斜面との間に、犬走り的な細い通路がある(後日作られたのかもしれないが)。ここを通って二の丸へ向かう。

rikan54-sこんな感じで、石垣ぎりぎりを伝って奥へ進んでいく。

rikan55-s結構な距離があり、また頭上も足元も危なっかしいので、慎重に。野面積みでデコボコした石垣を間近に見る。

rikan56-sしばらく進むと石垣が切れ、小さな曲輪へ。ここが二の丸。上は本丸南。このあたりも石垣が崩れており歩きづらい。

rikan57-s目的地はもう1つ奥の馬場跡。二の丸曲輪から直接はたどり着けないようなので、また二の丸石垣の外側をつたって進む。ここで石垣の雰囲気が今までと大きく異なり、同じ野面積みではあるが、それまでの丸いままの石ではなく明らかに割って形を整えた、違う石質の石垣となる。郷土館にあった資料によると、利神城石垣の石材は利神城で採られたものと、西側の山で採られたものとがあるという。

rikan58-s違う石質の石垣を越えると、また少し小さな曲輪へ出る。ここも二の丸の範囲のようだ。ここは飛び出した形になっており周囲を石垣で覆われていることから、南側を望む出丸的な位置づけだったのだろうか。

rikan59-sこの曲輪から、本丸方面の石垣を見返す。このあたりに井戸跡を経て三の丸へ直結する山道があるようだが、見つけられず。

rikan60-s奥の馬場跡へ向かうには二の丸南の林の中を突っ切る。しばらく進むと矢竹(やだけ。矢に使える細い竹)の林へ。中世の軍需工場。

rikan61-s矢竹の林を越えると、三方を崖に囲まれた細長い曲輪へ到達。地図によるとどうやらここが馬場跡のようだ。馬場にしてはとても狭く、また足元に瓦もたくさん落ちていて、建物があったことを伺わせる。厩があったのだろうか。

rikan62a-s馬場の南端は石垣で覆われており、その先はかなり深い堀切で行く手を阻む。樹木もあり下が見えないほど。高さ10m程か。この先は縄張図によると幾つかの土塁や堀切を経て、100m超の細長い自然地形を利用した曲輪がある。ここはパンフによると中世利神城時代からあった曲輪ではないかとのことだ。

rikan63-s南端の石垣のそばには軒丸瓦の破片も落ちていた。しっかりした瓦葺きの建物があったようだ。

rikan65-s馬場跡の石垣は南端だけでなく、西側もぐるっと巻いていたようで、西側はかなり木々が生い茂っていたが頑張って降りてみると、林の中に高さ2mほどの石垣を発見。縄張図には真っ直ぐな石垣ではなく横矢掛け(石垣にへばりつく敵を射られるよう石垣を時折直角に曲げる構造)が描いてあったが、探しきれなかった。

rikan66-s車道に車を置いていたので来た道へ戻る。次回は西側の登山道から徒歩で登ってみたい。登りは必死で気付かなかったがやはり北ルートはかなりの急勾配のようだ。上から見るとこんな感じ。林の手前は巨大な土橋のような構造にも見える。林に入ってすぐあたりに駐車場がある。

以上で利神城跡の探索は終了。続いて山麓にも御殿屋敷跡や城下町風情が残るというので、城下町をしばらく散策してみる。

rikan67joka-sまずは北の車道近くにある平福郷土館。赤い巨大チョウチンが目印。1Fは平福の街に伝わる民芸品などの展示、2Fが利神城に関するパネル・模型・出土品の展示。入場料200円。なお、郷土館の前に平成21年の台風による大水害の説明板があり、近くを流れる佐用川が氾濫、このあたりは1.1mの高さまで水没したという。チョウチンの右側に立つ白い看板の下部に青い線が引いてある。そこまで水に浸かったという印。

rikan68-s郷土館の中を少し紹介。特に2Fの利神城に関するパネル展示はかなり量も豊富で読み応え見応えがある。これは利神城石垣の石材に関する説明。利神城西の山から採った火成岩、利神城から採った水成岩とがあるらしい。現場で目で見ても違いが分かるほど、異なる石質だった。

rikan69-s利神城跡から見つかった、保存状態の良い瓦。軒丸瓦、軒平瓦がほぼそのまま残っていたようだ。他にも利神城天守の鯱と言われる鯱瓦や、貝紋の入った鬼瓦、姫路城と同じ揚羽蝶の瓦なども展示されていた。パンフによると貝紋瓦は天守丸西斜面で見つかっており、池田氏のものという。ただし調査により天正期の時代を示す備前焼や瓦片もあるようで、池田氏より以前に瓦葺き建物があった可能性があるとのこと。

rikan70-s近世の利神城の姿 想像復元図。三の丸(西側)から望む図ということで、現在の写真でいうと次の写真にあたる。三の丸北虎口の石垣の上には2重の櫓が建ち、石垣の上には土塀あるいは多聞櫓があり、山頂には小天守を備えた3重の白亜の天守。これは勇壮だ。

rikan52-s三ノ丸(西側)から望む図、現状。上の想像図と見比べてみよう。

まだまだ郷土館内には興味深い展示やパネルがあるが現地で見よう。さて郷土館を出て城下町を散策。

rikan70a-s平福城下町の様子。ナマコ壁や格子・格子窓のある屋敷、袖うだつ(壁の横にニュッと生えた、隣の家からの延焼をふせぐ壁)。いやあ、実に城下町。

rikan70b-s道の駅の正面にある、青いチョウチンの下は「平福本陣」跡。門のみ再建されている。

rikan71-sこちらは 智頭急行 平福駅舎。普通しか停まらず、電車も1時間に1本なのだが、この貫禄。近畿の駅百選。

rikan71a-sそうこうしている内にたまたま列車がやってきた。駅舎の雰囲気にそぐわない、古き良き再生車両を期待していたら、なんと宮本武蔵(と思われる)のイマドキなアニメ絵満載の車体にビックリ。いかがなものか。ちなみに伊賀上野城の近くを通る伊賀鉄道の車両はアニメ絵とは真逆の劇画風の忍者が描かれている。

rikan72-s平福駅から線路沿いの道を北へ。パンフによるとこのあたりは御殿屋敷跡(または平福城跡)で、藩主屋敷や家臣屋敷が建ち並び、大きな石塁が南北および中央に計3つあったという。駅から北へしばらく進むと巨大な石垣を発見。説明板も無く、草もボウボウで、寂しい限り。地図と規模から、恐らくこれが中央の「うわがみ門」跡かと。

rikan73-s石垣を裏側から。うわがみ門の内部は藩主屋敷で、当時は立派な山城に立派な御殿があったようだ。

rikan74-s智頭急行の線路で分断された御殿屋敷跡の石垣。城主も現状にびっくりしているだろう。

rikan75-sもう1つの石垣。パンフの地図によると南の「くいちがい門」跡のようだ。右側の石垣がいかにも後世に積み直した感がある(左側に比べて)。この石垣の手前には水堀があったようだ。今は田畑用の溝程度の幅になっていた。

城下町の遺構も山城の遺構も風化による破損がひどいものの、それでも十分見応えのある姿を今に残している利神城。今度は1日かけてゆっくり歩いて回りたい。そして崩壊する前に行政が遺構保存に向けて動き出しますように。

訪問時期:2014年2月
撮影機器:SONY NEX-C3
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