国府山城 [前編] 黒田職隆の隠居城は整備が進む

国府山城(こうやまじょう)は、黒田官兵衛の父 黒田職隆(くろだ もとたか)が隠居した城として有名で、息子の官兵衛も居城姫路城を秀吉に譲った後に短期間ではあったが居城していた。城自体は南北朝時代に播磨豪族 妻鹿孫三郎(太平記 巻八に登場) により築城された記録がある。黒田職隆は1585年(天正13年)この地で没し、そのまま国府山城は廃城となったようだ。城下に職隆の廟所が残る。

国府山城跡<基本データ>
●名称: 国府山城(別名:巧山城、妻鹿城)
●所在: 兵庫県姫路市(マップ
●築城: 妻鹿孫三郎 / 黒田職隆
●竣工: 南北朝時代 / 1567年頃
●遺構: 曲輪、井戸跡
●情報: 姫路フィルムコミッションHP山陽電車HP

<訪問記>

国府山城は、山陽電車 妻鹿(めが)駅から北へ歩いて10分ほどの場所にある。山陽電車は姫路と神戸を結ぶ私鉄だが、神戸高速および阪神電車と乗り入れをしており、大阪(梅田)から姫路まで直通で行くことが出来る。JRと比べ値段も安いが、時間がかかる。

kouyama00阪神梅田駅から約1時間半、途中で普通電車に乗り換えて、妻鹿駅へ到着。駅を出るといきなりこんなチョウチンが迎えてくれる。大河ブームですなあ。

kouyama01駅前にはこんな観光案内板が立っていた。また同じ内容のA4パンフも配布。山陽電車ヤル気。地図によると、妻鹿駅から国府山城までは川沿いにまっすぐ北上すればOKのようだ。また駅と山城の間には、官兵衛の父 黒田職隆廟所と、黒田二十四騎 母里太兵衛の生誕地碑もあるようだ。帰りに寄ろう。

kouyama01a妻鹿駅から川沿いに北上。すぐに道の先に見えてくるポッコリした山が国府山城跡だ。

kouyama01b途中には道標も立っていた。右 ごちゃく おくやま (かな?) 変体仮名難しい。

kouyama02aそうこうしている内に国府山城へ。車道沿いにはちゃんと「国府山城跡 →」な看板が。登城道への入口は、写真右端に小さく写る石碑があるところから。

kouyama04石碑前へ。登城口は荒神社の境内になっている。妻鹿城址 の立派な石碑と、由来や歴代城主などを記した石板あり。

kouyama05妻鹿城址 石碑の下の石板。消えているわけではないのだが、墨が落ちてしまっていて、例によって読めない。

kouyama06荒神社 入口に立っていた立派な看板。妻鹿 国府山城跡 平面図。なかなか分かりやすい縄張図だと思う。紙配布は無いのでコレをデジカメかケータイで収めて、画面を見ながら登ると良いかも。なおWEBを見てるとこの看板はどうも以前はこんな絵だったようだ。大河ブームの恩恵か。

kouyama07同じ看板の下には達筆な国府山城の説明書き。こちらも以前は「巧山城」というタイトルで内容も全然異なるものだったようだ。しかし何故か建立日は同じ平成10年4月。建て替えたが日付はそのままにしたということか。

kouyama08さて荒神社への石段を上がる。

kouyama09石段を上がって正面が荒神社のお堂、その右側の灯籠の傍に「国府山城跡→」という看板とともに、細い山道が続いている。ここが城跡への登城口となる。

kouyama10登城道は最初は結構急坂が続く。岩もゴロゴロしていて足場も余り良くない。

kouyama10aこんな感じでガレキのような細かく砕かれた石が散乱している場所もある。

kouyama11しばらく上がると、なだらかな斜面となる。時折立っている順路看板を目印に進もう(山頂まではほとんど一本道)。

kouyama11a1月に訪問したがこの木々の生えっぷり。トンネル状になっている箇所すらある。夏場に訪問すると草ぼうぼうで大変かもしれない。

kouyama12と、登城道沿いに井戸跡を発見。すごく小さな水たまりのようにも見えるが、井戸跡という堂々たる看板が立っている。教育委員会ではなくライオンズクラブが立てた看板なので本当に往時からある井戸跡なのかは不明。

kouyama13しばらく進むと門石跡の看板あり。足元を見ると、確かに登城道の左右に石が埋め込んである。山麓の縄張図によると、小さな冠木門が建っていたようだ。

kouyama14更に進むと「かまど跡 ←」という看板を発見。奥に進んでみる。

kouyama15…奥に進んでみたものの、土塁のような壁があって進めなくなり、結局どこがどう かまど跡 なのか全く分からず。井戸跡、門石跡のように、ここが かまど跡! という看板にして欲しかった。

kouyama16そうこうしている内に、細い山道が終わる。

kouyama17急に大きく開けたエリアに到達する。大きな屋敷でも建っていたかのような広い曲輪だ。左右どちらからでも奥の主郭エリアに到達できるようだが、看板の指し示すとおり、左回りで散策してみる。

kouyama18馬駆け エリア。馬場丸 のような意味合いか。しかしこんな山上に馬場?という気もする。

kouyama19まっすぐ進むと前方に大きな鉄塔が現れる。無粋。でもこの鉄塔があるおかげで、鉄塔までの道が整備され続けてきたという側面もある。

kouyama20鉄塔の裏側には、経塚跡 という場所があるようだ。金網の周囲を辿って向こう側へ回りこむ。結構がけっぷちなので注意。

kouyama21ちょうど鉄塔の反対側が「経塚跡」。看板によると、経塚とは経典を容器(経筒)に入れて土中に埋納した遺跡で、平安時代以降に流行した仏教行為とのこと。露頭している石の周囲で3つの埋納坑が見つかったようだ。坑の中からは経筒や甕(かめ)、銅鏡、銅銭などが見つかり、このうち甕は香川県産で平安時代中後期のものだったという。ここが山城になる前は、宗教的な儀式に使われていたのかもしれない。また、瀬戸内海も一望できる、なかなかの眺望。

kouyama22鉄塔裏から戻り、主郭を目指す。林の一部が開いている箇所から中へ入る。

kouyama23中へ入ると緑のトンネル状態。まるでトトロの世界だ(参考画像)。冬だから枯れ木だけど、夏場に来てみたいところ。

kouyama24ここから先は山城の主要エリアで、曲輪跡などが頻出し、その都度 看板が立っている。最初は眺望がイイ感じの廓跡。奥へ進んでみる。

kouyama25この曲輪は、ちょうど山頂に着いたときに正面に見た「馬駆け」の真上にあたるようだ。ここからも瀬戸内海が一望。毛利方の水軍を見張るにもちょうどいい。

国府山城は小さな山城なのだが看板設置など整備が進んでおり意外と見所が多い。紹介したい写真もまだたくさんあるので、2ページに分割。

>> 国府山城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2014年1月
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国府山城 [前編] 黒田職隆の隠居城は整備が進む” への4件のフィードバック

  1. あきおう様 初めまして素晴らしい写真で仕事で写真をお借り出来ないかと思っております。ご連絡をとりたいのですがよろしくお願いいたします。こちらからすいません。

    1. 木村さま ご連絡ありがとうございます。趣味で城跡の写真を撮っているだけではありますが、こんな写真でもお役に立てることがあるならば是非ご協力させていただきたく思います。詳細は別途メールにてご連絡いたします。

  2. 初めて登ったのは・・・n十年前~
    それからず~っと ご無沙汰
    随分と整備されていることに感心しました。

    1. あきさん
      コメントありがとうございます!
      n十年前だとライオンズクラブの看板類もなく、ほとんど知る人ぞ知る山城跡だったのかもしれませんね。
      大河に採用されるとはこういうことだ、というのが肌で分かるほどの整備っぷりです。

      お近くにお寄りの際はぜひ再訪くださいませ。楽しめると思います。

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