利神城 [1/3] 池田氏が築いた壮大な高石垣は崩壊しつつも未だ威容を誇る。

利神城は14世紀前半(鎌倉末期)頃に地元国人が築城、複数の城主変遷を経て、織田毛利による上月合戦の後に毛利方の宇喜多氏所有となる。関ヶ原後は池田輝政の甥 池田由之が入城し現在の高石垣を含む大改修を行う。3重天守を建てたが輝政の命により破棄されたと伝わる。1631年に城主池田輝興が赤穂藩へ移封となると領地は山崎藩に組み込まれ、利神城は城主不在となり廃城となった。城跡は昭和中頃まで観光地としてメンテされていたようだが現在は放置され、石垣の崩落等 遺構損傷が激しいが、それでも丹波竹田城にも勝るとも劣らない勇壮な姿を見せる。

<基本データ>
●名称:利神城 [りかんじょう] (Wikipedia)
●所在:兵庫県佐用町 (地図)
●築主:地元国人〜宇喜多氏〜池田氏
●築城:14世紀前半頃?
●遺構:石垣、曲輪、堀切
●関連:佐用町HP

訪問時期:2014.2

利神城 訪問記 – 其の一


<訪問記>

利神城は兵庫県佐用市平福という岡山との県境近くにある町にあり、智頭急行を使えば公共交通でも行くことができる(ただしダイヤはほぼ1時間に1本)が、近隣の上月城三日月陣屋などを一緒に訪問するなら車で出掛けたほうが断然ラク。ということで今回は車で訪問。

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平福の道の駅から城跡がはっきりと見える。広角で撮っても、この存在感!

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ズームするとまさに圧巻。なお麓(道の駅)から城跡を見ると東向きになるので午前中は逆光。

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道の駅に設置してあった 因幡街道 宿場町 平福 の歴史スポットに関する説明板。利神城の他に、あの宮本武蔵 初決闘の地もあるようだ。ちなみに智頭急行 平福駅の2つ隣は武蔵の生誕伝説があるその名も「宮本武蔵駅」。

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利神城への登城ルートは現在2つあり、1つは北側から車道を上がって中腹まで行き”鴉丸(からすまる)”という曲輪経由で本丸へ上がるルート。もう1つは西側の登山道を上がり三の丸へ着くルート。今回は北の車道ルートから上がる。こちらがその入口、石碑が目印。

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現地(城跡)に縄張図が無かったので、道の駅で配布していたパンフ「官兵衛ゆかりの佐用三城を巡る」より抜粋。このパンフ、利神城・上月城・福原城の3つの城の地図や縄張図を掲載し非常に良く出来ているので必携。佐用市HPのPDFはこちら。今回はこの図の左上から侵入し、鴉丸から延びる細い道を辿って本丸下へと向かうルートとなる。ちなみに鴉丸は縄張図では”鵜(鴉)丸”となっているが、これはパンフによると古絵図で文中に”鵜丸”と書かれているものの仮名書きで”カラス”と書かれているため著者の漢字間違いで正しくは鴉丸ではないかとのこと。当サイトでも鴉丸で統一する。

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車道は左側が登り斜面、右側が崖になっており、非常に狭く(対向車が来たらすれ違えるか微妙)、道も瓦礫だらけで、とても危なっかしい。慎重に進み何とか突き当たりまで到達すると、数台の駐車スペースがあり、その先は写真のとおり登山道となる。利神城跡まであと400m。

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道はかなり急峻で荒れている。

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そしてこんな崖っぷちの山道も通り抜ける必要がある。荷物がある人は要注意。

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細い道が終わると今度はまた岩場の急坂。先人の残してくれたトラロープが心強い(一部切れそうな場所もあるので引っ張り過ぎに注意)。そしてこの付近に鴉丸という小さな出曲輪があるはずだが、滑らないよう歩くのに必死でそんな余裕はなかった。

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結構あがってきた。岩場も乗り越え、崖っぷちの山道も乗り越え、道が緩やかな傾斜になり樹木が増えてくると、もう本丸は直前。

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上の写真の奥に写る曲がり角を右に曲がると…キター! 突然のこの長大な石垣!  石垣の前の道が細すぎて、全景を写すのは魚眼レンズがないと無理なぐらいの状況。登山の疲れも一発で吹っ飛ぶ、すごい迫力。

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そして石垣の周囲をよく見てみると割れた瓦の欠片が結構落ちてる。この石垣の上には櫓なり土塀なりがあったということだ。すごい。

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こちらは東側斜面に当たり、太陽の光がよく当たる。コケも成長しまくり。

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石垣伝いに右側(北)へ進むと、石垣に沿ってぐるっと北側へ回り込むことが出来た。写真には写っていないが、上の方から崩落して落ちてきたのか、足元にも巨石がゴロゴロしているので要注意。

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石垣の北面に沿ってどんどん奥まで進むと、北西端までたどり着いた。なかなかの反り具合。やはり石垣回りの帯曲輪? が狭すぎて上から下までを横構図で収めるのは不可能(縦なら収まる)。

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ふと上を見上げると…すごい孕みっぷり。これはいずれ崩れそうだ。しかしこれだけ帯曲輪が狭いと修復も困難か。

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よく見ると隅石は算木積みになっている。そしてその奥(西側)は途中で崩落していて、向こうまでは進めないようだ。

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崩落している箇所までやってきた。足元の石が散乱しているところの向こう側は結構な高さ。降りることは出来ても、戻るのが厄介になりそうなので、このルートではここまで。奥に見える一段と高い石垣に期待が膨らむ。

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石垣の西側まで進んでいたので、再度ぐるっと北面経由で東側の登城ルートまで戻ってくる。今度は南側(登城ルートから見て左側)へ進む。

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しばらく進むと、虎口のお手本のような本丸への入口を発見。往時はここに分厚い門扉が付けられていたのであろうか…。

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虎口。足元の石段含めて、しっかり石垣が残っている。左側に立っている看板は、この付近の石垣が崩落する恐れがあるので近づくなという旨が書かれている。

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虎口入口の石垣。少し孕んでいるが、この迫力! 凄すぎてなかなか虎口から進めなくて困る。ちなみに訪問時、他に4グループほど訪問していた人たちが居た。譲り合いつつ各々に思い思いの写真撮影をしていた。動画を撮ってる人も居た。貴重な記録映像になるやもしれんね。

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虎口を越えると本丸へ。右側の暗くなってるところが虎口、一段高くなってる石垣の上が天守があったところ(天守台にしてはデカすぎるので天守丸というべきか)。樹木も適度に伐採されてて見晴らしが良い!

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天守丸 石垣。下の石垣よりは少し小さいような気もするが、それでもこの高さで堂々とした積みっぷり。

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本丸には瓦が散乱していた。400年前、確かにここに、建造物があった証拠。これも貴重な文化財。持ち帰り厳禁。

>> 利神城 [2/3] へ続く。<<

訪問時期:2014年2月
撮影機器:SONY NEX-C3
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