上月城 : 織田と毛利に挟まれ半年で二度落城、尼子氏滅亡の地。

上月城(こうづきじょう)は西播磨で力を持っていた赤松氏の一族(赤松政範あるいは上月貞景)が所領していたが、天正5年(1577年)12月 播磨攻略を目指す織田軍(秀吉)に攻められ落城。その後、信長の元で尼子家再興を目指す尼子勝久・山中鹿介が入城するも、翌4月に今度は毛利方3万の大軍勢に囲まれる。秀吉は援軍を出すが、時を同じくして三木城の別所氏が造反し、信長の命により秀吉は急遽三木へ転進。孤立無援となった上月城は兵の助命と引き換えに城主尼子勝久が切腹し開城、大名尼子氏は滅亡した。山中鹿介は捕らえられ護送中に惨殺された。上月城も2度目の落城とともに廃城となったようである。

<基本データ>
●名称: 上月城 (Wikipedia)
●所在: 兵庫県佐用町(マップ
●築主: 上月景盛
●築城: 1336年(延元元年)頃
●遺構: 曲輪、堀切、供養塔
●関連: 佐用町HP


<訪問記>

上月城跡は上月歴史資料館の向かいに登山口がある。地図やナビ等に載っていない場合は上月歴史資料館を目指そう。

kouduki01-s上月城跡(への登城口)と、上月歴史資料館は同じ場所にある。現地看板もこのとおり。

kouduki02-s上月歴史資料館。中には上月城・利神城を始めとし小さな支城までも含めた佐用町内の山城跡の詳細縄張図や、上月城を巡って織田と毛利が戦った”上月合戦”に関するパネル展示などがあり、なかなかに見応えあり。係員の方は詳しく話も面白い。土日月および祝祭日のみ開館なので要注意。入場料200円。

kouduki03-s歴史資料館の向かいには、上月城に関する説明板が2つ立っている。まずはNHK大河「軍師官兵衛」ブームに乗るべく平成25年に作成された「上月城と黒田官兵衛」。前半は一般的な上月合戦の様子だが、後半には官兵衛の正室 光(てる)の姉が上月城主の正室であり官兵衛と上月城主は義兄弟であった旨が記されている。上月城の落城時、城兵は斬首、女性は磔、子供は串刺しという壮絶な結末を迎えるが、光の姉は福岡に墓があることから合戦中に救い出されたものと思われるとのことだ。

kouduki04-sこちらは恐らく昔からある上月城の沿革 説明板。元々上月城は北隣の山に建てられていたそうだ。赤松氏落城の際の守将の末裔が江戸末期に建てた赤松氏慰霊碑が山頂に建っているという。

kouduki05-s上月歴史資料館に入場すると貰えるパンフレットに、上月合戦ストーリーと、上月城の縄張図が掲載されている。基本一本道だが、堀切などを見逃さないよう手に持ちながら散策したい。今回はこのパンフ掲載のルート(赤線)どおり、資料館前の山道から城跡へ上がり、反対側に抜けて山を降り、山麓を回って戻ってくるルートを辿る。

kouduki06-sこちらが上月城跡への入口。

kouduki07-s橋を渡ると、斜面を上がる道と、川沿いに進む道に分かれる。城跡へはどちらからでも行けるが、近いのは斜面の方。斜面を上がる。この時期は枯葉が山積みなので、滑らないように注意。

kouduki08-sこんな感じでつづら折れになりながら、結構な坂道を上がってゆく。ミニ感状山城のようだ。

kouduki09-s基本的に上月城跡は樹木が生い茂っていて山上から下は見えないが、山頂までの中間付近に視界が開けて見晴らしの良い小さな曲輪が1箇所ある。パンフによるとここは通称「休郭」とのこと。

kouduki10-s休郭からの眺望。佐用川と、それに架かるJR姫新線(きしんせん)の橋がよく見える。

kouduki11-s休郭を少し上がると、堀切の看板が現れる。そう言われると少しV字に削られているようにも見えるが、正直言われないと分からないレベル。

kouduki13-s堀切を過ぎ、しばらく急な坂道を上がるといよいよ本丸へ。なお本丸下には2つ帯曲輪があるが、草木が刈られておらず未整備だった。

kouduki14-sこちらが上月城 本丸跡。供養碑と、本丸跡という木柱と、上月合戦の説明板がある。往時に建っていたであろう屋敷(櫓)の礎石などは確認できなかった。

kouduki15-s供養碑。中央の碑には、赤松蔵人大輔政範君之碑、とある。赤松政範は最初に秀吉が攻めて落城したときの上月城主。

kouduki16a-s本丸にある上月合戦と周辺地図、上月城跡縄張図の説明板。上月城の周辺にもたくさん支城があったようだが、歴史資料館の方によるとあまり遺構がわかりやすくは残っていない模様(当然 城跡までの道も整備されていない)。これら支城の縄張図は資料館にパネルがあるので興味ある方は是非。また縄張図を見ると、本丸の向こう側(登城道と反対側)にも曲輪や堀切がいくつかあるようだ。

kouduki17-s本丸を出て、奥の曲輪へ進んでみる。細長い曲輪が続く。

kouduki18-s奥の方は一段高い曲輪になっているようだ。

kouduki19-s一段高い曲輪は二ノ丸郭とのことだ。

kouduki20-s二ノ丸からは眺望を楽しめるスペースがあり、説明板も立っている。まずは眺望。ここから具体的に何が見えるのかというと… ↓

kouduki21-s何と利神城跡が見えるという。上の写真を目を凝らしてよーく見てみると、確かに利神城跡と思われる茶色の石垣らしきものが見えている。往時はあの上に櫓が建っていたというのだからさぞ圧巻だったろう。他に、西はりま天文台も見えている。こちらは縮小画像でも白い建物がはっきり分かる。

kouduki22-s一段高くなっていた二ノ丸郭を奥に進むと、郭跡3 という看板があった。このプラスチックの看板は何箇所かにあったが、ことごとく壊れていた。

kouduki23-sここから下山道(下りの山道)になる。縄張図によるとこの先にもまだ堀切跡がいくつかあるようなので見に行こう。

kouduki24-s堀切跡。肉眼では結構V字に掘り込んであるのが分かったが、写真だとどうしても平面ぽくなってしまう。この角度だと余裕で渡れてしまうので、当然往時は1-2mの深さはあっただろう。

kouduki26-s一番奥の堀切跡。…うーん、分かりづらい。表面や凹部にたまった土を取り除けば、もう少し堀切らしさが出ると思う。全国の山城管理者の皆さんご検討よろしくです。

kouduki27-s城跡はここまで。ここから先は斜面を山麓までつづら折れになりながら降りていく道になる。まっすぐ進むと全長7kmのハイキングコース(小さな砦跡などもある)のようだ。

kouduki28a-s山麓まで降りてくると、墓石が並んでいる一角がある。ここは上月城に関係する武将たちの供養塔が立っている。一番大きな碑は尼子勝久公 400年遠忌 追悼碑。その右側には、尼子氏再建を願って勝久公を懸命に支えた山中鹿介の碑。「我に七難八苦を与え給え」は、コアな歴史ファンならずとも、のび太のパパの説教シーンで有名(「くろうみそ」)。

kouduki28b-sその反対側には、上月城の戦いでの戦没者の合同慰霊碑が建っていた。兵士だけでなく戦後に処刑された上月城関係者たちも含まれているのだろう。

kouduki29-sもう一つ、史蹟碑のような碑も立っている。この手の碑は漢文で書かれていることが多いが、これはカタカナを含む読み下し文のような記述になっている。尼子勝久公の400年遠忌の追悼碑を建てた(2枚前の写真)ことに関する説明碑のようだ。昭和47年建立。

上月城跡。今に残る目に見える遺構は少ないけれど、430年前、まさにここで、秀吉が、官兵衛が、山中鹿介が、毛利上月赤松が、戦ったのだなあと思って往時に想いを馳せることが出来そうな場所。ちょっとしたハイキングにもちょうどいい感じ。天気の良い週末に、麓の歴史資料館とセットで歴史登山。

訪問時期:2014年2月
撮影機器:SONY NEX-C3
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