下赤坂城 : 石碑しか無いが近くの棚田は必見

下赤坂城は1331年の後醍醐天皇による幕府討伐に併せて挙兵した楠木正成により築城された。にわか造りであったため幕府軍の攻撃により落城、その後も奪還と落城を繰り返し、詰城である千早城での籠城戦の間に鎌倉が落ち幕府は滅亡。金剛山地から北に延びる尾根にあったらしいが、遺構は無く場所も特定されていない。千早村役場および千早中学校の上部付近が本丸であったと想定されており、当地に石碑および説明板が建設されている。

下赤坂城跡<基本データ>
●名称: 下赤坂城(別名:赤阪城)
●所在: 大阪府南河内郡(マップ
●築主: 楠木正成
●築城: 南北朝時代
●遺構: - (石碑)
●関連: -

<訪問記>

下赤坂城は別名”赤阪城”とも呼ばれ(阪と坂の違いに注意)、場所は特定されていないものの想定される千早中学校の上に石碑が建っているので、それを見に行こうと思う。千早城跡上赤坂城跡の散策ついでに寄るのがベター。

shimoaka01千早中学校および石碑のある公園? は小高い丘の上にある。入口は共通で、中学校の敷地に入っていく感じになるが、気にせず進もう。こちらが丘への入口。昭和初期に建てられた「赤阪城址↑」の石碑が出迎え。げんき! すてき! くすのき! でお馴染み? まさしげくん看板もあり。

shimoaka02石碑がある場所は高台の上で、そこからは日本の棚田百選(百選と言いつつ134箇所が選定)にも選ばれている下赤阪の棚田が見下ろせるスポットになっている。棚田の説明板あり。楠木正成が築城のため山を削った跡を利用して棚田になったのかもしれない。

shimoaka03下赤坂城跡への入口付近から見る棚田。ここからでも十分見事だが、上から見下ろすともっと圧巻なのだろう。

shimoaka04坂の途中にあったマンホールの蓋。マンホールの蓋は地域ごとに異なり、地域の特色や推したいものを図示していることが多いので、地方へ行った時のひそかな楽しみだったりする。千早赤阪村は「太平記の村」。棚田かと思ったら、もっと大きく出た。

shimoaka05中学校の校舎と体育館の間の道を丘の方へ進むと、開けた空間の向こうに石碑が見える。ここまでの道のりは中学校の敷地の中を通る形になるが、随所に案内板があるので迷うことはない。

shimoaka06史蹟 赤坂城阯 石碑。上赤坂城跡の本丸(主郭)で見た石碑と同じ旧法タイプだ。上下同時に造られたのだろう。千早城のものとは上は同じだが土台が異なる。(参考:上赤坂城跡の石碑千早城跡の石碑) なお城跡を意味する “じょうし” には “城址” “城阯” “城趾” など色んな字があるのでヤヤコシイ。

shimoaka07石碑のあるところだけが高台(土塁跡?)になっており、裏側は公園になっている。

shimoaka08石碑の裏には赤阪城跡の説明板がある。石碑の立つ場所は裏側から見るとまさに土塁。

shimoaka09赤阪城跡(下赤坂城跡) 説明板。

shimoaka10石碑のある公園から見る千早赤阪の棚田。さすがに見事だが、夏に水を張った状態で見るともっと美しいだろう。ということで→Google画像検索

下赤坂城跡の遺構見学はこれぐらいにして、近くにある千早赤阪村立 郷土資料館へ行ってみる。入場料200円也。

shimoaka11kyodo郷土資料館。道の駅の奥にある。1Fが歴史系展示(出土品など)、2Fは文化系展示(農業用具など)。

shimoaka12上赤坂城跡の縄張り立体模型。実際行ってきたが、木を完全に伐採した状態の実際とは異なる姿の模型だからか、ちょっとイメージと違う感じがする。(上赤坂城跡の訪問記

shimoaka13a千早城跡の縄張り立体模型。あの長い石段が無いので分かりづらいが、左側が石段方面。

shimoaka14上赤坂城跡の発掘調査に関する詳細パネル展示。正面の茶色い土の写真は、石碑のあった本丸発掘時のもの。焼けた土や多数の柱穴跡が出てきたという。

shimoaka14a上赤坂城跡の発掘調査で出てきた出土品。土器類の他、焼けた壁土も展示。土を掘って土が出てくるので、発掘調査をする人は気を使って大変だといつも思う。おつかれさまです。

shimoaka15南北朝時代と思われる具足も展示。色々威腹巻。

shimoaka16同じく兜。鉢(はち)とシコロは中世のものという。鉢は頭部を守る丸い部分、シコロは鉢の後方下部に付いている首を守る部分(この写真には写っていない)。なおシコロの漢字は”革”に”毎”と書く。

shimoaka16a郷土資料館で売っていたオリジナル冊子「千早赤阪の文化遺産」。上下赤坂城跡、千早城の説明(縄張図など含めて各城1-2ページずつ)が載っている。その他、地元の英雄・楠木正成に関する長編考察なども掲載。なかなかおもしろい。500円。必携。

shimoaka17tanjo郷土資料館の前は、楠木正成が産まれた場所という伝承がある「楠公誕生地」がある。発掘調査の結果、ここに大きな屋敷が建っていたことも判明しているという。

shimoaka18楠公誕生地 説明板。秀吉の時代には既にここが楠公の誕生地として広く知られていたようだ。中央の立派な石碑は維新志士・大久保利通による建立。

shimoaka19大久保利通が建てたという楠公誕生地 石碑。隣の郷土資料館で買った冊子によると、平成2−3年にかけてここの発掘調査を行い、地中から14世紀の土器類や二重堀を持つ巨大な屋敷跡が出てきたという。写真を見るとかなり立派な遺構なので、埋め戻してしまったのが残念。

訪問時期:2014年2月
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