掛川城 [後編] 現存四御殿の一つ、掛川城 “二の丸御殿” へ。

掛川城前回までの掛川城 訪問記。

駅から大手門、堀川を渡って復元四足門から城内へ。三日月堀や四足門など、多くの城内設備が当時の史料(正保城絵図)によって復元されている。後編では天守〜御殿へ。

<訪問記>

では早速 天守の中へ。

kakegawa2-23天守入口は、天守横に繋がる付櫓から。なお天守外装については、掛川市の広報資料にもあるとおり、天守を俯瞰で描いた古絵図等が残ることからそれに忠実に再現されたものの、内装に関する史料がないことから、同じ山内一豊公の城である高知城などを参考に再現してみたとのことだ。

階段に「撮影できます」と書いてある。あとでしっかり見返すことができるので嬉しい。

kakegawa2-24入城してまず目に入るのは、山内一豊公の騎馬像。高知城下に展示されている巨大な騎馬像と同じ姿だ。

kakegawa2-25天守倒壊の被害を受けた安政大地震の際の被害状況を記した図面。幕府報告用に作成したものの写しを掛川城にも一部置いていたようだ。解説によると、安政大地震(1854年 安政元年)は今で言うマグニチュード8クラスの巨大地震で、天守3階損壊、大手門などの門のほとんどが倒壊したという。特に天守台の北東角の石垣が殆ど崩れた旨が記載されている(「石垣 上弐間余 高五間余 崩潰」など)。

kakegawa2-262階への階段。結構な急角度だが、再建なので、階段中央にも手すりを完備。

kakegawa2-272階。あまり展示物など無く、がらんとしている。この方が、天守自体を楽しめて、個人的には好ましい。

kakegawa2-28天守鯱の原寸大複製。袋井市油山寺に移築保存されている掛川城玄関下御門の鯱を参考に、高知城と同じ青銅製で作成。高さ1.2m、200kg。結構でかい。

kakegawa2-29天守最上階へ。高欄(外廻縁)への出入口がふすまになっている変わった構造だ。係の人に聞くと、往時もこうなっていたかは微妙な様子。なお外には出られないが、落下防止のため全面に網を張られるよりかは良い。

kakegawa2-30最上階からの眺望その1。太鼓櫓・四足門 方面。この角度からだと大手門までハッキリ見える。

kakegawa2-31最上階からの眺望その2。二ノ丸方面。二ノ丸御殿(江戸末期再建の現存)が建っている。正面が御殿で、左側に90度回転して建っている似たような建物は二ノ丸美術館。

kakegawa2-32天守を出て、本丸曲輪の下まで降りてくる。石段はまだ本丸まで下に続いているが、石段の脇にあるこの小さな冠木門を進めば、二ノ丸へ出ることが出来るようだ。

kakegawa2-33天守郭の石垣のすぐ脇を通って行く。古絵図ではこのあたりは帯曲輪だったようだが、帯曲輪というには細すぎるので、古絵図が描かれた後に削られたのだろう。石垣を見上げながら突き当たりまで進む。

kakegawa2-34s石垣沿いの道の突き当たりに、二ノ丸へ降りる小道がある。二の丸御殿は正面だ。

kakegawa2-35s二ノ丸から見返す天守。天守台のある天守郭は石垣だが、本丸などは土塁であることが分かる。また正面から見た天守の姿を大きく見せるため、1層目の正面側だけ大きく張り出した構造になっていることもまるわかりだ。裏側から見る掛川城天守の姿も確認すればよかった。

kakegawa2-36二ノ丸から御殿へ向かう途中、三日月堀がしっかり三日月の形で確認できるスポットがあった。また三日月堀の南面のみ、石垣で固定されていることも確認できる。復元工事の結果、この南面だけ石垣があることが分かったとのこと。

kakegawa2-37御殿敷地内へ。”功名が辻” 山内一豊公夫婦の顔出しが、絶妙の撮影スポットに置いてある。まるで時代劇のワンシーン。こんな庭のある家に住みたい。

kakegawa2-38改めて、二の丸御殿へ。こちらが玄関。玄関上の屋根の形は珍しい半円型をした「起破風(むくりはふ)」だ。

kakegawa2-39玄関軒破風部分をもうワンカット。この凸型のムクリ破風と、その下の懸魚(蕪懸魚[かぶらげぎょ])がこの掛川城御殿の特徴という。奥の家紋は御殿再建時の城主・太田家(太田道灌の子孫)の桔梗紋。

kakegawa2-40屋敷内部へ。基本的に全部屋閲覧&立ち入りOK。畳が一直線に敷かれている。和室が縦横無尽に続く昔ながらの御殿だ。手前右は「三の間」。基本的に手前のこの部屋へ通され、用件によっては奥の二の間・次の間などへ通されるという。

kakegawa2-41一番奥まで行ってみる。右側の部屋は次の間。城主と謁見できる身分の高いものだけが入れたという。今は展示用にフスマを開けっ放しにしているので非常に広く感じるが、往時は当然部屋ごとにフスマで区切られており、迷路のような印象だっただろう。

kakegawa2-42長囲炉裏の間。城主と奥方のみが使用できたという。天井には城主太田家の桔梗紋が彫られていた。

kakegawa2-43御書院上の間。城主が公務を行った部屋という。床の間がある。奥の窓の奥には小さな中庭もある。

kakegawa2-44御殿から庭越しに見る天守。素晴らしい眺め。

kakegawa2-45御殿の奥は物置や通路、下級武士が訪問する際の勝手口などがある。文化財や模型などが展示してあった。左は太鼓櫓に設置していた大太鼓、右は詳細不明の具足。具足の胴に描かれている家紋は「丸に揚羽蝶」。揚羽蝶の家紋は、姫路城を近世城郭にした池田輝政も用いていることから、姫路城の瓦でよく見かける。

kakegawa2-46二の丸御殿を出て、裏側へ回ると、土塁が残っていた。説明板によると、これは「黒土塁」と呼ばれるもので、外部から二ノ丸御殿を見えなくするために盛られたものとのこと。当時は内部を隠すためのものを黒◯と呼んだそうだ(黒土塁、黒塀など)。

kakegawa2-47二ノ丸御殿の玄関前の石段を降りて城外へ。ここに、掛川城址の石碑が建っている(写真右端)。天守や四足門などが再建される前は、ここがメインの入口だったのだろう。

掛川城は、平成の再建とはいえ日本初の木造再建(外観復元)された天守は内外ともに美しく、城内もしっかり整備・復元工事がなされていた。また最大の見所である「現存 二ノ丸御殿」は、現存しているほとんどの部屋にすべて立ち入って見ることが出来る。また城内全エリアで写真撮影が可能なのもとても嬉しい。見応えのあるいい城跡だ。また、行こう。

訪問時期:2014年2月
撮影機器:SONY NEX-C3
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