志方城 : 黒田官兵衛 正室”光”の出身地

志方城主 櫛橋(くしはし)氏は代々赤松氏の家臣で、5代目当主 櫛橋則伊の頃、この志方城を築いた。以降90年ほど櫛橋氏による当地支配が続いたが、天正6年(1578年)、播州平定を目指す羽柴秀吉に攻められ落城した。城の規模は現在の城跡とされる観音寺の境内が本丸、本丸を囲んで内堀があり、その外側に二の丸と西の丸があったという。8代目当主 櫛橋伊定の次女”光”が、黒田官兵衛の正室となる。(ちなみに長女は上月城主の正室)

shikata_cover<基本データ>
●名称: 志方城(別名 市易城)
●所在: 兵庫県加古川市(マップ
●築城: 1492年(明応元年)
●竣工: 櫛橋則伊
●遺構: なし
●情報: 加古川市観光協会HP


2014大河ドラマ「軍師官兵衛」1/26放送の第4話にて、志方城と思われる屋敷(城主 櫛橋氏の娘2人が登城)が登場しました。
NHK大河ドラマHP へ(第4話あらすじ)
NHK大河ドラマ番外コーナー「官兵衛紀行」HP へ(No.4)
大河2014「軍師官兵衛」特集ページ へ

<訪問記>

志方城跡は現在、加古川市志方町にある観音寺になっている。地図を見ると、同じ加古川市内の「加古川駅」よりも、隣の高砂市になる「宝殿駅」からのほうが近そうだ。宝殿駅から志方方面行きのバスは、1日6本ぐらいしか無さそう(Navitime参照)だったので、歩くことを決意。宝殿駅のすぐ西を南北に走る515号線をずっと北に行けば近くまで行けそうだ。

shikata01宝殿駅を出て北へ徒歩40分。やっと到着した「志方皿池」という交差点を、右(東)へ。しばらく進み、写真の「志方商店街入口」交差点を左(北)へ。途中、志方城跡あるいは観音寺はこちらといった看板は無し。

shikata02志方商店街入口を曲がると、急に「てるひめちゃんノボリ」が乱立しているところがある。ここが観音寺への曲がり角。ここを右へ入る。ちなみに「てるひめちゃん」は加古川市の官兵衛関連プロモーションのゆるキャラのようだ。今は官兵衛ブームでノボリが立ってて分かりやすいが、通常時はこうはいくまい。

shikata03曲がり角の先は登り坂になっており、その坂の上に観音寺がある。さすが城跡、土塁が盛られたのであろうか、元々小高い丘だったのか。

shikata04観音寺 (志方城跡) 説明板。姫路のゆるキャラ・かんべえくんと、加古川のゆるキャラ・てるひめちゃんが仲良く揃い踏みのこの看板、キャラ自体が大河放映決定を受けて作成されたものだと記憶しているので、最近設置されたものだろう。説明によると、往時の志方城域は観音寺境内が本丸で、その周りを堀が囲み (堀の跡は見当たらなかった) 北に二の丸、西に西の丸があったようだ。

shikata05観音寺。奥の建物はかなり新しくて立派だ。

shikata06ここにも「かんべえくん」と「てるひめちゃん」が揃い踏み。よく見るとノボリも右が黒田官兵衛、左が櫛橋幸圓(光の雅名)になっている。加古川市、かなり力を入れている。

shikata07新しい本堂? の前には光姫様の顔出しもあった。残念ながら「大河ドラマ 軍師黒田官兵衛」って書いてしまっている。

shikata08寺の墓地には城主 櫛橋氏を祀る五輪塔があると本堂の前に書いてあったので、お参りに。墓地の前まで来ると、ご丁寧に詳細な場所を示す手書きの看板も立っていた。

shikata09先ほどの地図を参考に、写真右端に写っている赤いノボリ(「櫛橋幸圓」)を目印に進もう。この五輪塔が志方城主 櫛橋家供養の五輪塔。花が捧げられている場所の裏の石に「志方城主 櫛橋家之墓碑」といったような文言が刻まれていた。横にある卒塔婆(墓地でよく見る長い板)にも、どういう意味かは不勉強で分からないが、光の院号である「照福院」の文字が見える。しばしお参り。墓地の奥に見える建物は志方小学校。小学校の敷地は寺よりも一段低く、往時は二の丸だったとのこと。

shikata10墓所の入口横には搦手門らしき山門が。

shikata11新しい本殿の真向かいが、正門のようだ。石段の左右には石垣らしき石積みも見える。これが志方城の…と考えるのは野暮か。石段の手前には、志方城跡を示す標識と説明板がある。

shikata12志方城跡 標識および説明板。内容は先程の「てるひめちゃん」の看板と同じ…というか、こちらがオリジナルか。

shikata13正門の外から観音寺を見る。よく見ると山門の上には鯱瓦も乗っている。

今や現地に志方城の遺構らしきものは見当たらないが、あの黒田官兵衛の正室 光 の出身地として今年は脚光を浴びるので、ドラマで登場するたびに訪問者が後を絶たないだろう。観音寺側も歓迎のようで、櫛橋家墓碑への説明板だけでなく、本堂前には関連する市のチラシや光の方の説明プリントなどを設置していた。歴史ファン・大河ファンのマナーを守った訪問で、史跡/ゆかりの地としての地元の盛り上がりが続いてもらえれば。

ちなみに、光は「てる」と読むとされてきたが、近年 菩提寺で発見された古文書に「みつ」とルビがあったそうで、議論となっているらしい。

訪問時期:2014年1月

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