岩国城 [2/3] 北ノ丸奥に眠る破却を免れた長大な石垣群は必見!

岩国城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
錦帯橋を経て、山麓の武家屋敷群を通りぬけ、ロープウェイで一気に山頂部へ。山頂部では北の丸から奥に抜ける階段を通って、散歩道へ向かう。ここには巨大な石垣跡が残る。

訪問時期:2013年12月
岩国城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

旧天守台の奥にある、北の丸を降りて山道に入る散歩道へ。たまたま山道を見つけたので何気なく降りてみたのだが、驚くべき光景が広がっていた。

iwakuni26a-s階段を降りて山道へ。数メートルは降りる。

iwakuni27-s降りると、いきなり破壊された石垣の残骸と思われる石がゴロゴロ転がっている。岩国城天守の歴史を振り返ると、1608年竣工した天守はわずか7年後の1615年に一国一城令で破却が決定。天守などの山上の建造物だけでなく、天守台など石垣の破壊も命じられたとか。壊した天守台の石垣がこれなのかもしれない。ちなみに現在の旧天守台は、地中を発掘調査すると約1/4が残っていたためそれを元に復元したとのこと。

iwakuni28-s矢穴などが残る石もある。無残に破壊した石をそのままにしているところに、造ってすぐに壊さざるを得なかった吉川氏の無念さや怒りが垣間見える。

iwakuni29-s山道に向かって奥に進んでも、破壊された石垣の石はずっと転がっていた。通常、破却された城の建材や石材は近隣の築城や橋工事などに再利用されることが多いためあまりこうして残骸が今も見られることは少ない。

iwakuni30-sしばらく進むと、破壊されずに残っている石垣を発見。かなり奥までしっかり残っている。資料によると、藩主の居館等が山麓にあり急斜面上の石垣を壊すことは危険と判断され破壊を免れたとのこと。よかった。石垣に沿って奥へ進んでみる。

iwakuni31-s戦国末期に造られたこともあり、基本的には野面積みで構成されているが、隅はこのとおりしっかり切り揃えられた石による算木積みがなされていた。

iwakuni32-sこのゴツゴツ加減。実に荒々しい。

iwakuni33-s石垣の外側には小さな石が道に沿って並べられている跡が残る。

iwakuni34-s結構進んできたが、まだまだ奥まで石垣が続く。北の丸の周囲をぐるっと囲っていたということだろう。

iwakuni35-s10段以上の高石垣もそのまま残るエリアがあった。この石垣の下は斜面との幅が狭く、通行時は要注意。

iwakuni36-s横矢がかけられるよう、石垣は一直線ではなく時折折れ曲がる、いわゆる「屏風折れ」を形成している。

iwakuni37-s一言で野面積みといっても様々な石の具合がある。ここ岩国城の石垣は、叩き割り尖った石をそのまま積み上げたような、なんとも緊張感あふれる野面積みと感じる。

iwakuni38-sしばらく石垣沿いを進むと、また整備された道に出る。北の丸周辺散歩道は終わりで、ここからまた北の丸の一部、ということだろうか。石垣の具合はさきほどと変わりなし。

iwakuni39-s巨石とも言える大きな石が、半ば崩れたように積んであるエリアがあった。

iwakuni40-sそしてまた本丸へ戻る。崖との間は土塀が仕切っていた。天守と同時期に再建されたものだろう。

iwakuni41-sここからは、ちょうど草木の合間から蛇行する錦川とそれに架かる錦帯橋が見える。距離感を伝えるため、あえて広角で。

iwakuni42-sそして天守を見上げる。元々ここにあったような佇まいだが、この場所は昭和の再建で新たに設定した場所。石垣も昭和に新たに積んだものだ。

iwakuni43-s地面に、岩国城天守付近(山上の本丸、二の丸、北の丸等)を表現している立体模型?のようなタイル的なものが敷かれていた。中央に「天守」と書かれているが、これがその右上の黒い四角を指しているのなら、昭和の再建天守になるので、再建後の地図を示したものだろう。それにしても天守と大釣井と堅堀しか文字がなく、お城の構造などに詳しくない人にはちょっと分かりづらい地図だ。

iwakuni44-s天守に登るには、石垣で囲まれた通路をぐるっと回って向こう側に行く必要がある。これらの石垣は昭和の作成(元々こういう構造だったわけではない)と思われる。

iwakuni45-s道を回り込むと、天守に行く前に、旧天守台の正面に出る。この旧天守台も壊されていたが、下1/4ほどが地中に埋まって残っていたことから復元できたという。ぱっと見、どこまでが遺構でどこからが復元かは、石の見た目では分からない。

iwakuni45a-s別角度から。境目がまったく分からない。

iwakuni46-s旧天守台の説明板。緑が現存、黄色が修復、オレンジが(新たに積んだ)復元だ。オレンジが上から7個目まで、その下の8−9個目が修復。現存は上から10個目以下。という情報を元に旧天守台の写真を見なおしてみると… なんと上から9個しかない!!ということは、現存は地中に埋まっている、ということなのだろうか… (>_<) それとも見方が違う? さらに下の新旧天守の写真は肝心のところが破けていて、よくわからない。うーむ。微妙。

iwakuni47-s気を取り直して天守へ。看板も立ち、この角度から見るのが岩国城天守の定番の姿。三重目および四重目 (最上階の望楼) が下層よりもせり出す変わった構造をしている。これは「南蛮造り」 (あるいは唐造) と呼ばれ、当時の姿として確認されているのは「高松城(写真)」「小倉城(復興、模型現存)」そしてここ「岩国城(復興、図面現存)」の3城しかない。これを見て、なぜか大阪の大同生命ビルを思い出してしまった(参考)。

iwakuni48-sもう少し天守に近づいてやや見上げつつ1枚。3重目の唐造のせり出し具合がより強調されて異様な形に見える。釣鐘型の窓「花頭窓」もポイント。

iwakuni49-s岩国城天守閣 由来。奉行の名前や、築城時のサイズなどが事細かに説明してある。当時の図面があれば、もっと分かりやすかった。

では、いよいよ天守の中へ。

>> 岩国城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2013年12月
撮影機器:SONY NEX-C3
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