高松城 [1/2] 瀬戸内海の海水を全ての水堀に取り込んだ海城。

秀吉から讃岐17万石を与えられた生駒親正は、高松城(本城)および丸亀城(支城)を築いた。万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞として「玉藻よし」と詠んだことから別名 玉藻城とも呼ばれる(現在は玉藻公園、住所は玉藻町)。生駒氏転封の後は家康の孫で光圀(水戸黄門)の兄にあたる松平頼重が入国し、以後 明治維新まで松平家の居城となった。生駒氏時代に3重3階、松平氏時代に3重4階+地下1階の天守が建っていたが、明治17年に老朽化のため破却。月見櫓および艮櫓(移築)、水手御門など幾つかの建造物および天守台が現存する。

<基本データ>
●名称: 高松城 [別名 玉藻城] (Wikipedia)
●所在: 香川県高松市(マップ
●築城: 生駒親正
●竣工: 1590年(天正18年)
●遺構: 月見櫓/艮櫓、御門、天守台、石垣、堀
●情報: 日本100名城 No.77 (一覧)


<訪問記>

いよいよ ぐるっと四国一周バスツアー も最終城。9城目は、丸亀城からバスで東へ1時間、高松駅前にある高松城跡へ。

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高松城跡は、琴電 高松築港駅前にある玉藻公園として整備されている。玉藻公園 入口はここ。入園料 200円也。駅前および公園入口付近は石垣と堀で囲まれているが、一箇所だけ石垣の切れ目があるのでそこから入城。

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こちらが園内入口。当時からここは門で、向かって左側には簾櫓(れんやぐら)、右側には弼櫓(ゆみだめやぐら) が建っていたという。門の詳細は不明。

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門を入ると料金所。100名城スタンプもここにあり。中は二の丸跡だ。

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公園内 案内図。色々書き込みがしてあって見にくいが、二の丸をまっすぐ進むと 現存月見櫓、その右側の庭園を越えると現存艮櫓、二の丸から右へ進むと天守台のようだ。

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まずは二の丸をチラ見。ただの広場のようなので、天守台含め後で訪問する。

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二の丸は内堀が囲っており、天守台の方へ渡る廊下橋と、庭園のある方へ渡る土橋との2本の道がある。土橋の上から内堀を見る。写っているボートは、夏場に玉藻丸として遊覧営業しているボート? 写真の右側には近代の水門があった。

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水門 説明板。高松城は北側を海、残る三方を堀で囲み、そこに海水を入れ込んだ海城だった。海水を堀に入れ込んだ城はいろいろあるが(今治城など)、完全に海水のみなのは高松城のみとのこと。高松城跡は今も瀬戸内海に隣接しているが、当時と違って海と城の間に国道が出来ている。看板によると、その国道の下を暗渠で堀と瀬戸内海が繋がっており、今も海水が入っているという。

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土橋を越えて庭園エリアへ。松など背の高い樹木が植えられた、ここ披雲閣庭園は、大正6年に披雲閣が再建されたときに造成されたとのこと。

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庭園を進むと見えてくる大きな屋敷が、披雲閣。藩の政庁および藩主の住居として利用されていたが、老朽化のため明治時代に取り壊された。大正6年に再建。完成後は昭和天皇皇后両陛下も御宿泊されたという。

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披雲閣 正面へ。中は貸会場となっているようで、自由に見学というわけにはいかなかった。そこかしこに植わっている松の木が立派。

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披雲閣 説明板。142畳の大書院。どれぐらいの広さか見てみないと想像がつかない。

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披雲閣の周囲をぐるりと一周。

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披雲閣庭園を出る。ここは南側の桜御門跡。門は昭和まで現存していたが、昭和20年の米軍無差別爆撃で焼失。石垣の側面に残る赤く変色した部分は門が焼けた痕跡という。

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桜御門跡 付近からは、内堀に浮かぶ天守台が正面に見える。深緑に染まる内堀と、修復作業を終えて綺麗に整えられた天守台、そして奥の高層ビルの組み合わせが何とも。

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桜御門跡を越えて進むと広い敷地に出る。パンフによるとここは桜の馬場跡で、かつて馬の教練をしたところという。以前はこの2倍ほどの広さがあったとか。

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桜の馬場跡に建つ石碑。高松城の簡単な紹介文が掘ってある。

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桜の馬場から見る天守台と内堀。海水を湛えた内堀の深い色に引き込まれる。空模様のせい?

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桜の馬場から東へ進むと、櫓が見えてくる。かつて、もっと東に建っていた艮櫓(うしとらやぐら。うしとら=北東)を、ここ太鼓櫓跡に移設したものとのこと。櫓の手前の虎口を形成する石垣とのセットで、いい角度のところに玉藻公園の看板が建っていた。写真スポットということか。

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艮櫓。3重3階の立派な櫓だ。元々は城跡北東にある県民ホール(アルファあなぶきホール)付近にあった櫓を、城跡内のここ(旧太鼓櫓跡)に移したとか。2層に突き抜ける大きな千鳥破風と、1階と2階に付けられた鉄砲狭間に目がいく。

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艮櫓 説明板。1677年建造、庭園の向こう側に残る月見櫓と同時期のものとか。移築の際、櫓台の大きさなどがよくぴったり合ったなーと思ったが、移築にあたり艮櫓の大きさに合わせて土台の石垣を拡張したとある。また角度の関係上、右に90度回転させて設置しているともある。

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艮櫓の前は枡形虎口になっていて、中堀を渡る旭橋への出入口を固めている。これは内側から枡形内部を見た写真。右側の石垣はそれほど整えられていない打込ハギだが、左側および正面の石垣はしっかり整えられた切込ハギ。鏡石的な大きな岩も見える。正面の石垣にはめられた木柵は埋門(うずみもん)とのこと。

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枡形内部から正面を見る。こちらの面もしっかり切り揃えられ、巨石がふんだんに使われた切込ハギだ。

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枡形虎口内に立っていた高松城跡 説明板。生駒親正が高松城を建てる際の縄張りは、あの黒田官兵衛が行ったとある。

続いて、枡形虎口を出て、中堀の外から旭門および艮櫓を見てみる。

>> 高松城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2013年12月
撮影機器:SONY NEX-C3
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