丸亀城 [前編]

丸亀城は亀山(標高66m)山上に築かれた平山城で、信長・秀吉に仕えた生駒親正が1587年に讃岐に入り、本城を高松城、支城をここ丸亀城として新たに築いた。1615年の一国一城令で支城の丸亀城は一旦廃城となったが、生駒氏転封後に讃岐入りした山崎氏、京極氏により再築。天守、石垣、内堀などが現存。内堀から天守に向け幾重にも重ねられた全長約60mの石垣を持ち「石の城」と形容される。

marugame_cover<基本データ>
●名称: 丸亀城(別名 亀山城)
●所在: 香川県丸亀市(マップ
●築城: 生駒親正京極高和
●竣工: 1597年(慶長2年)、1660年(万治3年)
●遺構: 現存天守、石垣、堀
●情報: 丸亀市HPうどん県旅ネット

<訪問記>

ぐるっと四国一周バスツアー 8城目(本日3城目)は、日本最大の石垣群の上に、日本最小の現存天守を持つ丸亀城へ。内堀の北面にバスを横付けして、登城スタート。

marugame02亀山城 大手口。手前の門が大手二の門(高麗門)、右側に見える櫓が大手一の門(櫓門)。枡形虎口になっている。

marugame03大手口正面へ。正面奥に石垣の大壁と天守が見える。THE城、という感じ。

marugame04大手二の門へ続く土橋上から、内堀の石垣を見る。丸亀城に残る石垣の殆どは、山崎氏以降の再築時代のものという。

marugame05枡形虎口へ入り、大手一の門を見る。二階には太鼓が置いてあり時を知らせていたことから、太鼓門とも呼ばれるとのこと。お城の顔というべき大手門、石垣も切込ハギでしっかり作られている。

marugame06大手一の門、二の門 説明プレートが埋めてあった。京極氏入国時代にこの地に大手門を移したという。1670年頃建築、現存。なお、丸亀市HPによると城内の観光案内所に頼めば楼門の中を見せてくれるようだが、訪問時は知らず未訪問。残念。

marugame07大手一の門を越えて、山下曲輪へ。山の下の曲輪なので山下曲輪とのこと。右へ進めば番所長屋などがあり、左へ進めば山上の城へと進む。曲輪の奥に派手な人たちがいる。

marugame08丸亀城バサラ京極隊の皆さん。公式HPによると、主に土日に城内でミニライブや記念写真撮影などをしているという。HPの写真と見比べて、左から順に京極高或、お初、京極高朗、と思われる。お初は茶々・初・江の浅井三姉妹の次姉で、関ヶ原で功績を挙げ小浜8万石に出世し大名京極氏の基礎を作った京極高次の嫁さん。京極氏が丸亀に来たのは3代高和の時代(小浜→松江→龍野→丸亀)なのだが、細かいことはいいか。

marugame09山下曲輪にある、丸亀城の歴史および年表。予習していこう。

marugame10まずは山上の天守へと向かう。こちらは山下曲輪から山上の三の丸へと続く、通称「見返り坂」。公式HPによると、傾斜が急で時々立ち止まって振り返りたくなることからこの名がついたとのこと。

marugame11見返り坂を登る途中、右手に見える高石垣の壁は、三の丸石垣。扇の勾配でそびえ立つ。

marugame12隅は算木積み(石材の長辺と短辺を交互に積み重ねる方法)できっちりと揃えられている。

marugame13三の丸石垣はずーっと奥まで続いている。パンフによると、ここは20m以上の高さを持つ石垣が続く、城内でもっとも高い石垣という。

marugame14見返り坂が三の丸石垣に沿って曲がるところに、小さな石をびっちり積んだ石積みを発見。現地ガイド氏に聞くも詳細不明。

marugame15更に見返り坂を進むと、左手の櫓台と思われる石垣にあからさまな修復跡が残っていた。ウェザリング(模型用語だけど)で色調を合わせて欲しかった。

marugame15a見返り坂の途中、右側に、低い石垣が守る細い道を発見。ここを進むと三の丸の北側にある二の丸搦手に出るようだ。帰りはこちらから出るとしよう。

marugame16三の丸。見返り坂から三の丸に入ってすぐ右へ曲がると、二の丸へと続く虎口がある。なお三の丸の南側には井戸跡や月見櫓跡、三の丸搦手口などが残るようだが、今回は未訪問。このまま二の丸から天守の建つ本丸へと進む。

marugame17三の丸→二の丸の食い違い虎口。道がカギ状に曲がり、往時は櫓門や多聞櫓に囲まれていたのだろう。

marugame18左、右と曲がって、二の丸へ。

marugame19こちらが二の丸曲輪。往時は多聞櫓や隅櫓で周囲を囲まれていたという。右奥に本丸の石垣と天守が見える。冬の枯れ木ならではの景色。

marugame20二の丸唯一の遺構、二の丸井戸。立て札によると、絵図には深さ三十六間(一間=1.8m、三十六間=約65m)とあり、日本一深い井戸といわれ、現在も水をたたえているとか。また、丸亀城の高石垣を築いた羽坂重三郎が敵に通じるのを恐れた城主(生駒親正とも、山崎氏〜京極氏の再建時とも言われるが詳細不明)によりこの井戸の中で暗殺されたという伝説が残るという。ひどい話だ。

marugame21井戸内部。円形に綺麗に石垣が積まれている。65m下まで石垣が続くのだろうか?

marugame22二の丸北側から本丸石垣および天守を見る。この櫓台の上に櫓が建っていると、この位置から天守はほとんど見えない。

marugame23本丸北東の櫓台石垣を見る。冬季で枯れ木のため、枝の隙間から透けて石垣全体が見える。城跡に来るなら雪の降る前の冬季に限る。

marugame24二の丸から本丸への入口。あがるとすぐに天守があるようだ。

marugame25本丸へ。天守を含め四隅に櫓が建ち、多聞あるいは土塀で繋がっていたようだが、天守以外は残っていない。

marugame26丸亀城 天守閣 説明板。達筆の手書きで読みやすく良い感じだ。各層に関する詳細なサイズ等が記載されている。昭和25年の解体修理時に壁の中から「万治三年三月」と墨書きされた板札が発見されたことから、山崎氏着工の再建工事が京極氏によって完成されたことが判明したという。

marugame28本丸中央付近から天守を眺める。三重三階、千鳥破風と唐破風が東西・南北に1つずつ付けられた、シンプルな櫓だ。

marugame29少し近づいてみる。壁はほとんど白漆喰の塗られた白亜の天守だが、1階の一部面のみ黒い下見板張りとなっている。北側(写真の反対側)には石落としもある。

marugame31本丸北西角の櫓台から天守を見る。

marugame31aでは、いよいよ天守内部へ。入城料200円也。

>> 丸亀城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2013年12月

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