今治城 [前編]

関ヶ原で功績を挙げた藤堂高虎は家康より伊予半国20万石を与えられ、大洲から今治へ移り瀬戸内海に面した海岸沿いに今治城を築いた。日本第一の海城と言われる。その後、高虎は津22万石へ加増転封となり、同時に天守を解体。1610年、天下普請の丹波亀山城建築に当たり、解体された天守は丹波亀山へ移築された。城は明治維新後に破却、内堀と一部の石垣のみが残る状態だったが、1980年(昭和55年)以降、天守を始めとする櫓・門などが再建された。2007年(平成19年)に再建された鉄御門は史料を元に忠実に復元された。

imabari_cover<基本データ>
●名称: 今治城(別名 吹揚城)
●所在: 愛媛県今治市(マップ
●築城: 藤堂高虎
●竣工: 1604年(慶長9年)
●遺構: 石垣、堀
●情報: 今治城HP今治観光協会

<訪問記>

ぐるっと四国一周バスツアー 7城目は、道後温泉そばの湯築城からバスで北東へ約1時間、しまなみ街道への入口にある今治城へ。朝イチに見た湯築城が堀と土塁の中世平山城だったため、次はあの藤堂高虎が建てた近世海城ということで期待が高まる。

imabari01今治城正門へ向かう土橋の前へ立つ。まっすぐな道と、強固な石垣と枡形に守られた正門が期待を煽る。

imabari03枡形の入口には往時、高麗門が建っていたようだが再建はされていない。右奥の黒い門は鉄御門(くろがねごもん)。パンフによると、正面の巨大な鏡石を含め、鉄御門の石垣は明治期にほとんど撤去されていたため、門の再建時に築城当時の野面積みで復元したとのこと。鏡石は勘兵衛石と呼ばれ、築城奉行を務めた渡辺勘兵衛に由来するとのこと。

imabari04鉄御門へ。その名の通り、全面木部全体に3mmの黒い鉄板を鋲で打ち付けた力強い門だ。

imabari05鉄御門 説明板。なぜか半透明になってて微妙に読みづらい。鉄御門再建は今治城築城開町400年記念の事業として平成15年に計画され、4年かけて完成。古写真、古文書、そして発掘調査の結果に基づき、できるだけ往時の姿を模して再建したとのこと。発掘で出土した礎石は、破損していない限り、元の位置に戻して再利用したという。すばらしい。

imabari07鉄御門前に展示されている出土した遺構礎石の一部。2つ展示されているが、右側の石を見ると上部は平面に整えられ、右側は直角に段差が付けられていることが見て取れる。石灰岩。

imabari08遺構礎石 説明板。出土した石は鉄御門の正面鏡柱および背面控柱の礎石で、石灰岩に割れが入っていることから再利用を断念し、展示したという。

imabari09鉄御門を通過。鉄板が貼られているのは正面だけ。二階の櫓から死角になる門の入口付近には、ちゃんと石落しも再現されていた。

imabari10b鉄御門を越えると二の丸へ。現在は広場になっているが、ここから見る本丸の天守(模擬)と、二の丸に建つ藤堂高虎公の騎馬像のコラボが素晴らしい。高虎公は後ほどゆっくり見るとして、先に天守へ向かう。

imabari13天守のある本丸へは、二の丸の奥から入る。二の丸の奥には城主が住む御殿が建っていたようだが現在は石碑等が建つだけで建物は何もない(角の御金櫓は復興されている)。

imabari14本丸正面の本丸御門前へ。本丸に入る前にいろいろ説明看板があるようなので、それらを見て予習していこう。

imabari15本丸御門前にある城内マップ。内堀の中に浮かぶ二の丸・本丸がそのままそっくり残っているようだ(石垣は主郭部の一部のみ現存とのこと)。本丸内は模擬天守と、吹揚神社の境内となっている。

imabari16本丸御門へ。現地ガイド氏曰く、天守は高虎時代には本丸の中央に建っていたようだが、天守台(石垣)がなく跡地には神社が建てられたため、再建された模擬天守は本丸北端の北隅櫓跡の櫓台上に建っているとのこと。

imabari16a本丸御門前の今治城沿革 説明板。高虎が建てた5重の天守はその後 丹波亀山城の天下普請の際に移築され、明治になって建物は破壊されたため残っていない。

imabari17本丸御門を入って本丸内部へ。これは本丸御門を内側から見返した姿。

imabari18本丸内は主に吹揚神社の境内となっている。

imabari19今治城 現天守。昭和55年に再建された模擬天守。当時の高虎天守に関する詳細な史料が残っていない(天守が建っていたという文書以外の物的証拠もないらしい)ため、やむなく模擬天守となったとのこと。移築されたという丹波亀山城古写真では破風などが一切ないシンプルな層塔型天守だったが、模擬天守には大きな千鳥破風がついている。さて当時の今治城天守は果たして。よく見ると、石垣(北隅櫓台)よりも一重目の建物の方が大きく、かなりせり出している凄い構造になっている。

imabari20天守の中は今治城・今治藩の歴史資料館となっており、内部はコンクリートのため建物自体に見るべき場所はなく、展示物も写真NGのためあまり記憶に残っていないが、珍しい「花押のハンコ」があったことを覚えている。こちらは最上階の展望台エリア。櫓台の上に5重の天守を建てているので、当時の高虎よりも高い位置からの景色を楽しめるのかもしれない。

imabari22鉄御門の反対側、城の北西部にあたる、山里櫓とその裏側にある山里門の様子。山里門は橋の手前にある門ではなく、山里櫓に付随している門(この角度からは見えない)。

imabari23鉄御門 方面。門だけでなく、付随する長大な多聞櫓までばっちり復元されていることが分かる。先端に建つ二階櫓は武具櫓で、天守と同時期の昭和55年に再建されたもの。

imabari24南東方面。角に建つ二階櫓は御金櫓、昭和60年に再建され、内部は郷土美術館になっているとのこと。

imabari25北東方面。本丸内に建つ吹揚神社。表から見るよりずっと大きい、立派な神社だ。

imabari26展望台エリアに掲示してあった今治城の特徴。砂が吹き上げられて出来た砂浜に建てたことから、吹揚城という別名があるとか。砂浜に巨大な城を建てるとは、高虎もさぞかし苦労したことだろう。また石垣には犬走り(堀と石垣の間の細い空間)があるという。犬走りといえば彦根城岸和田城が有名。降りた際に確認しよう。また海水を堀内に引き入れていることから、堀の中を海水魚が泳いでいるという。鯛や平目、チヌやボラやウナギまで…!

imabari27今治藩の推移。今治城天守は、高虎が津へ加増移封となったと同時に解体された(移封先で再利用するつもりだったようだが天下普請で丹波亀山城を造ることになったためそちらで使用)。今治に天守があったのは築城からわずか5−6年だったようだ。

天守はこれぐらいにして、二の丸へ戻り、高虎公の銅像を眺め、そして忠実に復元されたという鉄御門および多聞櫓の内部を見学する。

>> 今治城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2013年12月

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