湯築城 : 伊予国守護・河野氏の拠点だった中世山城。

湯築城は、伊予国守護・河野氏の居城。鎌倉幕府の有力御家人だった河野氏は、南北朝期にここに城を建て居城とした。近隣の有力大名である大内氏・大友氏・毛利氏などと同盟を結び伊予支配を維持していたが、1585年の秀吉の四国攻めで小早川隆景に包囲され、河野軍は降伏・開城。その後、福島正則が湯築城に入るもすぐに国府城へと移り、湯築城は廃城となった。遺構は土塁と内外堀、温泉街のど真ん中に良好に残る「土の城」。

<基本データ>
●名称: 湯築城 (Wikipedia)
●所在: 愛媛県松山市(マップ
●築城: 河野通盛 ?
●竣工: 南北朝期(14c前半)
●遺構: 堀、土塁
●情報: 日本100名城 No.80 (一覧)


<訪問記>

ぐるっと四国一周バスツアーもいよいよ最終3日目。今日は計4城も見るのでサクサク行きたい。まず最初(6城目)は、昨日ラスト(5城目)に訪問した松山城の目と鼻の先にある湯築城跡。城跡は道後公園として整備されており、公園の前には路面電車の道後温泉駅がある。

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湯築城跡の入口。湯築城跡は道後公園として整備されており、ほぼ公園の敷地内が当時の城跡とのこと。中央に丘陵があり、周囲に二重の堀と土塁を巡らせた平山城で、南北350m、東西300mの当時の縄張りがほぼ残っているらしい。ちなみにこの入口は西側にあり、現在の道後公園の正面入口になるが、当時の湯築城はここが搦手口で、大手口は反対の東側だった模様。

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湯築城跡の入口は、両側に土塁が盛られていて虎口になっている。

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搦手の土塁を裏側から。入口に湯築城のノボリが立っていたことに気付く。

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道後公園(湯築城跡)案内図。右半分の赤破線のエリアが復元区域とのこと。土塁は遺構と説明にあったが、きれいに復元(整形)した部分も多いのだろう。

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湯築城跡 説明文。14世紀前半頃に河野通盛により築城されたと伝わる。詳細は文献が無く不明だが、遅くとも建武年間(1334-1338)には建っていた模様。秀吉の四国攻めで開城するまでの約250年間、ほぼ河野氏が支配していたようだ。

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復元区域の最初は湯築城資料館。入場無料。手前の土塀は、発掘調査で出土した土塀跡の上に、当時の工法で建てたらしい。土塀の上部が少し太くなっているのは屋根の重みで崩れないようにする当時の技術だとか。

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資料館の中へ。2部屋あり、手前がパネルや出土品の展示部屋、奥は河野氏の栄枯盛衰が分かるビデオシアター。まずここで10分ほどのビデオを見る。ビデオ自体は再現ドラマでしっかり作られている。室町〜戦国期の伊予の歴史に精通していないと、似たような名前が多く出てきて難しいかも。(河野通*という名前が多い)。写真は手前の部屋にあった湯築城跡の模型。中央の丘陵の周りに内堀と土塁を巡らせ、その周囲に屋敷などが並び、更に外側に巨大な土塁と外堀とで守られた城だ。

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先ほど入ってきた搦手の土塁側から見てみる。絞り開放のまま撮ったため土塁がボケてしまったが、雰囲気は分かる。ちなみに山城があったと思われる丘陵部は復元区域に入っていないようだ。訪問時は雨だったので登らず。

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資料館はこれぐらいにして、外へ。雨なのでサクサク回る。こちらは2棟ある武家屋敷のうちの1つ。発掘された礎石の配置から間取りなどを再現したという。非常に整備が行き届いている印象。

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武家屋敷2 説明板。図面を見るとここが屋敷跡だと分かるが、実際の現場写真を見ると、さすがは専門家、ここからよくそこまで分かるなと舌を巻く。

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武家屋敷2 内部。パネル展示と出土品の展示。

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隣の武家屋敷1の内部は、2とは異なり、武士たちの人形で生活模様を再現したつくりになっていた。こちらは連歌を楽しむ様子とのこと。左奥の坊さんは良い歌が思い浮かばず悩んでいるのか、居眠りしているのか。

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武家屋敷の庭には、写真の円形石積遺構や、石組みの排水口などが再現展示されている。写真の石組穴は一見井戸か便所のようにも見えるが、井戸だとすると湧水層まで穴が達しておらず、また便所だとしても見つかるはずの寄生虫の卵が見つからず、利用目的は不明だとか。

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武家屋敷エリアを出て奥へ。内堀の土塁が立派だ。

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内堀・内堀土塁 説明板。

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内堀土塁と内堀を内側から。内堀は最深部で3mあるという。見た目からの想像より深い。

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武家屋敷エリアの奥は、上級武家屋敷エリアとのことで、庭園やあずま屋(休憩施設)が設置されている。こちらは平面復元とのことで、上級武家屋敷が建っていた場所が指示されているだけに留まる。

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外堀土塁の途中に一部中に入ることが出来る場所があった。土塁の中が見られる設備は珍しい。外の説明板によると、外堀土塁はこの付近が最も保存状態がよかったことから、中を割って調べることにしたとのこと。

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土塁内部。壁の片面は、土塁の作り方の説明や層別の説明など。

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外堀土塁の築造に関する説明板。当時の外堀土塁は規定幅20m、高さ5m、長さ900mの巨大な壁で、300人で掘っても6ヶ月かかる規模だとか。絵を見ると、いかに土塁が大きいかが分かる。

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パネルの反対側の壁は土塁のリアル断面。一番下は弥生時代の地層で、その少し離れた上部にもまた弥生時代の地層を掘りあげたものがあるらしい。正直あまりピンと来ない。うーむ。

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内堀の東のほうは、岩肌が露出して庭園のような雰囲気になっている。付近は上級武家屋敷とのことなので、往時も自然を借景にした庭園だったのかもしれない。

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復元区域の一番奥は、遮蔽土塁が再現されている。遮蔽土塁の出口付近には門があったのだろう。

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遮蔽土塁 説明板。遮蔽土塁本体は現場写真を見るとどうやら復元したようだが、土塁の手前にある排水溝跡は「実物展示」とわざわざ書いてある。

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こちらが排水溝跡。この石積みのうち、下半分程度が現物とのこと。うーむ。

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遮蔽土塁の奥は大手口になっているとのことで来てみたが、城の遺構らしきものはなく、普通の公園の入口だった。

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以上、資料館でビデオも見て復元区域を写真とりながらぐるっと回って約40分ほどで終了。

城も城主も全国的にはあまり知られていないと言える湯築城。日本百名城に認定され一気に知名度を上げた。道後温泉の近くという市街化された場所で、これだけの規模の中世平山城が、ほぼそのまま完存しているという事実には驚かされた。お城=天守閣、という感覚の一般の方にはなかなか理解が難しい場所かも知れないが、スタンプラリーを機に訪問して中世城館の魅力に一人でも気付いていただければ、と感じた。素晴らしい整備をこれからも続けていただきたい。

訪問時期:2013年12月
撮影機器:SONY NEX-C3
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