大洲城

鎌倉幕府の北条氏より伊予国の守護に任ぜられた宇都宮豊房は、大洲の地蔵ヶ嶽に城を築き居城とした。戦国の世に多くの城主変遷を経て、藤堂高虎脇坂安治が城主を務めた頃に4層天守を持つ近代城郭として整備された。明治維新後に城は破壊されたが、4つの櫓が現存、また天守は古写真や当時の木組模型などの史料を元に平成16年に史実に忠実な形で再建された。

ozu_cover<基本データ>
●名称: 大洲城
●所在: 愛媛県大洲市(マップ
●築城: 宇都宮豊房
●竣工: 1331年(元弘元年)
●遺構: 台所櫓等の4櫓(現存)、復元天守、石垣
●情報: 大洲城HP大洲市HP

<訪問記>

ぐるっと四国一周バスツアー 4城目は、宇和島城から松山自動車道で北へ約1時間。肱川(ひじかわ)沿いに高石垣を構える大洲城へ。

ozu00大洲城 南東の駐車場から散策スタート。いかにも城の虎口なこの曲がり角は、大洲城天守の真南にあたる櫓下御門(二の丸大手門)跡。この向かいは古地図によると内堀で、今通ってきた道は土橋だったようだ。当時から道が左(西)へ曲がり、東向きに櫓門が建っていたようだ。向かいの白い建物は大洲市民会館。

ozu01a櫓下御門跡を越えると、復元土塀の向こうにそびえる高石垣と天守が見える。天守は平成の復元だが、天守手前の高欄櫓、右側の台所櫓は江戸時代からの現存。なおこの写真の右側にある下台所は保存整備のため工事中だった。

ozu03天守の見える本丸へ向かう途中、左側にぐるっと取り囲むような石垣が見える。二の丸御殿跡。説明板によると二の丸は上の曲輪と下の曲輪に分かれており、写真の石垣は上の曲輪。上には裏御殿(城主の住居)、下には表御殿(政治執行場所)が建っていたとのこと。

ozu06aさらに上にあがると高石垣の上に建つ天守がより見えてくる。良い天気も相まって、しばし格好良い天守を眺める。

ozu07二の丸の端っこにある白い建物は、御門番長屋。説明板によると、曲輪内の仕切り塀の門に付属する長屋で、門番が詰めていた長屋とのこと。外観再現。

ozu09二の丸の奥から坂道をあがると本丸へ。本丸に入って最初にある曲輪は井戸丸、説明板によるとここには「かま櫓」と呼ばれる二層の櫓が建っていたようだ。

ozu10古絵図によると、かま櫓跡の東側は往時は石垣と門で遮られていた。今は門と石垣が一部取り払われ、一直線に天守まで行くことができる。こちらが残る石垣の一部。

ozu11ここの門の説明板。「暗り門跡」。説明板によると、天守に至る最終の城門で、門の正面は石垣で遮られ、門の中で道は左に折れ曲がり、その上に渡櫓があったことから文字通り門の中は暗がりだったとのこと。この道の下には、暗り門正面の石垣が発掘されたという(埋め戻したようで至極残念)。

ozu12暗り門跡を越えると本丸最上段。天守とそれに続く2つの櫓の真正面へ。建物は中で繋がっており、自由に行き来できる。入城は写真右端の入口から。

ozu15天守内へ。入口右手には料金所、正面には元禄五年に描かれた大洲城絵図と、復元天守の木組模型がある。こちらは絵図。

ozu15a元禄五年大洲城絵図 説明板。幕府に提出された有名な正保絵図(1644年頃)は天守が3重で描かれているが、この元禄五年(1692年)絵図には4重で描かれている。ではこの50年の間に3重から4重に変えられたのかというとそうでもなく、寛永4年(1627年)の隠密記録にも既に天守は4重と記されていることから、元々大洲城の天守は4重で、正保絵図で当時の城主加藤氏は天守を3重と偽って報告したことになる。実に興味深いことが、この小さな説明板にスラっと書いてある。

ozu15a大洲城の歴史 説明板。時代と共にめぐるましく城主も変遷した大洲城において、各城主の時代ごとの説明がなされている。高虎の頃まで大洲は大津と呼ばれていたが、高虎の後に入国した脇坂安治は前任地が本だったため彼が地名を大津から大に変えたのではないかという説があるという。

ozu16a復元天守を通り抜けて、まずは奥の高欄櫓から観覧。大洲城で唯一高欄(欄干)を持つ櫓からこの名が付いたとのこと。5枚前の写真を見直すと、高欄櫓の2Fに高欄が見られる。

ozu17高欄櫓1F。階段下にある3つの巨大な木材は、復元天守の建築に用いられた材木の断面とのこと。左から順に「心柱用の桧(樹齢250年)」「梁用の木曽桧(樹齢350年)」「土台用の栗(樹齢120年)」。

ozu18高欄櫓2Fへ。曲がった巨大な梁の奥に、丸瓦の内側が見える。

ozu19高欄櫓2Fから大洲城南面を望む。正面奥に見える三角屋根の奥あたりに、現存4櫓の1つ、三の丸南隅櫓がある。正面手前の東西(左右)に延びる道の向こう側あたりが当時の内堀、その手前が二の丸で、奥が三の丸。高欄櫓からは二の丸および三の丸の各御殿・武家屋敷が一望だったようだ。

ozu20天守の復元に関する説明板。詳細な絵図と古写真、そして現存するのは珍しいという当時の棟梁が作成した天守雛形。これらが揃っていたからこそ、往時の姿を正確に復元できたとのこと。

ozu21天守1Fの様子。先ほど断面を見た樹齢350年の巨大な木曽桧の梁が堂々と横たわる。

ozu22天守2Fへの階段。

ozu23天守建築中の様子を表した模型。城に模型はよく似合う。

ozu23a階段の踊り場から二階を見上げる。お城には珍しく、天守1Fと2Fの中央部分が吹き抜け構造になっている。

ozu242Fから吹き抜け構造を見下ろす。

ozu262Fから3Fへの階段。ここから城らしい急傾斜になる。階段右側の説明板は、各柱の材木の寄付者を示している。

ozu25階段の急勾配を注意する看板は、ちょんまげ武士。

ozu27天守4F最上階へ。非常に太い梁が最上階上部を貫いている。梁の上にのっている弓矢のようなものは、上棟式に使用した祭用具とのこと。

ozu28梁の上にはネズミをかたどった木彫り人形が隠されていることが最近わかったが、下からは見えないため、鏡を設置して梁の上が見えるようになっていた。たしかに木彫りのネズミが居る!

ozu29梁の上のネズミに関する説明パネル。愛媛ローカルニュース(TV)で紹介されたようだ。現地ガイドさんの説明によると、木彫りネズミが居ることは棟梁と作った大工しか知らなかったそうで、棟梁がTV出演した際に大洲城の秘密として話した模様が放映されたらしく、ガイドさんもTVで放映されるまで知らなかったとか。

ozu30階段を降りる際に見つけたもう1つの頭上注意看板。おもしろい。これを見ていて頭を打ちそうだ。

ozu31再度、大洲城天守の外へ。天守と両櫓を見返す。写真撮影用に、大洲城の看板が正面に立っている。

ozu32大洲城の看板の裏側。簡単な沿革と、復元に必要だった古写真・模型・古絵図が掲載されている。古写真は、北側から見た図のようだ。

ozu33天守の姿をもう1度。南側の高欄櫓と天守。

ozu34東側の台所櫓と天守。

ozu35天守台から1段降りて、暗がり門跡付近から天守・高欄櫓を見上げる。こちらから見ると黒い高欄がよく見える。モノトーンが美しい。

ozu36c下山前に、古写真にあった北側から見た大洲城天守を見ようと北側曲輪へ廻ってみたが、樹木が高くてうまく撮影できず。北西方面から見た天守の図。右下の建物は長屋風トイレ。

スケジュールの関係で現存4櫓の残りの2つ、苧綿櫓(おわたやぐら)と三の丸南隅櫓には訪問できなかった。

訪問時期:2013年12月

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中