宇和島城 [前編]

宇和島城は、秀吉から伊予7万石を与えられた藤堂高虎が中世城郭だった板嶋丸串城を大改修し、望楼型天守を持つ近世城郭として1601年に完成した。その後、伊達政宗の長男秀宗が伊予10万石で入国し、2代宗利の頃に層塔型天守へと改修。街は伊達十万石の城下町として栄えた。明治になり建造物は天守・追手門を除いて解体、堀は市街化で埋没。昭和20年の米軍による無差別爆撃で追手門焼失。現在は天守および石垣、慶長期の城門 等が残る。

uwajima_cover<基本データ>
●名称: 宇和島城
●所在: 愛媛県宇和島市(マップ
●築城: 藤堂高虎(創建)、伊達宗利(大改修)
●竣工: 1601年(慶長6年)、1666年(寛文6年)
●遺構: 天守、石垣、上り立ち門、長屋門、井戸跡
●情報: 宇和島市城山を守る会観光協会

<訪問記>

ぐるっと四国一周バスツアー2日目(3城目)は、高知から出発して高知自動車道、途中から降りて山道をたどって西へ進むこと約2時間半。四国西南地域の拠点・伊達家の宇和島城からスタート。

uwajima00宇和島城は平山城で、堀を含め平地部分の遺構はほぼ失われているが、山上に築かれた石垣や曲輪、そして天守が現存する。登城口は北と南の二箇所ある。今回は南側から登城し、ぐるっと廻って北側から出るルートを辿る。南側登城口の入口に建つ「宇和島城の沿革」説明板で予習。縄張りは藤堂高虎、現存する天守は伊達家によるもののようだ。

uwajima01南側登城口に建つ「上り立ち門」。のぼりたちもん。こちらは城の搦め手(裏口)にあたり、パンフによると武家の正門とされる薬医門とのこと。全国に現存する薬医門の中では最大級で、なおかつ創建年代が慶長期と想定されるらしい。高虎の時代に造られた門が、目前に。瓦の紋は9つの丸から成る「九曜紋」。宇和島伊達家の家紋だ。

uwajima01a上り立ち門 説明板。昭和38年に設置された古い手書きの看板だが今もしっかり読める。パンフには創建は慶長期(1596−1615)とあったが、説明板には寛文年間(1661−1672)とある。明確な物証がなく、どちらも想定されるということか。

uwajima02上り立ち門を越え、いざ城郭へ。長い石段が続く。天守まで570m。

uwajima03石段は例によって幅が均等でなく実に登りづらく出来ている。ガイドさんの話によると、幅の小さな石段部分は近年の観光地化による改修で、元々の石段は横の草地まで伸びている石の部分の幅だったとのこと。幅も広く段差も高い。これは登りづらい。

uwajima04石段を登りきると、いよいよ石垣が見えてくる。石垣の緑はコケではなく小さな葉っぱがビッシリ付いた状態。宇和島城独特の雰囲気を醸し出している。

uwajima05宇和島城保存整備事業の看板。リアルな宇和島城全景(山城部)のイメージ図がうれしい。

uwajima06式部丸という曲輪の石垣。小さな葉っぱがびっしり石垣の表面についていて、独特の質感を出している。

uwajima07山道を進んでいくと、大きな石垣へぶつかる。長門丸と呼ばれる曲輪付近の石垣だ。先ほどまで見られた石垣にびっちり付いた緑の葉っぱが見られなくなった。整備されているのか、自然環境が異なるのか。

uwajima08このあたりはパンフの地図によると長門丸門・右矢倉などが建っていたあたりのよう。特に説明板等は無かった。石垣の積み直しをしているのか、石材が地面に散乱していた。

uwajima09ここから道が折れ曲がり、更に上部の天守方面へと進む。登る前に付近を散策。

uwajima10石段の左側にそびえる高石垣は、その上の藤兵衛丸という曲輪を構成するもの。現在は郷土博物館になっているようだ。上に見える白い壁は土塀ではない。

uwajima11石段の向かい側にある長門丸。今は児童公園になっていて、管理事務所などが建つ。またこの奥から長門丸の北側をぐるっと廻って北登城口へ出るルートもあるようだ。

uwajima12では、天守へ続く石段へ。石段の先は右に道が折れ曲がり、食い違い虎口になっている。当時は矢倉に囲まれていたのだろう。

uwajima13虎口の先は雷門跡。左側に見える白い建物は幕末創建の山里倉庫、現在は郷土博物館。

uwajima15山里倉庫。パンフによると幕末の弘化2年(1845年) に建てられた武器庫で、昭和41年に伊達家より譲渡、ここに移築され郷土博物館として一般公開されているという。中には民俗資料などが展示されているということで、あまり城には関係がなさそうなので時間も無いことから今回はスルー。入場無料。

uwajima16雷門を越えまっすぐ続く石段を登って行くと、奥に天守が見えてくる。右側は崩落があったのか修復中なのか、大きくかけられたブルーシートが痛々しい。

uwajima17石段は右へ曲がる。向かいの石垣は先程までの野面積みとは異なる打込ハギとなっており、伊達家による改修の成果と思われる。その上には御書物矢倉が建っていた模様。石段の先は三の門。

uwajima18三の門付近から見た本丸石垣。まさに聳え立つ城壁だ。石段はぐるっとヘアピンカーブを描いており、この三の門付近を通る敵兵は石垣上の矢倉から一斉攻撃を受けたことだろう。(高虎の築城後、宇和島城での戦闘記録は無し)

uwajima19天守のある本丸へは、ヘアピンカーブの向こう側から入る。本丸石垣は野面積みだ。

uwajima19aふと振り返って本丸石垣を見ると、向こうに立派な白亜の天守が見えた。本丸手前の石段上から見るこの場所は撮影スポットとのこと。

uwajima20石段を上がりきると本丸の石垣の手前に小さな削平地がある。二の丸 跡。写真を撮った石段の最上段あたりは、二之門が建っていたようだ。

uwajima21二の丸跡 説明板。ヘアピンカーブになっていたので、ちょうどこの真下が雷門跡にあたり、そこを通ってくる敵兵を上から迎え撃つ施設にあたるとのこと。本丸の周囲をぐるっと回るように構成された帯曲輪にも直結している。発掘調査の結果、幕末期に改修した跡がいくつか出てきたとのこと。

uwajima21a二の丸の最北端には、御算用矢倉跡の礎石が残る。この真下が雷門跡。

uwajima22御算用矢倉跡から見る、本丸石垣と天守。すばらしいロケーション!冬でなければ手前の木が葉が生い茂ってうまく見えなかったことだろう。冬の城跡はモノクロで寂しい感じもするが、見晴らしがよくて好き。

uwajima24本丸への入口前へ。こちらはしっかりした打込ハギ。石段も実に綺麗に積まれている。石段の上には櫛型門(一の門)が建ち、左右の櫓台の上には矢倉が建っていたので、往時ここから天守は見えなかった。

uwajima25いざ本丸の上へ。天守を見る前に振り返ると、北西方面には宇和島港が見える。高虎創建時は城の周囲は大半が海だったとのことだが、少し雰囲気を味わえる。そして、左端には、なぜか天守と反対向きに建つ「宇和島城」の碑。

そして、いよいよ現存天守へ。

>> 宇和島城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2013年12月

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中