高知城 [後編]

高知城 [前編] の続きです。

  • 前編・・・山内一豊公像〜追手門〜杉の段〜三の丸〜二の丸
  • 後編・・・橋廊下から本丸、天守へ

<訪問記>

kochi34二の丸から本丸へは直接行けず、この橋廊下を渡る必要がある。

kochi35橋廊下の出口は埋門風になっていて、頑丈な扉で守られている。有事はここを埋めて壊してしまえば、天守に行くには搦手にあたる黒鉄門ルートか、直接石垣を登るほか無くなる。

kochi36橋廊下を越えて本丸へ入ると、目の前に天守と本丸御殿が姿を見せる。本丸の周囲は多聞櫓で囲われている。

kochi37天守アップ。この時点で16:20、天守への入城は16:30まで!

kochi38本丸・天守 説明板。本丸のすべての建造物が完全な形で残されているのは全国12の現存天守の中でも高知城だけという。また天守台がなく、本丸北面の石垣の上に直接建てている。4重6階。

kochi39御殿受付で入城料(御殿、廊下門、多聞櫓、天守セット)400円を支払い、100名城スタンプを押して、いざ御殿内へ。御殿は初代山内一豊公が一時期住んだとも言われるが、二の丸御殿・三の丸御殿もあったため、ここを利用することは普段ほとんど無かったのではとのことだ。

kochi40御殿内にある、藩主との謁見の間。武者隠し。「者共 出会え出会え」の掛け声で、ここから護衛侍が飛び出る仕掛けだ。

kochi42a御殿まわりの土塀に作られていた「物見窓」。説明板によると、鉄砲狭間から覗いているだけでは敵全体の動向が把握しづらいため、横幅一間の武者窓を用いて本丸東南の物見を引き受けていたとのこと。城郭では珍しく、現存するのは高知城のみとのこと。

kochi43天守内へ。天守1Fには出土した瓦などが展示されている。こちらは三つ葉柏紋 鬼板瓦。三つ葉柏は山内氏の家紋。

kochi44パネル展示もなかなか豊富。ぎりぎり入城だと読みきれない。こちらは南北朝の大高坂松王丸時代と、戦国の長宗我部元親時代を解説。戦乱により松王丸は戦死、大高坂城は落城。その後、土佐を平定した長宗我部元親は大高坂山に築城するも、治水に悩みわずか数年で未完成のまま浦戸城へ移ったという。

kochi45高知城 築城工事。築城時、一豊は工事の様子を見に行く際、同じ格好をした5人の家臣を連れて行ったという。長宗我部の残党からの襲撃を防ぐための影武者作戦で「六人衆」と呼ばれたそうだ。

kochi46高知城 築城の様子の大きなジオラマ。当時、あれだけの石垣を積みあげることは実に大変な作業だったということがよく分かる。

kochi47階段は他の城と違わず急。要注意。

kochi47a二階は高知城 完成後の巨大ジオラマとパネル展示。

kochi48高知城ジオラマ。今は無い三の丸の入口にあたる鉄門が、まさに高知城の防衛の要だったことがよくわかる。

kochi49天守3Fの小窓から外を見る。

kochi50山内一豊公の転戦図。信長の浅井朝倉攻めから、播磨〜中国攻め、山崎の戦いを経て、秀吉の賤ヶ岳の戦い、紀州雑賀攻めまで、まさに全国転戦。

kochi51shati天守4Fの小窓からは、下層の大入母屋破風の上に鎮座する東西2体の鯱を直接見ることが出来る。阿吽に分かれており、口を開けている方が阿(オス、写真右側)、閉じている方が吽(メス、写真左側)。青銅製。高知城ホームページによると、1792年の大暴風雨で墜落、鉄門上にあった役人控所の屋根を貫いたとか。こわっ。

kochi52天守最上階へ。最上階から二の丸方面を見下ろす。さすがの高さだ。先ほどの鯱が貫いた鉄門上の役人控所は、写真右下あたりか。

kochi53真っ黒の欄干と擬宝珠(ぎぼし)。当時の手すりはかなり低く、現在は鉄製の手すりがついているが、それでも他の天守のように金網で覆ってあるわけではなく、風がきついとちょっと怖い。

kochi54最上階にあった説明板。先ほど見た真っ黒の欄干および擬宝珠は漆塗りとのこと。最上階にぐるりと回る高欄は当時、権威の象徴だったとか。

kochi56天守を降りて、東多聞を通って廊下門へ。東多聞内は通路になっているが、長宗我部と一領具足の銅像とパネルが展示してあった。一領具足とは長宗我部氏が運用した、平時は農民として働き、有事は与えられた具足をつけて戦場に赴くといった半農半兵制度のこと。具足(鎧兜)を一領しか持っていなかったためこう呼ばれたとか。というような一領具足の説明が何故かパネルに一切ない!「長宗我部氏と一領具足」というタイトルなのに。

kochi57その他、廊下門の中には主に幕末期の偉人の説明パネルなどが展示されていた。建物自体は江戸のものなのでご覧のとおり。手前のジオラマは当時のクジラ漁の様子。浜辺でクジラがリアルに解体されていた。

kochi58a天守を出て、本丸南西に建つ黒鉄門へ。パンフによると儀式の際に藩主が出入りするのに用いられた門とのことだ。その名の通り、黒い鉄板で扉が覆われていた。

kochi59三の丸奥で展示されている、長宗我部氏時代の石垣跡。やや小ぶりな石材で出来ている。埋め戻さずこうして展示してくれているのは有り難い。

kochi60長宗我部期石垣 説明板。三の丸の石垣改修工事に伴い発掘調査をしたところ出土したとのこと。山内一豊公が土佐に入国し高知城を築く際、元々あった長宗我部氏の大高坂山城の遺構を壊しその上に盛土をして高知城を建てたことが、この調査から分かったという。

kochi61yakei高知城 天守ライトアップをしていたので、三の丸まで出向いて撮影するも、ライトがキツすぎるからか、白飛びor真っ黒に…。

kochi62朝7時過ぎ、ホテルの窓から見た朝焼けの高知城。こうして見ると、なかなか本丸大きい。

kochi_omake3おまけ:城下町で見つけた居酒屋「長宗我部」。う〜ん、土佐!

kochi_omake1おまけ2:高知でよく見かけたポスター「リョーマの休日」。英語表記も本家に見習って「Ryoman Holiday」になってれば尚良かった。わざわざ行こう、というキャッチフレーズも良い感じ。高知城にはまたゆっくりと見に来たい。

訪問時期:2013年12月

高知城 [後編]” への2件のフィードバック

  1. 高知出身です。今は愛知県に住んでます。もちろん何度行った自慢のお城です。本当に行った気分になる構成でした。今度帰ったら久しぶりの高知城満喫したいです!

    1. まつさん コメントありがとうございます。高知城は現存状態も保存状態もすばらしく、地元の方の自慢のお城というのも頷ける堂々たる姿でした。この高知城の訪問記は数年前に作成した古いもので、今年の春に再訪して隅々まで回ってきましたので、いずれ全面的に書き直したいと考えています。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中