徳島城 [前編]

徳島城は、秀吉の四国平定で功績のあった蜂須賀家政が阿波国を与えられ、渭津(いつ)と呼ばれる地域に築城し、その地を”徳島”と命名したことに始まる。以後、蜂須賀氏は明治まで領地替えなく続き、築城当初の縄張りを多く残している。建物は明治に解体され、唯一残っていた鷲の門も昭和20年の米軍による無差別爆撃により焼失。見所は阿波特産の緑色片岩を多用した青く細長い石材による重厚な石垣。

toku_cover<基本データ>
●名称: 徳島城
●所在: 徳島県徳島市(マップ
●築城: 蜂須賀家政蜂須賀小六の長男)
●竣工: 1585年(天正13年)
●遺構: 石垣、内堀、曲輪、庭園
●情報: 徳島中央公園徳島城博物館

<訪問記>

四国には日本100名城に選定されたお城が9つもある。うち現存天守は4つ(丸亀・松山・宇和島・高知)。全国12棟ある現存天守の実に3分の1が四国にある。9つすべて見るには四国を海沿いにぐるっと回らなければならない。今回、ぐるっと四国を一周してくれるバスツアーに運良く参加できたので、2泊3日の強行軍で四国9名城めぐりを敢行した。

toku03まずは徳島城跡から。JR徳島駅は城跡の南西すぐにあるが、徳島城跡の入口(大手)は南東方面になる。内堀の脇に建つ城跡碑の前からスタート。石垣と同じく、特色ある緑色をした緑色片岩を用いた石碑だ。

toku01徳島城跡 案内板。当時2つの川に挟まれた標高61mの小高い山の上に建てられていたようだ。現在南側の川は埋められJR線路となっている。参加したバスツアーは、お城まで連れて行ってくれるだけでなく、現地ガイドの案内で山上の城跡はもちろん表御殿(博物館)や庭園めぐりもしてくれるまさに城マニア向けといった内容だった。(逆にお城以外の観光地や土産屋等には一切寄らない) これは期待大!

toku02内堀の外側から徳島城の石垣を見る。青いゴツゴツした重厚な印象の石垣だ。この角には月見櫓跡。

toku02a別角度。奥に見える石橋を渡って城内へ入る。当時は木造の太鼓橋で、この橋の手前で馬を降りないといけなかったことから「下乗橋」と呼ばれる。ガイドさん曰く、この下乗橋を馬に乗ったまま渡ることが出来たのは、藩主と産婆さん(一刻を争うため) のみだったという。

toku04下乗橋の前には、昭和20年の米軍無差別爆撃で焼失した「鷲の門」の再建されたものが建つ。立派な脇戸付きの薬医門で、パンフによると将軍より賜った鷲を飼うための門だったという。徳島城の大手門だ。門があるあたりは三木曲輪。

toku05鷲の門を裏側から。再建とはいえ、かなり太く立派な木材を使っている。

toku06鷲の門 説明板。再建された門は、1989年の徳島市政100周年記念として、市内在住の個人(!)から復元寄贈されたものという。城関係はこういうことが多い(天守再建に個人で1億寄付とか)。すごい。

toku07下乗橋は通行量が多く撮影は断念。橋を渡ると緑色の石垣が枡形虎口を形成している。城に入ってきたという感じだ。

toku08枡形虎口を内側から見返す。ここには黒御門と呼ばれる楼門があり、鷲の門が出来るまではここが大手門だったという。

toku09枡形を越えて城内へ入る。大手門の左右には櫓台が残る。こちらは太鼓櫓跡、3重3階の櫓が建っていたという。登城の時などを太鼓を叩いて知らせた。

toku10月見櫓台 周辺。強固な雰囲気の石垣の上には立派な松が並び、まさに日本伝統美な風景。

toku11枡形を越えてまっすぐいくと表御殿跡に建つ徳島城博物館があるが、まずは山上の城跡を目指す(右側に映る土塀が博物館の建物)。表御殿の横には当時 奥御殿(いわゆる大奥。側室や女中などが住む屋敷)が建っていたようだが、今は公園。

toku12公園の中央には、初代 阿波藩主の蜂須賀家政公の銅像が建つ。羽織袴姿なのが新鮮だ。

toku13蜂須賀家政公銅像 説明板。藩を興し城を建てただけでなく、徳島の町の発展に寄与したことで銅像が建てられたようだ。戦前は野太刀と長槍を持ったTHE戦国武将といった風体の蜂須賀小六(家政の父)の銅像が建っていたようだが、例によって戦争で供出。その後、小六ではなく息子で藩祖の家政の銅像に変わったとのこと。小六の銅像も見てみたかった。

toku14山上の城跡には3つの登城ルートがある。西・東・北から上がるルートだ。今回は公園一番奥の西ルートを辿る。まずは大きく折れ曲がる石段を登る。石段自体は近年登りやすいように整備されたものだが、石段の周囲に積まれた石垣は当時のものだ。

toku15石段を登り切ると石垣に囲まれた虎口に出る。

toku16威圧感たっぷりの櫓台。

toku19虎口を越えるとまずは西三の丸。この石碑の向こう側(柵の下)が西三の丸で、パンフによると番所や材木櫓などが建っていたそう。今は平坦な広場となっており礎石などの遺構は見当たらない。

toku20西三の丸から先に進むとまた虎口へ。強固な造りだ。

toku21左側前方に見える櫓台の石垣は、大きめの石材を使っていて圧迫感がすごい。

toku22櫓台の上に登ると、ここは帳櫓跡とのこと。礎石と思われる石が並んでいた。先ほどの虎口を防衛するための基地といったところか。ちなみに読み方は「ちょうやぐら」ではなく「とばりやぐら」。

toku23先へ進むと西二の丸跡へ。パンフによると鉄砲櫓などが建っていた模様。今はこのとおり、広場だ。

次はいよいよ徳島城 本丸へ。

>> 徳島城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2013年12月

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