岩尾城 : 総石垣の近世山城と土ベースの中世山城が山頂で共存する丹波の山城。

岩尾城は、標高358m「蛇山」の山頂に和田斎頼(ときより) が1516年に建てたと言われる。当時は土塁ベースの中世山城で、丹波平定を目指す織田軍(明智光秀)の攻撃により1579年に落城。その後、秀吉家臣の佐藤栄有が入城し、石垣ベースの近世山城へ改修するも、秀吉の命により廃城となった。山頂付近には往時の石垣がほぼ残る、圧巻の遺構が見られる。丹波の山城というと、赤井氏の黒井城、波多野氏の八上城、そして攻め手・明智光秀の金山城などが有名だが、ここ岩尾城も負けていない。

<基本データ>
●名称: 岩尾城
●所在: 兵庫県丹波市 (マップ)
●築城: 和田斎頼 (中世)、佐野栄有 (近世)
●竣工: 1516年 (永正13年)
●遺構: 石垣、曲輪、井戸、堀切、土塁 等

訪問時期:2013年11月


<訪問記>

iwao01-s岩尾城跡は丹波市立和田小学校の裏山にあり、登城道は校庭を通って裏手にいく必要がある。小学校の前に看板があるとおり、平日は職員室へ立ち入りの連絡が必要、訪問日は休日だったので連絡不要、そのまま入る。

iwao02-s小学校の正門から突き当たりを右に曲がり、裏山へ通じる階段へ。この奥が岩尾城址への登城道。

iwao03-sこの金網の先が登城道。動物避けの金網が付近の山麓全面に張ってあるので、ここからしか入れない/出られない。開けたら閉めよう。

iwao04-s岩尾城跡 説明板。岩尾城に関する公式の情報は少ないため、看板の存在はありがたい(ちょっと誤字が多いけど)。光秀の丹波攻略に抵抗した諸城の1つで、落城後に入った佐野氏により石垣を持つ城郭へ改良され、戦国末期に破却されたとのこと。なお説明板にある「蛇山 山頂部(1358m)」は 358m の間違い。

iwao05-s登城道は最初は瓦礫の散乱する急な斜面を頑張って上がっていく感じ。背の高い樹木が生い茂っており、晴れていても光が下まで届きづらく薄暗い。

iwao06-sある程度登ると、斜面に沿った山道が現れる。ここからはハイキング気分で登山することが出来る。眺望は木々が茂っていて余り見えない。

iwao07-s山頂付近まで来ると、分かれ道となる。右の親縁寺は岩尾城の旧菩提寺かつ下屋敷跡で、岩尾城の大手口は親縁寺からのルートのようだ。かなり西日が差してきており時間が無いため、親縁寺は次回訪問として、今回は左へ進む。話によると親縁寺の山門は岩尾城の旧城門とのこと。岩尾城跡はここから尾根をつたって行くようだ。

iwao08-s尾根伝いのため余り傾斜は無く、木々が茂って先が見えないためひたすらどんどん尾根を進んでいくしかない。

iwao09-sしばらく進むと削平地に出る。南曲輪とのこと。

iwao10-s分かりやすい説明板。機械のなかった時代に手作業で山の上をこれだけ平らにしてるのは本当に凄いことだといつも驚かされる。

iwao11-s南曲輪から少し進むと、また曲輪が現れる。下知殿丸曲輪 跡。

iwao12-s下知殿丸曲輪 説明板。三方面から尾根が集まる重要な拠点とのことだが、変わった名前の由来については分からず。下知殿という家臣が守る曲輪なのか、下知+殿丸+曲輪なのか。。。「下知」とは上司から部下へ下す命令のこと。

iwao13-s下知殿丸曲輪の先に行くと、いよいよ本丸へと続く登山道へ。正面が恐らく本丸なのだがかなり急斜面でそのまま登ることが出来ないので、斜面の周囲を回りこむように道が伸びている。その先には、説明板にあるとおり、堀切と井戸跡が残る。

iwao14-sこちらが本丸へ続く山道と、堀切と、井戸。写真だとわかりにくいが、中央付近の山道横の斜面がかなり削ってあり、通るのが怖いぐらいだった。それを越えると井戸。

iwao15-sこちらが井戸。覗きこむと水が結構上の方に見える。今は網がしてあるからいいが、昔はこの細い山道脇にいきなりぽっかり穴が開いてそれが井戸だというのは、結構怖い感じがする。この井戸に落ちた明智方の兵もいたのだろうな。

iwao16-s井戸を越えるといよいよ石垣が現れる。登山道の山頂側にはびっしりと石垣が残る。写真の上の段にも石垣の列が見えた。草木生え放題なので、綺麗に整備すればもっと壮観になるだろう。

iwao17-sいよいよ本丸へ。岩を削って造ったような急峻な石段が現れる。最後の力を振り絞って山頂を目指そう。

iwao19-s石段を上がると、高さ3m、横10mぐらいの石垣が突然目の前に現れる。この上は西の丸にあたるようだ。往時はこの上に更に櫓でも建っていたのだろうか。

iwao20-s二の丸石垣を隅から見る。豪快な野面積みで、横から見てもまったく孕みもしていない美しい状態を保っている。すばらしい!

iwao20a-s石垣に沿って進むと、石段の周囲に櫓台と思われる石垣を備えた枡形虎口的な場所もある。まさに近代山城。整備すれば安土城並の迫力になるポテンシャルを秘めた遺構だ。

iwao20b-s虎口を越えてもまだまだ石垣の壁は続く。

iwao21-s回りこむと、石垣の上にあがることが出来る。ここは西の丸、奥の説明板によると、佐野氏の入城後の修築により新たに構築された曲輪で、ここに残る高さ4mの石垣は丹波の石垣遺構の中で最も優れたものと言われている、とのことだ。

iwao22-s西の丸から更に奥へ進むといよいよ本丸。枯れ草が山積みになっているがどんどん進もう。

iwao23-s道が折れ曲がり、石垣に囲まれた石段が現れる。ここが本丸虎口だろうか。

iwao24-s岩尾城 山頂の石垣群。上部が天守台で、二段にわかれた石段がぐるっと囲っている。400年以上も崩れずによくぞ残ってくれました。

iwao25-s山頂に建つ説明板。天守台から見て裏側に縄張図が書いてあるので見落とさないように注意。手前が石垣による近世山城、奥が土塁による中世山城のようで、混在したまま残るのは非常に貴重という。カラーで分かりやすい縄張図もありがたい。

iwao26-sしかし説明板をよく見ると、赤い文字の部分が浮き上がって剥がれかけている。数年後に再訪すると赤い文字は全く無くなっているかもしれない…

iwao28-s説明板のあたりから見上げた天守台。二重の石垣が実に力強く、秀吉の勢力下にあった強固な山城を想起させる。

iwao28a-s見上げるとすごい迫力。この石垣群の周りをぐるぐる回るだけで、石垣のさまざまな表情を楽しむことが出来る。

iwao29-s天守台の角。算木積みと見えるしっかりとした積み方をしている。左端に映る説明板によると、縦9m横4mの長方形をした高さ3mの天守台の上には、天守が建っていたとのこと。小規模山城なので天守というよりも櫓だろうか。

iwao30-s天守台の上には「史跡 岩尾城跡 天守台」の立て看板と、なぜか青いベンチがひとつ。シュールだ。せめて木製のベンチにしていただきたいが、これはこれで岩尾城跡の名物かもしれない。

iwao31-s石垣の近世山城と、土塁の中世山城の境目にある、大土塁(物見台)。ここにも青いベンチ。

iwao32-s土塁の上に登って、向こう側を見る。かなりの高さだ。奥には曲輪と堀切跡が残る。ここを降りると戻りが大変だろう。時間の都合で堀切下には降りず。この向こう側にも曲輪跡や堀切などが見られるという。

iwao33-s土塁の上から本丸天守台を見る。天守台より土塁の方が高い。

iwao34-s天守台の裏側は一部石垣が崩れているが、天守台への登り口と思われる石積み跡が残っていた。

iwao35-sかなり日が沈んできて西日が厳しくなってきた。二段目の石垣から、奥の大土塁までを最後に一望して、日が沈む前に下山。

iwao36-s約30分で下山完了。かなり薄暗くなってしまった。山城攻略は時間に余裕をもって臨もうと誓った日だった。

訪問時期:2013年11月
撮影機器:SONY NEX-C3
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