黒井城 [1/2] 丹波の赤鬼 赤井直正の居城、主郭に巨大石垣が残る。

黒井城は、室町末期頃に播州地域で勢力を誇った赤松氏の一族である赤松貞範が、建武年間に山頂に砦を建てたことに始まる。戦国期の動乱を経て “丹波の赤鬼” 赤井直政が城主となると、複数の曲輪を持つ壮大な山城に改修し、丹波平定を狙う信長軍(明智光秀)と決戦、撃退した。しかし直政没後に光秀に再度攻められ落城。信長は重臣斎藤利三を入城させ、石垣造りの山城に大改築し、下屋敷にて後の春日局となる娘を産んだと言われている。

<基本データ>
●名称: 黒井城 (Wikipedia)
●所在: 兵庫県丹波市 (地図)
●築城: 赤松氏、赤井直正、斎藤利三
●竣工: 建武2年 (1335年)
●遺構: 石垣、曲輪、堀切、土塁 等
●情報: 丹波市観光協会ひょうご歴史STN

訪問時期:2013.11


<訪問記>

kuroi01-s黒井城跡は標高356mの猪ノ口山 山頂にあり、登城口は JR西日本 福知山線 黒井駅から北へ徒歩15分ほどの場所にある。こちらがその登城口にあたる駐車場。立派な石碑が立っている。

kuroi03-s駐車場に立つ黒井城跡 説明板。文字は消え消えで読みづらいが古文書のように分からない文字は前後関係から脳内補完しながらであれば何とか読める気がする。左側の黒井城全体略図は判読不可。せっかくの国指定文化財、何とか整備し直して頂きたい。

kuroi03a-s楽しげな周辺地図案内板の下に書いてある「戦国の森 黒井城跡」説明。説明にもあるとおり、山麓の興禅寺は黒井城の旧下屋敷に当たり、あの春日局が産まれた場所と伝えられる。ちなみにこのあたりの住所は丹波市春日町。

kuroi04-s更にもう1つ、兵庫県教育委員会が設置した黒井城跡の説明板があるが、こちらは特に前半が判読困難。昭和49年に作られて約40年間この地に立てっぱなしなのだろう。

kuroi05-s気を取り直して登城口へ。黒井城跡には駐車場向かって右側の石階段と、左側の登山道の2ルートの登り方がある。今回はこちらの登山道から上がり、階段から降りてくることとする。

kuroi06-s山道はこのとおり斜面に作られた細い山道となっていて、傾斜も緩く、足元も整備されていて登りやすい(山頂付近は岩石が露出している部分もあり少し要注意)。

kuroi07-s山の中腹には、複数の大きな曲輪が段々になっているところがあり、その最上部には赤く塗られた山門が建っている。この段々の曲輪群には「石踏の段跡」(せきとうのだん) と看板が立っていた。往時は平坦部に石が敷き詰められていたのだろうか。

kuroi08-s山門。休憩スペースのようになっている。この門の詳細はパンフにも記載がなく、不明。

kuroi09-s門の裏手には石碑が建つ。「故 ●井邑主 赤井公 招魂碑」とある。二文字目が不明だが恐らく”黒”と同意の文字だとすると「黒井邑主」となる (邑はムラという意味)。「赤井公」は光秀の丹波掃討軍を撃退したことで有名な「丹波の赤鬼」こと赤井直正を指す。

kuroi10-s石踏の段から見下ろす丹波平野。右奥が丹波篠山方面、明智光秀が城を構えた金山城跡があり、其の奥には波多野氏の八上城もある(見えない)。

kuroi12-s石踏の段はこのように細長い曲輪が段々畑のように縦に繋がっている構造になっている。

kuroi13-s石踏の段から少し上がると山道沿いに矢竹を発見。矢竹とはその名の通り矢に使える細い竹で、籠城時の武器補給に役立つため山城で植えられていることが多い。

kuroi13a-s山には動物が山麓に降りてこないようにするための防護網が何重か設置してあり、山道は施錠できる扉がある。開けたらちゃんと閉めて進もう。

kuroi14-s本丸まで100m。山頂に近くなると、それまで比較的ゆるやかだった山道は急にゴツゴツした岩が露出して登りづらくなってくる。草鞋 (わらじ) に具足 (鎧兜のこと) でこの急坂を駆け上がるのはさぞ大変だったろう。

kuroi15-s突如 視界が広がり、石垣の山が現れた。東曲輪。パンフによると、ここから一番奥の西曲輪まで、一直線に縄張りが続くという。

kuroi16-s東曲輪の石垣。櫓台とのこと。この石垣の左側には当時 城門があったという。

kuroi17-s石垣の右側は角がしっかり残っている。石材の長辺と短辺が交互に積まれた算木積みと呼ばれる手法。これらの石垣は赤井氏時代ではなく、光秀の丹波平定後に入城した重臣 斎藤利三(春日局の父親)時代以降の構築と言われる。

kuroi18-s東曲輪の石垣は、見える部分(=三の丸の櫓台)だけでなく、東曲輪自体の周囲にも残る。東曲輪の下は斜面になっているので、慎重に斜面を降りて撮影。

kuroi19-s東曲輪周囲石垣をもう1枚。
荒々しい尖った石がそのまま積み上げられた石垣に大興奮。

kuroi20-s東曲輪の奥の三の丸跡へ。

kuroi21-s三の丸跡からは、1つ上の二の丸櫓台の石垣が見える。三の丸櫓台より横幅は大きいが、石垣の高さが低い。

kuroi22-s更に先の二の丸跡へ。かなり広い。

kuroi23-s二の丸跡からは、奥の本丸跡の石垣が見える。二の丸はかなり整備されているのか、ほとんど木が生えていないので夏場に来ると直射日光が厳しそうだ。晩秋〜冬場の晴れの日は暖かくていい感じだが、風があると吹きさらしでこれまた厳しそう。

kuroi24-s二の丸と本丸の間には脇に帯曲輪があり、そこには結構高めの石垣が積まれているようだ。本丸を見た後に帯曲輪へ降りてみよう。

kuroi25-s二の丸と本丸の間には幅2mほどの空掘が掘られている。空堀の中央には土橋がかかっているが、パンフ掲載の縄張図によると往時はこんな土橋は無く、本丸へは写真左側をぐるっと迂回して虎口から入るルートだったようだ。

kuroi26-s土橋上から本丸の石垣を見る。二の丸・三の丸・東曲輪で見られた石垣より少し石材が大きく、また整った形の石がつかれているような気もする。

いよいよ本丸跡へ。

>> 黒井城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2013年11月
撮影機器:SONY NEX-C3
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