黒井城 [2/2] 主郭周囲に高く積み上げられた荒々しい野面積みの石垣を見る。

黒井城 訪問記 其の二。

[前回までの概要]
丹波の赤鬼 赤井直正の居城、黒井城へ。なかなかの急坂を上がると美しく削平された山頂に荒々しい石垣が積み上げられていた。すばらしい。木々が伐採されていて丹波平野も一望。其の二では主郭周辺の石垣を見てから、山麓の春日局ゆかりの寺院などを訪問する。

訪問時期:2013.11
黒井城 訪問記 – 其の一


<訪問記>

kuroi27-sいよいよ本丸跡へ。パンフによると48mx22mと、山頂の曲輪群の中でもっとも広い曲輪のようだ。もちろん一番高台にあたる。

kuroi28-s城跡ではお馴染み、三等三角点。奥には城址の石碑が立つ。その他、眺望を眺めるのに適した木のベンチなどが設置されていた。

kuroi29-s城址石碑。黒井城址ではなく別名の「保月城址」で石碑が建てられていた。字体がダイナミックでかっこいい。

kuroi30-s本丸の周囲には桜の木が植えられている。冬に来るとこのとおりハゲ山で眺望が素晴らしいが、春は春でピンクに染まる山頂は素晴らしいことだろう(人も多そうだが)。

kuroi31-s本丸からの眺望。丹波黒井の街が一望。天下を取った気分になる。

kuroi32-s本丸横にある虎口跡。かなり整備されたのか、はっきりと虎口だったことが分かる。階段周囲の石垣の上部は崩れてしまっているが、往時はどれぐらいの高さだったのだろうか。倍ぐらいでもかなりの威風堂々たる姿だろう。

kuroi33-s本丸下の高石垣へ。先ほど其の一で上から見た帯曲輪だ。算木積みで角をしっかり補強しながら、かなり高く積んである。

kuroi34-s高石垣アップ。荒削りの石材をそのまま積み上げた力強い野面積みが、見るものを圧倒する。澄み渡る青空とのコントラストも良し。

kuroi35-s帯曲輪の石垣は高さだけでなく横幅もすごい。かなり向こうまで続いている事がわかる。

kuroi36-s先ほどの高石垣は本丸と二の丸の間(空堀があるあたり)を防御しているが、本丸は半分土塁で半分石垣のような防護壁になっている。往時はこちらももっと高かったのかもしれない。

kuroi37-s実は石垣が積まれているのは南側だけで、北側はこの通り土塁。これは、黒井城の向かって南側が丹波黒井の街で、反対側は山のため、こちらから攻められることは少ないからだろうか。

kuroi38-s山頂の曲輪群を西曲輪奥の小道から抜け、西の丸へ向かう。道無き道を進む感じ。先人の残してくれたビニールテープを頼りに山を進む。

kuroi39-s途中、大きな岩石が露出している場所を発見。人為的に削った跡が残るので、本丸等で見られた粗削りの石材はここから削って積み上げたのだろう。

kuroi40-s西曲輪を出て山道を歩くこと約15分。高台に登るとそこが西の丸跡。本丸と比べて整備が行き届いていないのか、草ぼうぼうだ。

kuroi41-s西の丸も小さな曲輪が幾つか一列に繋がった、細長い縄張りになっている。曲輪と曲輪の間は大きな堀切で遮られ、人一人がやっと通れるほどの幅の土橋が渡されている。まさに弓矢で射掛けられ放題だ。

kuroi42-s西の丸の曲輪は周囲が1mほどの土塁で囲まれた要塞と化していたことが、葉っぱが降り積もった現状でも分かる。写真では分かりづらいが、奥だけでなく、左右も盛り上がってることが確認できる。

kuroi43-s西の丸から更に北東へ向かうルート(龍ヶ鼻砦跡)も進んでみたが、山道の崩壊が激しく途中で断念。倒木もすごい。おすすめしない。再度本丸へ戻り、石踏の段から別ルートを通って下山。こちらは途中にあった三段曲輪跡。細長い削平地が続く。

kuroi44-s下山。登城口(駐車場)から少し進むと、赤井直正が建てた下屋敷跡と伝わる興禅寺が見えてくる。石垣・土塀と堀に囲まれた、まさに武家屋敷という風情だ。

kuroi45-s興禅寺への入口は立派な赤い楼門。築年は不明だが元禄年間に改修された記録が残るかなり古い門だという。春日局出生地の石碑が立つ。大河ドラマ(1989年) の際に建てたのだろうか。

kuroi46-s楼門の向かいには春日局庵という休憩所兼展示スペースがあり、大河ドラマ撮影風景の写真などが展示されていた。その前の興禅寺 説明板。光秀による落城後に入城した斎藤利三屋敷の雰囲気を今に残すという。その斎藤利三の娘「お福」が、後の春日局。産湯の井戸や腰掛け石が境内に残るという。

kuroi47-s興禅寺 本堂。庭は枯山水風になっていて内も外もかなり立派な雰囲気の寺院だ。

kuroi48siryo-s黒井駅前の春日歴史民俗資料館へ。基本的には土日しか開いておらず、平日に入館したい場合は事前連絡が必要という。訪問日は土曜だったので通常営業中。200円。中は戦国時代(黒井城)関連だけでなく、銅鐸が出土したという野々間遺跡など、周辺の歴史関連を幅広く扱っていた。

kuroi49-s展示物の1つ、黒井城本城平面図。空堀の向こうに蔵跡があったのか。

kuroi50-s城址から出土したと思われる黒井城紋瓦も展示。あの山の上には瓦葺きの建造物が建っていたということだ。

kuroi51-s資料館の隣には、昔の屋敷風の郷土資料館も併設。受付のおじさんが案内してくれた。ちなみに両資料館の前には車が沢山停まっていたが、資料館に客は無し。

kuroi52-s中も昔の建物風で、天井の梁がむき出しになっており迫力満点だ。館内は昔ながらの米の脱穀機(千歯こき)などが展示されていた。数十年ぶりに「唐箕(とうみ)」の実機を見た。子供の頃 近所の農家にこれあったわ〜とオッサン談義。若い人向けの説明→上から脱穀した米を入れてハンドルを回すと米とモミガラが分離されて出てくる江戸時代ぐらいからある器械。要は落下中の脱穀米に風を当てて軽いモミガラは吹き飛ばされ重い米だけが下に落ちる仕組み。

kuroi53-s資料館の前から黒井城址(猪ノ口山)を見上げる。山頂の曲輪群は角度の関係で見えない(平になっている部分の向こう側か)が、途中にあった石踏の段跡の赤い山門が見える。

kuroi54panph-sおまけ:黒井城跡パンフレット。フルカラーA4サイズ3枚サイズのかなり立派なパンフレットを民族資料館の入館時に頂いた。この手の山城はパンフはおろか縄張図すらないところも多く、これには感動した。平成15年印刷なので無くなり次第終了か。黒井城登城時は駅前の資料館にも寄って是非1部頂いていこう。

訪問時期:2013年11月
撮影機器:SONY NEX-C3
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中