富山城 [1/2] 数少ない現存建造物の1つ「千歳御門」から本丸跡へ。

16世紀中頃に神保長職によって築城された富山城。越中は周囲の戦国大名らが奪い合う激戦地で、一向一揆勢や信玄・謙信らの激しい争奪戦を経て、最終的に信長が重臣 佐々成政を置く。本能寺後、秀吉の征討により一旦は廃城となるも、その後に越中を与えられた前田利長が再整備。しかし元和元年(1615)の一国一城令で再び廃城。その後さらに分藩に伴い富山藩が成立し、前田利次が初代藩主となり再再建、そのまま明治まで続いた。内堀の極一部と石垣および移築門のみが現存、城内の天守風建物は戦災復興として戦後に建てられた模擬天守で、内部は郷土博物館として運営されている。

<基本データ>
●名称: 富山城 (Wikipedia)
●所在: 富山県富山市 (マップ)
●築城: 神保長職 (じんぼうながもと)
●竣工: 天保12年 (1543)
●遺構: 石垣、水堀、赤門
●情報: 富山市郷土博物館富山市観光ガイド

Link: 富山城


<訪問記>

toyama01s富山城址は城址公園として整備されていて、庭園の他、郷土博物館や美術館などが建ち並ぶという。JR富山駅から南へまっすぐ15分ほど。並木道が美しい。

toyama02s川を越えると城址公園。最初に見えてくるのは、緑の瓦を葺き、ナマコ壁を持つ「三層望楼型天守」風なこちらの建物。よく出来ていると思ったら何と「佐藤記念美術館」とのこと。

toyama02as美術館から続く石垣。古絵図によるとここは東出丸に向かう虎口だった。

toyama03s東出丸虎口の少し南側には、赤門がある。これは江戸後期に建てられた千歳御殿の正門「千歳御門」(現存) で、別の場所に移築保存されていたものを近年ここに再移築したもの。当時はここに入口は無かった。門の南側 (写真左端) の石垣は、門の移築後に構築されたもので、門の北側の石垣とは雰囲気も異なる。富山城は主要門の周辺以外は土塁の城だったという。

toyama04s千歳御門 を別角度より。脇戸もあるが、営業中は赤門も開いているのでここから入ろう。棟には黄金に輝く家紋「梅鉢」が目立つ。

toyama05s千歳御門 説明板。10代藩主の隠居所として幕末に建てられたという。総ケヤキ造りの薬医門。

toyama06s千歳御門と東出丸虎口の間の石垣。適度な大きさに割った石や丸いままの石をそのまま積み上げた野面積み。

toyama07s千歳御門の軒下を見る。ケヤキの大木を4分の1に切って冠木にしているのが分かる。

toyama08s千歳御門を内側から。数少ない富山城の現存建造物の1つ。

toyama09s城址公園内には、富山城に用いられていた石垣の石材をあちこちに展示している。千歳御門のすぐ横にもこの通り。矢穴や刻印などもあるが、特に説明板等は無し。

toyama10s公園内は広場になっており、奥に目立つ白亜の三層櫓が見える。一見天守に見えるが、元々は城門だった石垣の上に建てられた模擬天守。中は富山市郷土博物館として、富山城と前田家に関する資料や伝来品を展示しているようだ。

toyama11s城内に何気なく並べられている石も、このとおり富山城の石材。

toyama12s刻印や墨書きなどが見られる石材は、一箇所に集められて説明付きで展示されていた。

toyama13s卍マークの刻印が見られる石材。石垣にした際に外側にあたる面(写真でいう上側)ではなく、丸い面に刻印されていることから、河原で選んだ際につけた目印的なものだったとのこと。

toyama14s重なった石材。別々に使われていた石材の切断面がぴったり合ったとのこと。割った石をそのまま使ったので、そのまま戻せば重なるでしょう。割った石をそのまま積み上げる野面積み時代の石垣ならでは。

toyama15s二の丸入口にあった、二階櫓門の本柱 礎石。中央に見える小さな穴には柱のホゾがはまり、柱自体は一尺(=約30cm)の太さだったという。

toyama16s石材コーナーの中央には、謙信死後に越中に進出した信長の命により富山城に入った「佐々成政」の歌碑が立つ。何事も かはりはてたる 世の中に 知らでや雲の白くふるらん。本能寺後に敵対した秀吉に攻められ、家康に援軍を求めるも断られた成政が、失意の中で詠った歌と言われる。本能寺の変で状況が劇的に変化するこの世の中だが、越中の雪は相変わらず白く降っているものだなぁ、という感じか。

toyama18s模擬天守の横には櫓台が残る。博物館の方によると現存とのこと。石段に登ってみたかったがこのとおり立入禁止。前に立つ看板は、復元工事のお知らせ…ではなく、美術館のご案内。

toyama19s南にあった大手門へ続く、本丸からの大手虎口。櫓台の向こうには高層ビルで不思議な感じ。

toyama19asカギ状に折れ曲がる大手虎口。

toyama20s虎口内には鏡石と呼ばれる巨石が大量に埋め込まれている。正門から入ってきた人を威圧する効果があったという。右側に少し見える櫓台の側面にも鏡石がある。なお通常の石垣石とは異なり、この大きさのままの巨石が埋まっているわけではなく、薄っぺらい石板的なものがハマっている。

toyama21s唯一残る本丸南側の内堀を渡る土橋。巨大な松が植えられ堂々たる雰囲気を醸し出している。富山駅から城址公園へ向かうとどうしても北側の搦手口から入ってしまうのが残念。ここから入りたかった。

toyama22s富山城址 新旧比較図。古い図のように見えるが平成8年作。城址公園は広場になっているが、当時は中央に本丸と西の丸を区切る堀があったようだ。赤線は江戸後期とあるので、美術館横の東出丸虎口、土橋奥の大手虎口の石垣は現存で間違いないか。これはとても想像しやすくて分かりやすい、いい説明板。かつての富山の象徴・富山城も、都市化に伴って殆ど無くなってしまったことがよく分かる。

toyama23s模擬天守を内堀の外から眺める。この建物は何と昭和29年に戦災復興のシンボルとして、同じ慶長期で現存する犬山城天守などを参考に望楼型天守をデザインし、ここに建てたとのこと。当時、美の殿堂と言われたことも頷ける美しい建物だ。建てられた時代や戦災復興という目的、中の博物館の充実さを鑑みると、富山城はこれでOKという思いがした。

toyama24sもう少し奥から模擬天守と土橋を眺める。赤い欄干が美しいが落下防止の網が少し主張しすぎてて残念。模擬天守の石垣と、その右側(東側)に繋がる石垣の雰囲気が全く異なる事がわかる。

toyama25s公園内へ戻る。博物館を見る前に公園内の他の展示物も見てしまおう。城址公園北側にある、富山藩 2代藩主・前田正甫公 像。2代?正甫?なぜに?と思う理由は説明板に書いてある。

toyama26s前田正甫公像 説明板。なんと「富山の薬売り」の基礎を築いた人という。佐々成政でも、前田利長でも、初代藩主 前田利次でもなく、2代藩主 正甫公なのは、そういうことか。

toyama27s美術館の向かい側、公園の北東部には日本庭園が出来るようで、訪問時(2013/11)は鋭意工事中だった。立派な庭園の向こう側に美の殿堂・模擬天守が見える姿を想像して撮影。左奥の超高層ビル(ANAクラウンプラザホテル富山)が少し邪魔。

城址公園内の散策は以上で終了、続いて郷土博物館へ入る。中は、フラッシュを焚かなければ全て撮影OKという素晴らしい場所だった。記憶も固定され、富山城への思いもしっかりと残る。文化財はともかく、それ以外の説明パネルや模型なんかは、本来こうするべきだと思う。では出土品や読み応えのあるパネル展示を中心に、次ページにて紹介。

>> 富山城 [2/2] へ続く <<

訪問時期:2013年11月
撮影機器:SONY NEX-C3
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