北ノ庄城 : かつて巨大天守があった織田家筆頭家臣 柴田勝家の居城。

北ノ庄城 (きたのしょうじょう) は、越前国の戦国大名 朝倉氏の滅亡後に信長から越前48万石を与えられた織田家筆頭家老 柴田勝家によって築城された巨大な近世城郭。ルイスフロイスの記録によると、その屋根は丸岡城と同じく総石葺 (福井名産の笏谷石[しゃくだにいし]。青緑色) で、街の規模はあの安土城の2倍はあったという。本能寺後の1582年7月、信長亡き後の織田家の行く末を決める清須城での会議 (通称 “清洲会議”) で勝家は秀吉と対立。翌1583年3月に直接対決となる「賤ヶ岳の戦い」が発生。敗れた勝家は北ノ庄城まで撤退するも、秀吉軍に城を包囲されてしまう。追い詰められた勝家は降伏すること無く妻のお市と共に自害、城は焼失した。後に当地に入った結城秀康により跡地を大きく改変し近代城郭(後に福井城と改名)を築城したため、柴田氏北ノ庄城の遺構は殆ど残っていない (あるいは地中深くに眠る) と言われる。ちなみに結城氏が築いた城も当初は「北ノ庄城」と呼ばれていた (三代目藩主の頃に福井と改名)。

<基本データ>
●名称: 北ノ庄城 (Wikipedia)
●所在: 福井県福井市 (マップ)
●城主: 柴田勝家
●竣工: 1575年 (天正三年)
●遺構: 石垣、堀跡


<訪問記>

kitanosho-add01越前北ノ庄城は現在のJR福井駅一帯を巨大な縄張りとしていたようだが、焼失後に結城氏による福井城建築で遺構はほとんど失われた。発掘調査が行われた柴田神社境内は、北の庄城址・柴田公園として整備・遺構展示されている。柴田神社はJR福井駅から徒歩10分ほど、南東の商店街沿いにある。商店街の名前は「サンロード北の庄」!

kitanosho01-sこちらが商店街から柴田神社への入口にあたる鳥居。奥に見える天守の巨大模型が目を引く。

kitanosho-add02公園へ入ると巨大な天守の模型が目の前に。商店街側から入る道はどうやら裏口にあたるようで、天守の説明等も向こう側にあった。後ほど見よう。

kitanosho02s柴田公園 案内図。先ほど見えたお城の模型が記載されていない(公園造成後に設置されたため)が、場所は図中央の礎石の左側になる。公園内には北ノ庄城・福井城の石垣や堀跡の遺構が展示されているようだ。

kitanosho-add08まずは目を引く北ノ庄城 模型。5層の望楼型天守で下見板張り。往時の北ノ庄城の姿は絵図等に残っていないため、同時期に同地域で建設された丸岡城 (現存) 等を参考に作られたという。独特の字体な「越前北ノ庄城址」石碑も、城址公園だという雰囲気がある。

kitanosho-add07天守模型を別角度から。笏谷石を使っていたという屋根を再現した青緑色が嬉しい。鯱も丸岡城と同じく石造。

kitanosho-add06結構お気に入りの北ノ庄城天守復元模型。角度を変えてもう1枚。

kitanosho06-s北ノ庄城復元模型 説明板。大河ドラマ「江」(2011年) 放映記念で建てられた模型とのこと。平成23年(2011) 8月から2年程度の設置を予定、とあるが、訪問時は期限を超えた 平成25年(2013) 11月。公園のシンボルになっているのだから、また”落城”させずにこのまま設置し続けて欲しい。

→ その後 撤去されました。残念。

kitanosho06a-s模型の前に建っていた北ノ庄城址 石碑の設置経緯について説明板があった。なんと柴田勝家公の末裔である日本画家が碑文を揮毫、公園の竣工時に設置されたとのこと。オツな計らいですね。

kitanosho07-s模型の裏側には門の礎石らしき跡が。

kitanosho08-s説明板によると、福井城 三の丸南曲輪にあった「日向門」の礎石がここから見つかったため、礎石の痕跡を標示しているとのこと。礎石自身ではない(礎石は埋め戻したのだろうか?)福井城は勝家の北ノ庄城の上に作ったため、両方の遺構が混在する(殆どが福井城の遺構)。

kitanosho09-s礎石の前、公園の中央付近には、槍を持つ堂々たる姿の柴田勝家公が鎮座する。まさに「鬼柴田」。仲間だったら心強いが、上司だったらかなり厳しそうだ。

kitanosho10-s別角度から。身長の2倍はあろうかという長槍が目を引く。

kitanosho-add09お姿をアップで。うーん。鬼柴田。

kitanosho11-s勝家公の銅像の向かい側には、大きな穴の中に石がいくつか露出している部分がある。発掘調査で出土した北ノ庄城の堀跡とのこと。

kitanosho12-s北ノ庄城 堀跡 説明板。東西25m以上ある南北に延びる堀跡だが、石が見つかったこの部分を埋め戻さず展示してくれているのは嬉しい。

kitanosho13-s代わってこちらは福井城の百間堀跡および土居跡。天下普請の福井城らしく、石垣には刻印が見られる。

kitanosho14-s福井城 土居跡 説明板。先ほどの礎石の日向門の枡形を構成する土居だったとか。北ノ庄城の屋根に葺かれていた福井名産・笏谷石を用いているとのことで、確かに先ほどの写真に写る石には青いものも見られる。また上の写真を撮った場所は堀を遮る土橋跡ということも分かる。

kitanosho15-s柴田勝家 お市の方 三人娘 の説明板。北近江の戦国大名だった浅井長政(小谷城)に嫁ぎ三人娘を産んだお市の方は、浅井氏滅亡の際に城から逃れ信長の元で暮らすも、清洲会議後に柴田勝家と再婚し、三人娘と共にここ越前北ノ庄城で暮らしたという。

kitanosho-add04柴田勝家パートを拡大。

kitanosho-add05お市の方パートを拡大。

kitanosho16-s北ノ庄城 想像図。北ノ庄城の姿については絵図は残っておらず、文面としてルイスフロイス書簡と秀吉の手紙のみが残る。また甥の柴田勝豊が建てた、近くの丸岡城天守(現存) も参考に描いた絵だろう。手紙には7層とも9層とも読み取れる巨大な天守が建っていた、と書いてある。

kitanosho17-s柴田神社拝殿の下にも石垣は残っており、発掘調査で出土したままの姿で保存してあるそうだ。

kitanosho18-s拝殿下の福井城 石垣 説明板。三の丸南曲輪の石垣とのこと。

kitanosho19-s拝殿の奥には柴田神社 本殿がある。

kitanosho20-s柴田神社本殿の近くにも、コンクリートで固められた深い穴の中に残る石垣跡が展示されている。こちらはかなり苔むしている。

kitanosho21-s北ノ庄城 石垣 説明板。石垣の根石のみが残っていたと考えられている。発掘時の写真は当然苔むしていないので、展示していく間に苔むしたということか。意外と早く苔むしるものだ。

kitanosho22-s2公園の端にかけられた橋。半分が石、残り半分が木で出来ている。

kitanosho23-s上記の橋の説明板。九十九橋(つくもばし)。橋自体は朝倉氏時代からあったものの、上記のように半石半木の造りにしたのは柴田勝家と伝わるとのこと。明治42年までこの半石半木の九十九橋が残っていたという。88間(=160m) と言われる半石半木の橋、見たかった。なお公園内の復元橋に使われている欄干石は、個人が保管していた “当時の石材” だとのこと。なお現在の九十九橋は鉄筋コンクリート製。葛飾北斎「諸国名橋奇覧」の「ゑちぜんふくゐの橋」に江戸時代の半石半木の橋の様子が描かれている。

kitanosho24-s柴田勝家の逸話として「瓶割り柴田」がある。信長と近江守護 六角氏との戦いで、城を守る勝家は六角氏に水路を絶たれ窮地に立たされたが、水の入った瓶を叩き割るパフォーマンスで味方の士気を上げると共に城内に潜むスパイの目をも欺き、見事六角氏を破ったという。その「瓶割り柴田」を体験できるらしい(1回1000円)。ちなみに「びんわりしばた」ではなく「かめわりしばた」。

kitanosho25-s拝殿の前には、浅井三姉妹の銅像が並ぶ。左から、長女茶々・三女お江・次女お初。これも大河ドラマ「江」放映時に作られたものだろう。

kitanosho26-s三姉妹の横には、母親のお市の方の像が立つ。信長の妹で、最初は浅井長政の妻、浅井氏滅亡後は信長の元へ戻り、次に柴田勝家公に嫁ぐ。そして信長亡き後の秀吉との戦いでここ北之庄城が落城する際、勝家と共に城を枕にして自刃。まさに壮絶な人生。

kitanosho27-s柴田神社 社務所の横には展示資料館があり、勝家と北ノ庄城、福井城に関するパネル展示や出土品の展示などを行っている。入場無料なのでぜひ入ろう。こちらは城址公園を造るときの方向性についてまとめたパネル。神社と史跡公園の一体化(相互借景)、実物展示、落ち着いた景観、当時に想いをはせることができるような雰囲気づくり。すばらしい!

kitanosho28-s勝家ファミリー系図。勝家というより、お市を頂点とする三姉妹と孫たちが如何に時代の中心にいたかが分かる図だ。ちなみに右下の「千姫」(三女お江と二代将軍秀忠の娘)は豊臣秀頼の正室となるも大坂城落城の際に助け出され、本多忠刻と再婚、本多氏が姫路に移封となり、千姫も姫路城へと移る。姫路城近くには千姫が日々城から祈ったという千姫天満宮がある。

kitanosho29-s北ノ庄城跡。現在の城址公園はほとんどが堀で、堀の周囲に配置されていた石垣の根石などが発掘調査で出てきた、ということのようだ。

kitanosho-add12北ノ庄城 堀と石垣。

kitanosho30-sルイスフロイスと北ノ庄 説明板。パネル展示だけでなく、ルイスフロイスが書きヨーロッパへ送ったという書簡の写しが展示されていた。ポルトガル語なので読めないが、固有名詞に線が引いてあり注釈(柴田=Xibata、羽柴=Faxiba など英語表記とは異なる)もあったので雰囲気は楽しめた。なおルイスフロイス書簡は岐阜城天守にも展示してあり、そちらは和訳つきで更に楽しめる。

kitanosho-add10勝家公と北の庄関連年表。勝家のあと、結城秀康が越前68万石を所領するまで、秀吉政権で多くの大名が北ノ庄を所領したことが分かる。丹羽長秀、堀秀政(名人久太郎。小田原征伐中に病没)、小早川秀秋、青木一矩。

kitanosho-add11柴田勝家公肖像画(複製)。何とオリジナルは個人所有とのこと。落城直前に描かせ、それが伝わったとされるが、落城前に肖像画を描く余裕は果たしてあるだろうか。

kitanosho-add13鬼の石片。

kitanosho-add14展示資料館 裏にある勝家公・お市の方 辞世の句を彫った石碑。

kitanosho31-s城址公園 全景。ビル群の中にこじんまりと建つ天守が何だか寂しい。

kitanosho-add15商店街には北ノ庄・福井ゆかりの有名人たちの説明パネルが設置されていた。この肖像画のオリジナルは「千葉市 柴田勝次郎氏」所蔵で、現在は福井市郷土歴史博物館に保管されている、とある。勝家公の菩提寺 西光寺は福井駅より車で10分。

織田家 筆頭家老として時代を駆け抜けた柴田勝家公の自慢の居城も、賤ヶ岳での敗戦で自らの命とともに露と消えた。430年経った今、福井城の遺構の下に静かに埋もれるのみ。見どころとしては少ないが、歴史ファンとしては外せない場所であり、資料館の展示も豊富で見応えがある。福井城見学とセットで是非訪れてみてはいかがでしょう。

訪問時期:2013年11月

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