広島城 [前編]

広島城は、中国地方を治める毛利輝元が秀吉の大坂城を見物した際に近代城郭の必要性を痛感し、それまでの山城・郡山城に代わる居城として築城。関ヶ原後に城主となった福島正則によって整備された。明治の廃城令により陸軍施設となり一時は広島大本営が設置されるも天守等主要な建造物は残っていたが、大戦末期の原爆投下により全壊。昭和33年に歴史博物館として外観復元。

hiroshima_cover<基本データ>
●名称: 広島城(別名:鯉城 [りじょう])
●所在: 広島県広島市(マップ
●築城: 毛利輝元
●竣工: 1592年(元禄元年)
●遺構: 石垣、礎石、堀
●情報: 広島城HP広島観光ナビ

<訪問記>

hiroshima02a現在の広島城は内堀に囲まれており、入城するには南西の表御門か東の裏御門から入る必要がある。今回は表御門から入る。JR広島駅から徒歩15分ほどで到着。多聞櫓で繋げられた平櫓(中央の櫓)と太鼓櫓(右奥の二層櫓)に隣接する大きな櫓門が、広島城表御門。

hiroshima03a表御門 正面から。手前の橋は御門橋。ゴミひとつ落ちておらず綺麗に整備運営されていて入る前から好印象。説明板によると門柱の一部には樹齢1000年のヒノキを使っているとのこと。二階櫓部分の柱を外からそのまま見せている様式は櫓門としては古式な様式(「真壁造 (しんかべづくり)」)という。

hiroshima04御門橋前にあった史跡広島城跡の看板。全体図が載っているので散策ルートを確認しておこう。門の向こうの小島が二の丸のようだ。

hiroshima05二の丸表御門の説明碑。昭和9年作成の実測図および数々の古写真を元に、柱の礎石の上に昔どおりの工法により往時の姿を再現。まさに復元工事の見本のようなやり方だ。

hiroshima06表御門から二の丸に入る。堀の外から見えていた櫓群の中には入ることが出来るようだ。平櫓の方から入ってみる。

hiroshima06aこちらは二層の太鼓櫓。こちらにも入口があるが、入れないようだ。

hiroshima07平櫓・多聞櫓・太鼓櫓の説明碑。こちらも実測図および古写真を元に復元。

hiroshima08平櫓の中へ。中には畳8畳x2のスペースに「三矢の訓」の話の元となった元就公の手紙「三子教訓状」(複製) が展示されている。壁には広島城と毛利家に関するパネル展示。櫓門や平櫓の精巧な模型もあった。

hiroshima09平櫓内の展示パネルの1つ。秀吉の大坂城天守に登った輝元は、城下町の繁栄に驚き、中世山城であった長年の居城(吉田郡山城)を捨て、平城の新城(広島城)および城下町を造ることを決意したと言われる。

hiroshima10初代復元天守(昭和33年造) の鯱。説明によると、復元にあたって鯱の図面等がなく詳細不明だったため、福山城の筋鉄御門(現存) に乗る鯱を参考に作ったという。この初代鯱は1991年の台風で破損したため(確かに尻尾が無い)、二代目が造られるも2001年の地震で再び破損、現在 天守に乗るのは三代目 鯱とのこと。

hiroshima11多聞櫓を通って一番奥の太鼓櫓へ。毛利家の家紋「一文字に三つ星」と、太鼓が展示されている。説明板によると、当時は櫓の2階に太鼓が置いてあり(そりゃそうだ)、朝夕に城門開閉や登城合図などとして鳴らしていたそう。たまに太鼓の音が小さかったり、時刻を間違えたりして(!)怒られることもあったというという面白エピソードも書いてあった。間違えた担当者はどのような懲罰に処されたのだろうか…

hiroshima12多聞櫓内部。柱が白木むきだしになっており、頭上に太い梁がばんばん通っていて、実に迫力がある。多聞櫓内には吉田郡山城などの関連する城の復元模型などが展示されている。

hiroshima13櫓から出て二の丸へ。二の丸跡 説明板。馬出しというと篠山城のように堀の中に単独で存在するイメージがあるが、確かに二の丸という形で本丸と外部とを結ぶ線上に存在する馬だしは珍しい。

hiroshima15二の丸に今も生きる、戦前からのユーカリの巨木。原爆を乗り越えたことから被曝樹木と呼ばれ、城内にユーカリを含め3本残るという。

hiroshima16二の丸から内堀を越えて本丸へ向かう土橋。橋の左奥に生える樹木は、被爆樹木の1つ・マルバヤナギ。

hiroshima17本丸の入口にあたる中御門跡。石のいくつかの色が変わっているのは火災で変色した跡とのこと。

hiroshima18a本丸(下段)。城内に鎮座する広島護国神社の駐車場として使われている(東側の裏御門跡から車が直接入ることができるようだ)。

hiroshima19本丸南東の櫓跡から、内堀と二の丸土橋を見る。二の丸に建つ白いテント群は広島城大菊花展。これがなければ本丸側から二の丸は丸見えだろう。

hiroshima20本丸南側に残る、中国軍管区司令部の防空作戦室(地下通信室)跡。入ることはさすがに出来ないが、慰霊碑と説明板が建つ。

hiroshima21中国軍管区司令部跡 説明板。原爆投下時、城内の木造建造物は一瞬でことごとく破壊されたが、半地下にあったコンクリート製の作戦司令室はかろうじて残り、ここの軍用専用電話を使って学徒動員の女学生が原爆の第一報を伝えたという。

hiroshima22城内に鎮座する、広島護国神社の大鳥居。

hiroshima23本丸北側の本丸上段へ。大本営前庭築山 前にある「史跡 広島城跡」石碑。

hiroshima24本丸上段に残る、広島大本営 跡。原爆で倒壊し、台座のみが残る。石碑の「史蹟」部分が消されているのは、戦前の旧保存法では史蹟扱いだったが戦後の新保護法では対象外となったためか。なお「史蹟」は戦前の旧法、「史跡」は現在の新法での表記。

hiroshima25広島大本営跡 説明版。日清戦争 当時、明治天皇が7ヶ月に渡りここにご滞在されていたという。

hiroshima26広島大本営跡の北西には、旧天守の礎石(天守台から移築)と現天守を見渡す事ができるスペースがある。右奥の石垣は東小天守跡。広島城天守には東小天守と南小天守があったが原爆で倒壊し、現在 天守のみが再建され小天守は天守台のみが残る。

続いて天守に登る。

>> 広島城 [後編] へ続く<<

訪問時期:2013年11月

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