福山城 [前編]

福山城は、改易となった福島正則に代わって徳川譜代の水野勝成が備後10万石で入国、新たにこの地に城および城下町を築き、福山と名づけたのが始まり。門や御殿、櫓など多くの建物が伏見城から移築された。明治の廃城後も天守を始め櫓や門が幾つか現存していたが、昭和20年8月の米軍による無差別爆撃により殆どが焼失。その後 天守など主だった建物が再建された。

fukuyama_cover<基本データ>
●名称: 福山城
●所在: 広島県福山市(マップ
●築城: 水野勝成
●竣工: 1622年(元和8年)
●遺構: 石垣、伏見櫓、櫓門
●情報: 福山城博物館

<訪問記>

fukuyama01福山城は新幹線ホームから間近に見ることが出来る稀有なお城。新幹線で福山に来たら、ぜひ上りホーム(東京方面)へ。目の前の線路はJR福塩線。線路の真横に高石垣がそびえる!

fukuyama01aこちらは伏見城から移築され、明治の廃城令や米軍の無差別爆撃にも耐えた「伏見櫓」。城内から見ると近すぎて見づらく、本丸から見ると樹木が邪魔で見えないため、新幹線ホームから見るのが一番かっこいい。上りホームの西側(九州方面)から見よう。

fukuyama02JR福山駅舎前から見た図。立派な高石垣の向こうに見える赤い欄干の建物は「月見櫓」(復興)。車の通行量が多すぎて落ち着いて見られないのが玉に瑕。

fukuyama03石垣の前に建っている「ふくやま文化ゾーンマップ」。公園の東半分が城跡、北部が神社等、西武は美術館などが建っている。

fukuyama04高石垣の真横を通って城跡入口へ向かう。石垣には矢穴跡や刻印なども見られる。天下普請ではなかったがかなり大規模な城だったようだ。

fukuyama05駅前なのに立派すぎる石垣を目の前にしてなかなか進めない。振り返っても立派な石垣!傍らに立つ明治時代のガス灯風な街路灯との組み合わせが何とも。

fukuyama06福山城 石碑。外観復元という言葉が少し気になる。(古写真とは明らかに異なる部分があり外観をちゃんと復元していないため)

fukuyama07城跡にはこの石段から入る。古絵図を見るとこの石段の左側には鉄砲櫓などがあり、更にその外側は内堀だったようだ。なお内堀は福山駅工事などで全て埋められた模様。

fukuyama08石段を上がったところにある「史跡 福山城跡」石碑。石碑は新幹線ホーム側を向いている。

fukuyama09城跡への入口にあたる場所には、現存の筋鉄御門がある。石垣の雰囲気は周囲とは少し異なり、切込ハギ風。白漆喰の壁に茶色の窓枠は、古写真に見る天守と同じ組み合わせだ。本来の天守もこういう造型だったようだ。

fukuyama10伏見櫓および筋鉄御門の説明板。説明板には両方とも伏見城からの移築とあるが、伏見櫓については解体修理の際に物的証拠が見つかったものの筋鉄御門については何も見つかっておらず、疑問が呈されているようだ。

fukuyama11筋鉄御門を越えると広い本丸の向こうに復興天守が見える。なお往時はここに本丸御殿が建っていたので、このように天守がどどんと見えることはなかった模様。

fukuyama12本丸南の芝生エリアに建つ「伏見御殿跡」石碑。本丸御殿の一部が「伏見御殿」だった模様。石碑の下の石は礎石の遺構か。

fukuyama13本丸西側に建つ鐘楼。建物は現存だが、度重なる修理により大きく改変されているという。

fukuyama14鐘楼 説明板。時を告げる鐘だけでなく、招集用の太鼓も常備されていたとか。何と全自動装置により1日4回 鐘がなるという!訪問時は時間帯があわず鐘の音を聞くことは出来なかった。残念

fukuyama15本丸南端にある御湯殿(復興)。隣接する本丸御殿のお風呂。天守と同様に無差別爆撃で焼失し、その後復興された。建物前の説明碑によるとこれも伏見城からの移築とのこと。

fukuyama16本丸東南角にある月見櫓。説明碑によるとこちらも伏見城からの移築とのこと。明治に取り壊されたが天守などと一緒に復興。

fukuyama17月見櫓の北側にある鏡櫓。他の櫓と異なり周囲に説明板は無かったが、天守入場時に貰ったパンフによると文書館として使われているとのこと。

fukuyama18本丸から天守を眺める。訪問時ちょうど菊花展覧会をやっていて、本丸広場内は菊を展示するテントでいっぱいだった。

fukuyama19天守前の福山城跡 石碑。二重の堀が残っていないのが残念。

fukuyama21天守入口。天守内は福山城博物館となっており、福山藩に関連する古文書や伝来品がたくさん展示されていたが、内装は昭和の古い建物そのもので、コンクリートむき出しの壁に空調無し(扇風機が置いてあった)という夏場は結構厳しそうな状況だった。展望台以外は写真禁止で印象に残った展示も無し。せめて文化財以外(複製品やパネル展示など)は後学のため撮影させていただきたい。入口からは黄金に輝く水野・阿部両家の家紋「丸に二本沢潟(おもだか)」「丸に違い鷹の羽」が見える。

fukuyama22天守最上階の様子。床はコンクリートだが柱や壁は木造で釘隠しもあるという変な雰囲気。焼失前の天守にもあったという「御調台」という神棚を祀る一段高いスペースがあった。現地には御調台に関する説明板など一切なし(帰ってきてネットで調べて判明)。

fukuyama23展望台からの眺望。南側の本丸広場とJRの駅舎。

fukuyama24展望台から北を見ると、真下に場違いなテニスコートと、森の中に立派な洋館と屋敷が見える。

fukuyama25赤い欄干と、花頭窓と、木の扉に付けられた水野家の家紋。欄干が思ったより低い。往年の天守 最上階は風雨避けの木戸が全面を覆っており、こんな姿ではなかった(参考:戦災前の古写真)。

fukuyama26天守を出て本丸に戻る。菊花展のテントがたくさん建っていてせわしないが、通常営業時の何も無い本丸であれば目立つであろう竹垣に囲まれた松の木へ。ここにも説明板はないが、漢語で書かれた明治時代の石碑が建っていて斜め読みしたところ、阿部家第4代福山藩主・阿部正倫公にまつわるものだとのこと。

天守および本丸の見学はここまでにして、本丸北西にある棗木御門跡(なつめごもんあと)から二の丸跡を散策する。

>> 福山城 [後編] へ続く <<

訪問時期:2013年11月

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