龍野古城 : 播磨守護 赤松氏の一族が築いた中世山城跡へ。石垣が残る。

龍野古城は、15世紀終わり頃に播磨一帯を支配する赤松氏の一族 赤松村秀によって鶏籠山頂に最初に築城されたと伝わる中世山城。内紛や尼子氏・三好氏の播磨侵攻により赤松氏は徐々に力を失っていき、4代続いた龍野赤松氏も1577年に信長軍(羽柴秀吉)の播磨侵攻の際に開城降伏し、秀吉の家臣となった。以後 龍野城は織田家〜豊臣家の家臣が城主を務め維持されたが、江戸時代になり山麓に御殿を中心とした近代城郭(龍野城)が築かれ、脇坂氏の時代に山上の詰城は廃城となった。山上には曲輪(削平地)や堀切に加え、一部の石垣が残る。石垣は赤松氏の頃とも、その後の織田家〜豊臣家時代の城主のものとも言われる。

<基本データ>
●名称: 龍野古城(別名 朝霧城)
●所在: 兵庫県たつの市(マップ
●築城: 赤松村秀
●竣工: 1499年(明応8年)
●遺構: 石垣、曲輪、堀切、井戸跡


<訪問記>

tkojo01-s龍野古城跡のある鶏籠山へは、龍野城跡(本丸御殿)の裏にある登山口から登るルートと、脇坂屋敷前の道を北上して紅葉谷を経由するルートの2種類がある。パンフによると紅葉谷から上がるのが順路のようだが、今回は二の丸から本丸へと順に進める登山口ルートから登る。動物避けの網を開けて登山口へ進もう。なお入口横のポスト内には「鶏籠山頂 龍野古城案内」という資料が入っているのでぜひ貰っていこう。

tkojo02-s登山口入口に建つ、鶏籠山龍野古城 説明板。手書きの縄張り復元図が嬉しい。尾根に沿って曲輪が一直線に並ぶ連郭式山城だ。1577年、信長の命を受けた秀吉は2万の大軍で揖保川まで攻め寄り、それを山城から見た赤松氏は戦わずして軍門に下り、城を明け渡したという。

tkojo04-s登山開始。いきなりこれぐらいの角度の斜面が眼下に現れ、いきなり疲れる。巨大な堅堀跡か。

tkojo05-s登山道は往時の大手道とは異なるルートを通っており、木で造られた階段を右へ左へ曲がりながら急斜面を一気にあがっていく感じだ。ところどころに看板が建っているので道を間違えないよう確認しながら上がる。

tkojo06-s10分弱のぼると、最初の石垣跡が現れる。上の土塁?が崩れないようにするための石積みか。この石積みの上を写真左に進めば、物見台跡へ行くようだ。

tkojo07-s道がつづら折れになるあたりに、土塁跡という看板が建っていた。古城への道は上へ続く。

tkojo08-sこちらが土塁跡とのこと。左奥のテープで囲まれた部分?分かりづらい。

tkojo09-sつづら折れの道を登り切ると、小さな曲輪が連続して現れる。曲輪の端には崩れないための石積み跡が若干残る。

tkojo10-s縄張図によるとここから本丸まではほぼ一直線。道を示す看板はなくなり、代わりに矢印板やビニールテープなどの簡素な目印になる。どんどん奥へ進む。

tkojo11-s最初の広い削平地へ。こちらは二の丸跡。今までの急斜面を思うと、結構広い。「二の丸跡」という看板以外には特に何もない。

tkojo12-s二の丸から更に進むと、残存状態の良い石垣が現れる。

tkojo13-sこのあたりは矢竹(弓矢に使うため真っ直ぐで節の間が長い竹を植えたもの)が多く生えている。看板の奥の細いまっすぐの木がそう。

tkojo14-s本丸直前の削平地。奥に石垣が見えてきた。右上の一段高いところが本丸か。

tkojo15-s石垣へ近づく。本丸の周りをぐるっと囲っていたのだろうか。

tkojo15a-s本丸へは当時のものと思われる石段を登っていく。石垣跡と思われる残骸がたくさん転がっている。

tkojo16-sこちらが本丸跡。二の丸と同じぐらいの規模だ。説明板と石碑等が建つ。

tkojo17-s本丸にある「龍野古城」の石碑。古城のイメージぴったりの石碑だ。

tkojo18-s本丸に建つ 鶏籠山 龍野古城 説明板。秀吉の大軍団が侵攻してきた際、城主の赤松氏は籠城を覚悟するものの、滅亡を憂う家臣の諌めにより城を明け渡したとか。

tkojo19-s本丸北側にある本丸虎口跡。中央の石段と、その脇にある石積みがしっかり残っている。

tkojo20-s本丸の北側には城山八幡宮があったという。当時の石畳がしっかり残る!

tkojo21-s鳥居も倒れてしまったようだが、鳥居の残骸が残る。柱部分以外の石は山麓の築城の際に石材として持ち去られたのだろうか。

tkojo22-s八幡宮跡と本丸跡の間には、本丸を支えていたと思われる立派な石垣が大量に残る。角が算木積みにはまだなっていないものの、しっかりと直角に折り曲げた隅を意識した構造をしているところが良い!

tkojo24-s本丸の北東側には「古城石段」と名付けられた本丸への階段が残っている。石段の上にも石垣が残っているようだ。

tkojo23-s古城石段の上に行くと、更に苔むした石垣を発見。当時はこういった石垣が本丸の周りをぐるっと囲んでいたのだろう。

tkojo26-s本丸から更に北に進んでいくと、長い石垣の一部分と思われる遺構が残っていた。かなりの苔むし具合で、まるで抹茶わらびもち状態だ。

tkojo27-sこちらも苔むしてマリモ状態となった石垣跡。まさに廃城。

tkojo28-s山城の最北端部分と思われる、竪堀跡。ここから先は (登山道と比べると) 緩やかな山道が続く。

tkojo29-s鶏籠山頂はほとんど樹木に覆われていて眺望を楽しむことは出来ないが、ちょっとだけ開けている箇所があったので眼下の揖保川を撮影。この揖保川沿いに2万人の秀吉軍が戦闘態勢で待機していたら、そりゃあ滅亡を覚悟する。。。時の城主 赤松広英は滅亡を覚悟して徹底抗戦・籠城を主張するも、重臣らの諌めにより家名を残すことを選択し開城降伏したとか。

tkojo30-s三濃山と鶏籠山の分かれ道となる「両見坂」まで来た。ここにも龍野古城 説明板が建つ。文面は本丸に建っていた説明板と内容はほぼ同じだ。三濃山側の入口には大きな石灯籠が建っていた。

tkojo32-s両見坂から紅葉谷を経由するルートは緩やかな傾斜になっていて、両隣は当時 武家屋敷や番所などが建ち並んでいたようだ。こちらは番所跡と井戸跡。

tkojo33-s侍屋敷の蹲(つくばい)。つくばいとは、庭園に入る前に手を清めるために設置された、低い位置にある手水鉢のこと。低い位置にあるので手を洗う際にしゃがまないといけないが、しゃがむことを「つくばう(突き這う)」ということから、つくばい と呼ばれるようになったとのこと。

tkojo34-s矢穴が刻まれた石材があった。石材に残る矢穴跡と刻印は見逃しやすいので、ちゃんと書いてくれているのは嬉しい。

tkojo35-s石垣畑跡。龍野古城の廃城後に空き地となっていた侍屋敷跡が、戦時中の食糧難の時代に畑に転用されていたという。

なお紅葉谷という名前のとおりこの道沿いにはモミジがたくさん植えられており、時期的に見事な紅葉を期待したが、まだ少し早かったようだ。残念。

石垣を持つ中世山城跡「龍野古城」と、立派な御殿や城下町を持つ山麓の近世城郭「龍野城」がセットで見られる龍野の町。またゆっくりと来てみたい。

訪問時期:2013年11月
撮影機器:SONY NEX-C3
– – – – – – – –
ブログ人気投票参加中. いつも投票アリガトウ(^-^)

投票するのも、順位を見るのも、上↑のアイコンを押してね!
ページの一番上に戻る

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中