感状山城 : 山頂に残る総石垣が印象的な赤松氏の山城。

播磨の守護であり戦国大名でもあった赤松氏の主要拠点の一つだった感状山城(かんじょうざんじょう)。この不思議な名前は、かの建武時代に足利方の赤松氏がこの城で南朝・新田軍と戦い、足利尊氏から感状を受け取ったことが由来とされる。築城および廃城の時期など詳細は一切不明の謎の山城だが、戦国期と想定される壮大な石垣跡は山麓からも見えるほど巨大で美しく、一見の価値がある。

<基本データ>
●名称: 感状山城 (Wikipedia)
●所在: 兵庫県相生市 (マップ)
●築城: 赤松氏?
●築城: 鎌倉期?室町期?
●遺構: 石垣、曲輪、井戸跡

訪問時期:2013年11月


<訪問記>

kanjozan03-s感状山城 登山口に向かう途中、紅葉のシャワーを浴びる。11月ということで紅葉まっただ中。とはいえ山の上はまだ紅葉してなかった。

kanjozan04-sこちらが感状山 登山口への道。羅漢石仏へ向かう道と同じ方向で、途中で道が別れる。

kanjozan05-s川沿いにある、この木の階段が感状山城跡 入口。緑のポストの中に案内パンフがあると書いてあるが空っぽだった。奥の駐車場前にある羅漢の里研修センターでもコピーを配布していた。パンフには各曲輪の説明と詳細な縄張図が描いてあるのでぜひ入手したい。

kanjozan06-s入口の傍にある感状山城跡 説明板。感状山城は南北朝時代の城。山城を背景含めて楽しむには、信長〜秀吉〜家康の織豊時代(安土桃山時代)だけでなく、鎌倉末期〜建武の新政〜南北朝時代を知る必要がある。てっとり早く太平記を読もう。

kanjozan07-s山頂へ伸びる木の階段は七曲りの様相を呈している。折れ曲がり部分には上に行くに連れ、崩れずに残った石垣の一部が見られる。城跡までは400mほどで意外と近い。

kanjozan08-s上の方に登るとこれぐらいの石垣を見ることが出来る。山城でこのレベルを見るとおおっと驚くが、感状山城跡の石垣の実力はまだまだこんなものではなかった…

kanjozan09-s石垣用の石材を切り出したと思われる巨石も散在。

kanjozan10-s木の階段が終わると道が2手に分かれる。左に曲がれば「物見岩」、真っ直ぐ進んでから左に向かえば「大手門」。今回は大手門から城に入る。なお城跡としては物見岩の方から入るのが定番のようだ(案内パンフも物見岩ルートに線が引いてあり、また物見岩の前には「感状山城跡入口」という看板が建つ)。また、ここから大手門に行くより、物見岩に行く方が近い。

kanjozan11-s大手門への道。元々大手道として綺麗に積み上げてあったと思われる石垣が崩れて、道に散らばっている。兵どもが夢の跡。道は狭く、石がゴロゴロしていて、横は結構な角度の斜面のため、難易度が高い道と言わざるをえない。ゆえにパンフ等では物見岩ルートが紹介されているのかもしれない。

kanjozan13-sこちらが大手門跡。分かれ道から約10分で到達。石垣はほぼ崩れているが、かろうじて大手門と思われる石段と虎口を構成する石垣が判別できる。

kanjozan14-s石段部分アップ。屈強な武士たちが駆け抜けた大手門が、見える!

kanjozan15-s大手門上すぐにある井戸。山城では水の確保が生命線。感状山城跡にも、井戸跡がいくつか残っていた。この井戸はまだ水をたたえていて驚き。

kanjozan16-s大手門跡から上部の曲輪に向かう途中にも、武家屋敷などがあったのか、当時は綺麗に石垣が積まれていたであろう跡が多く見られる。

kanjozan17-sやがて広大な削平地へ。案内マップによると「III曲輪群」とのこと。周囲には倉庫跡や出曲輪跡などもあり、かなり広いが、特に明確な建物跡(礎石など)は見当たらなかった。

kanjozan20-sIII曲輪群を北に抜けて、北曲輪群を目指す。踏み固められた細い山道を進む。

kanjozan21-s途中にも井戸跡を発見。こちらは水が枯れてしまっているようだが、はっきりと分かる井戸跡の丸い石組みが分かる。

kanjozan22-s右上奥に見える看板は「腰曲輪群」。斜面を削った細い曲輪が複数連なっている。

kanjozan23-s北曲輪群へ到着。ここを越えると本丸跡だ。

kanjozan25-s「I曲輪」本丸跡。礎石跡と思われる石が並んでいる。見晴らしはかなりいいが、ここから見える景色(東側)はほとんど山。

kanjozan26-s「I曲輪」を南側から振り返る。建物の礎石と思われる直方体の石が一列に並べられている。

kanjozan27-s一段下がって「I曲輪」を見上げる。曲輪の周りを石積みで囲い、土塁の崩落防止と同時に、強固な軍事拠点という印象を与える。

kanjozan28-sII曲輪方面を見る。ここにも石列が区画を分けるかのように並んでいる。

kanjozan29-s北II曲輪。

kanjozan30-s南II曲輪。I曲輪と同様に見晴らしが良い。

kanjozan31-s南II曲輪の最上段からの眺め。谷の集落が一望だ。感状山は北側に三濃山という更に高い山があるため、攻め入るにはほぼこの南側からしかなく、ここから見ていれば敵の動きはすぐに分かっただろう。東の細い谷から攻めてもI曲輪から丸見えなので、まさに抜群のロケーションだ。

kanjozan32-s南II曲輪の下には南曲輪群と呼ばれる小さな曲輪がたくさん連なっており、そこには当時の城壁を構成していたと思われる石垣が大量に残っている。これは圧巻!最上段の石垣は沖縄の城(グスク)のように角を丸く積み上げている。

kanjozan33-s南曲輪群の石垣アップ。ほぼむき出しの山の斜面に450年以上前に積まれた石垣がこれだけ残っているのは驚きだ。まさに感動。

kanjozan34-s南曲輪群の各曲輪は石垣で区切られた道を通るようになっており、下から見上げると総石垣と言うに相応しい雰囲気だ。

kanjozan35-s廃城でのひととき。

kanjozan37-s城壁のような石垣だけでなく、門跡のような石段も見つかる。

kanjozan39-s石垣で区切られた道があるため、攻め手はまっすぐ進めず道に沿って進まねばならない。そして上から横から弓矢の嵐。これは厳しい。

kanjozan40-s南曲輪群はかなりの斜面に築かれており、下の方は崩れてしまっており根石程度しか残っていないため、下を見ると結構急な斜面に見える。滑らないようゆっくり踏みしめて降りよう。

kanjozan41-s南曲輪群から石坂を降りるとIII曲輪群へ出る。ここから物見岩 方面へ。途中、4つに分かれる巨木が迎えてくれた。当時から感状山城を見守ってきたのだろうか。

kanjozan42-sこちらが物見岩。かなりいかつい。

kanjozan43-s物見岩に登ってみる。切った跡もあり、石垣用にいくらか用いられたようだ。頂点部分は平らになっていて、この上で物見兵が三交代などで見張りをしていたのだろうか。大変だ。

kanjozan44-s物見岩の出口付近には「感状山城跡入口」の看板が建っていた。大手門跡ではなく、こちらから上がるのが一般ルートのようだ。

kanjozan45-s物見岩から下山する道も、しっかりとした石段となっていた。崩壊甚だしい大手門側より、こちらのほうが城跡に向かってる感があり、より「大手門ぽい」かもしれない。

kanjozan46-s南曲輪から見えた県道44号線から感状山城跡を見返す。南曲輪から谷が丸見えだったのと同様に、谷側からも感状山城跡がはっきり見える(中央の山の一部ハゲた部分が南曲輪群)。

訪問時期:2013年11月
撮影機器:SONY NEX-C3
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