萩城 [後編]

萩城 [前編] の続きです。

  • 前編・・・南門〜本丸門〜天守台〜本丸〜東園跡
  • 後編・・・本丸東側の復元土塀〜城下町散策へ

<訪問記>

hagi37本丸北東部の東園跡から東に向かうと浜に沿って石垣がある。石垣の切れ目が「潮入門跡」。

hagi38潮入門跡の南側石垣からは、白漆喰の土塀が再現されている。土塀の説明板はここにある。

hagi38a二の丸土塀 説明板。鉄砲狭間があるため「銃眼土塀」と名付けられている。二の丸東門から先ほどの潮入御門まで城塁が築かれていたという。

hagi39潮入御門跡から海に出てみる。こちらは北側。浜には岩がゴロゴロしている。石垣は潮入御門跡の北側にも続いている。

hagi40銃眼土塀(復元)。海から攻め入る敵をここから迎え撃つ。土塀の前は広場になっていてキャンプ場として夏は開放されているようだ。

hagi41内堀沿いの南北の道には途中で食い違い虎口。地図によるとここには紙矢倉が建っていたようだ。

hagi42二の丸東門へ。石垣の雰囲気ががらりと変わり、石材1つ1つが大きく、打込ハギだが一部切込ハギ風の技術も取り入れられている。

hagi43東門には、外から向かって左側に時打矢倉、右側に東門矢倉が建っていたようだ。

hagi44二の丸東門跡付近から内堀越しの本丸石垣を見る。17時頃のため西日で石垣が赤く染まっている。美しい。

hagi45天守台を二の丸跡より眺める。反りがすごい。

hagi47mori二の丸を南に出て、駐車場の向かいにある、旧 厚狭毛利家屋敷長屋へ。萩城跡に入っていれば、その半券にここの入場券も付いているのでそれで入ろう。

hagi48説明員の方の話によると、幕末に建てられたこの武家屋敷は武士の詰め所で、武士の階級により待機する部屋の広さが異なっていた。実際、長屋の手前の部屋(一の間)は8畳だったが、奥の方に行くと3畳、2畳と狭くなっていき、最後はフェリーの二等船室のような広い部屋に下級武士が詰め込まれていたようだ。

hagi49屋敷内には古絵図や説明板などいろいろ展示されている。見どころは一番奥にある、3mx3mぐらいの巨大な萩城模型。

hagi50冠木門の内側から見た長屋全景。

hagi51somon続いて城下町内にある外堀跡へ。奥に見える土塀が、復元された北の総門跡。なお城を出てすぐにある遊覧船乗り場がある川は、廃城後に通された川で、堀跡などではないとのこと。

hagi52北の総門を東側から見た図。門だけでなく、土塀や石垣なども復元されている。平成16年に萩開府400年を記念して復元されたという。

hagi53巨大なケヤキの冠木を持つ、高麗門。高さ7mの日本最大の高麗門とのこと。

hagi55北の総門を裏側から。高麗門特有の控柱にかけられた後ろの切妻屋根ですら、大きい。

hagi56北の総門 説明板。外堀には当時「大手三つの門」と呼ばれる門があり、それぞれ北の総門、中の総門、平安古の総門と呼ばれたという。門の左右は土塁で固め、門下の船着場からの道には食い違い虎口を設け、門の前は枡形、土橋には土塀を設けるなど、容易に城内に侵入されないよう守りを固めていたようだ。

hagi57tenjuin城下町内にある天樹院は、初代萩藩主・毛利輝元公の墓所となっている。

hagi58天樹院 山門。立派な唐門だ。元々ここは輝元の隠居場所だったようで、没後に菩提寺が建てられたという。

hagi59立派な天樹院 説明板。維新後、廃寺になってしまい、現在は墓所のみが残るという。お参りしていこう。

hagi60山門を越えてすぐにある、輝元公 火葬場跡。

hagi61墓所へは石畳に石灯籠が整然と並ぶ。木々に囲まれ、周囲の気温も何度か低い印象を受ける。

hagi62鳥居をくぐると、輝元公の墓所へ。

hagi63こちらが輝元公および夫人の墓所。説明板によると、花崗岩製の五輪塔で、輝元公のものは高さ2.1mとかなり巨大なものだ。なお手前には、殉死した重臣の永井次郎左衛門の墓もあった。

hagi64再び城下町へ。萩で一番長い白壁といわれる、問田益田氏旧宅土塀。永代家老 益田氏の分家で、土塀は231mにも及ぶそうだ。

hagi66街の至るところで城下町的雰囲気を楽しむことができる。なまこ壁と白壁が美しい。

hagi67jokamachi史跡 萩城城下町 の石碑。このあたりの辻は萩藩城下町の様子をよく留めているようだ。

hagi68萩城城下町 説明板。木戸孝允旧宅、高杉晋作旧宅などが立ち並ぶ。訪問時はバスツアー客と思われる団体がそれぞれの旧宅前で添乗員の説明を受けており、賑わっていた。

hagi69城下町の辻はこんな雰囲気で旧家が立ち並ぶ。いい雰囲気なのだが、時々ここを無理やり? 車が通っていたのが残念。(道が細く観光客も多いのでかなり危ない)

hagi70他、街内には旧 武家屋敷の門が残る。こちらは「北門屋敷」すぐ横にある「旧 福原家萩屋敷門」。永代家老 福原家の上屋敷の表門で、他に中屋敷・下屋敷があったという。江戸中期頃の建築とのこと。

hagi71同じく北門屋敷の北側にあった萩セミナーハウスの門が「旧 毛利家別邸表門」。門の左右には覗き格子のある土間が付属している、かなり立派な門だ。建築年代は明治という。

hagi72萩バスセンター近くにある、高札場跡。高札の雰囲気が復興されている。発掘調査により礎石や瓦組などが見つかったがそれらは再度埋め戻し、ここに往時の姿のみ復興したとのこと。雰囲気が出ていて良い。

hagi73shoin最後に、萩城下町の東のほうにある、松陰神社へ。維新志士を多く排出した吉田松陰先生の松下村塾跡があるという。

hagi74こちらが神社境内にある、松下村塾跡。建物内には入れないが、中を見ることが出来る。

hagi75松下村塾 室内。訪問時が既に17時半を過ぎており、日が暮れていたのでフラッシュで強制撮影。ここで学んだ維新の志士たちの古写真が飾られていた。奥の部屋には吉田松陰先生と思われる像があった。萩一のパワースポット!

訪問時期:2013年11月

 

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