福岡城 [2/3] 大天守の有無は諸説あるも立派な天守台は健在。

福岡城福岡城 [1/3] の続きです。

広い内堀を越えて、石垣修復工事現場を見た後、平安時代の遣唐使外交施設だった「鴻臚館(こうろかん)」跡を見る。

鴻臚館跡を越えると巨大な石垣で構成された虎口が現れ、そこから二ノ丸になる。いよいよ城内へ。


<訪問記>

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本丸跡へ。本丸には、先ほどの祈念櫓以外にも本丸御殿や月見櫓など、いろいろ建物が建っていたようだ。

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天守台への入口にあたる「鉄御門跡(くろがねごもん)」。かなり道が狭く、また両側の石垣の上には塀や櫓があったと思われ、天守台へ侵入しようとする敵を水際で食い止める最後の砦にふさわしい要衝だ。独特の姿で、これぞ福岡城の顔といった構造。

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本丸 説明板。天守復元CGが載っているが、福岡城に天守が本当に建っていたかどうかは未だに明確な証拠が見つかっていないという(天守を壊したという記述がある手紙が存在するものの、天守が描かれている図面が存在しない、など)。

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鉄御門跡へ。すごい迫力。当時は更に石垣の上に櫓があったというのだから、今とはまったく異なる雰囲気だったろう。

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鉄御門跡を越えると、天守台と登り口が見えてくる。結構高い。

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天守台への入口である枡形虎口の石垣には埋門(うずみもん)跡が残る。ここを通って天守台の裏側へ向かうことができる。なお天守台へ行くには写真右に映る青い階段を登り、石垣の塀の上を伝って向かう。枡形虎口の石垣へ登る石段等が無いことから、ハシゴか簡易な石段などで石垣上の多聞櫓へ登ったのだろうか。

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埋門跡を超えて、裏側から天守台を見上げる。天守台は野面積みだ。

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階段を通り、天守台の上へ。天守台は中心部が凹んでおり、地下一階があったような構造になっている。安土城天守と同じ。礎石が整然と並んでいるのを見ると、天守が建っていたのではないかと思ってしまう。ただ、天守台は築いたものの天守自体は建てなかった例もあるので、礎石があるからといって天守があったとは限らないのが歴史の難しいところ。

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天守台跡 説明板。天守が建っていたとすると、天守台の規模や礎石の配置から5層の天守と考えられるとのこと。天守台の上からでも相当良い眺めなので、更に5層天守の上からの眺めは想像を絶する眺めだったことだろう。

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天守台の上から鉄御門跡および本丸を見下ろす。手前の城跡と、奥の大都会とのコントラスト。奥に見えるのはヤフオクドームと福岡タワー (234m)。

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天守台から降りて、本丸の南東へ。ここは月見櫓跡となっている。

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天守台の東側には小天守台が残る。天守への石段と異なり、小天守への石段は幅広だ。

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小天守台もなかなか複雑な構造をしていてなかなかに迫力・見応えがある。

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小天守台の上より。なお小天守台の上からは天守台の奥の曲輪へ道が繋がっている。

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小天守台から天守台の奥の曲輪へ行き、天守台を見上げる。少し草が多いが、堂々とした野面積みの石垣が楽しめる。

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天守台の奥の曲輪は御武具櫓跡となっている。武具櫓跡からは、先ほどの埋門を通って天守台前の枡形虎口へ行くこともできるし、天守台の西側へ回ることも出来る。天守台の西側へ向かい、現存する多聞櫓の方へ向かうこととする。

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天守台の西側へ回る道は鍵型に折れ曲がっている、いわゆる遠見遮断な道になっている。当時は石垣の上に櫓や塀も建っていて更に見通しも悪く、当然ウォーキングマップ(ハンディ縄張り図)などないので、知らない城に行けば間違いなく迷っただろう。

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右側が天守台の枡形虎口石垣、左側は本丸外周の石垣。左右で積み方が異なることが分かる。1601年から約7カ年かけて築城されたので、その間に石垣の技術も向上していったのだろう。

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前後左右を石垣に囲まれた無骨な細通路。鉄御門跡とここが、福岡城で最も好きな場所。

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天守台の枡形虎口石垣。結構な高さで天守台に劣らず迫力がある。

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こちらは裏御門跡。天守台の北西方向にあたる。

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裏御門跡 説明板。本丸御殿に直接向かう道だったようだ。左側の石垣は古時打櫓台で、裏御門の横に二層の太鼓櫓が建っている古写真が残っている。またこの時櫓は、現在 下之橋御門に隣接する二層の櫓(伝 潮見櫓)であることが判明し、潮見櫓は解体保存されている櫓の方だったことが分かったとのこと。であれば、いずれは時櫓は本来の場所であるここに移設され、下之橋御門の横には解体保存の櫓を組み直されることを期待しよう。

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裏御門跡から本丸石垣の外側を通って南へ向かうと、南二の丸がある。ここには多聞櫓が現存するという。南二の丸の入口には冠木門(復元)が建つ。

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南二の丸の西側に建つ多聞櫓(現存)。北西端と南西端に建つ二層櫓を、多聞櫓が繋いでいる。パンフによると横幅72m、内部が細かい部屋にわかれていることから廃城後は学生寮に使われていたこともあるとか。福岡城跡 唯一の重要文化財。

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こちらが多聞櫓に接続する北西側の二層櫓。普段は内部公開していないが、2013年の夏休みシーズンは特別に公開していたようだ(福岡市HPより)。

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多聞櫓 説明板。1853年に建て替えられたものという。ぎりぎり江戸時代の建築物といえる。また多聞櫓の内部は思ったよりも細かく区切られているようだ。お城と桜のライトアップを見ながら、南二の丸で花見(という名目の宴会)が出来たりするのだろうか。

>> 福岡城 [3/3] へ続く。 <<


訪問時期:2013年11月
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