福岡城 [前編] 城跡で発掘された遣唐使外交使節「鴻臚館」跡へ

福岡城は、関ヶ原での功績により徳川氏から筑前50万石を与えられた黒田長政黒田官兵衛の息子)が居城として築城した。天守台はあるが天守があったかどうかは不明。本丸・二の丸・三の丸跡は現在 舞鶴公園として整備され、天守台・本丸・二の丸の石垣および多聞櫓・祈念櫓など幾つかの建物が現存する。二の丸跡の東側(旧平和台野球場)には平安時代の外交施設「鴻臚館」跡があり、こちらの発掘調査も進められている。

福岡城<基本データ>
●名称: 福岡城
●所在: 福岡県福岡市(マップ
●築主: 黒田長政
●築城: 1601年(慶長6年)
●遺構: 石垣、堀、多聞櫓/祈念櫓
●関連: 福岡市よかなびweb福岡城むかし探訪館


 

<訪問記>

fukuoka_s-00JR博多駅から市営地下鉄で赤坂駅下車。徒歩5分ほどで福岡城跡のある舞鶴公園入口へ。道の左(南)側に見えるのは中堀跡で、公園へ渡る橋は手前の「上ノ橋」と奥の「下ノ橋」がある。写真の園内マップは上ノ橋のところにあるので確認しておこう。

fukuoka_s-00a赤坂駅から上ノ橋まで行く間に、福岡城跡堀石垣 が見られるエリアがある。上の地下階段がそれ。

fukuoka_s-01説明板によると、この堀石垣は昭和53年の地下鉄工事の際に発見、保存されたという。ここの他にも平和台球場入口にも二箇所あると記載されているが、球場は2008年に解体されており跡地は鴻臚館北館 発掘現場として柵で囲まれており、どこで保存されているのか分からなかった。なおここの石垣公開は毎週土日のみで、訪問時は平日だったため閲覧できず。残念。

fukuoka_s-01a上ノ橋から中堀跡を眺める。かなり幅が広い。先ほどの堀石垣説明板では当時は三十間(約50m)あったというから、ほぼそのまま残っているようだ(幅はGoogleマップで目測)。それにしても途中からハスがびっしりだ。

fukuoka_s-02上ノ橋を渡ると、上ノ橋御門の石垣と塀が見えてくる。草がビッシリついてはいるが、巨石を惜しみなく使った雄大な打込ハギが目を引く。なお門を形成する東西の石垣のうち、東側の石垣は現在修復工事を行っていた。写真は西側の石垣。

fukuoka_s-03上ノ橋御門 石垣保存修復工事の説明板。なぜ何をどう修復するのかわかりやすく説明してくれていて大変ありがたい。門の片方の石垣を組み直すだけで1年10ヶ月もかかることに驚く。また、福岡城跡には構築時期の違いにより野面積みの場所(天守台など)と打込ハギの場所(上ノ橋御門石垣など)があるようだ。注意深く見ていこう。

fukuoka_s-04修復箇所の向かいのこの高台から、修復工事の様子を見学できるようだ。

fukuoka_s-05石垣修復工事の様子。石垣の石材1つ1つに番号を振り、積んであったとおりに積み直していることが分かる。

fukuoka_s-06上ノ橋御門跡と福岡城跡との間のエリアは、平安時代の外交施設・迎賓館だった鴻臚館(こうろかん)跡として発掘作業および出土品等の展示が行われている。写真は発掘調査が終了した南側エリアで、跡地は広場および鴻臚館跡展示館となっている(写真左奥)。北側エリアはまだ発掘中で柵に囲まれ立ち入りできなかった。

fukuoka_s-07史跡 鴻臚館跡 説明板。かなり広い設備だったようだ。これが1300年も前の平安時代に作られ、遣唐使を大陸に送り込み、大陸から来た唐使をここで迎えていたというのだから驚きだ。教科書で習った遣唐使という文字だけの知識が、ここで現実に起こったことだと実感する瞬間。

fukuoka_s-08鴻臚館跡展示館へ。受付に福岡城の100名城スタンプがあるので忘れない内に押印してから館内へ入ろう。中は遣唐使関連のパネル展示と、鴻臚館の建物復元と遺構展示。

fukuoka_s-09鴻臚館 説明板。遣隋使・遣唐使などの大陸との交流は中学校の歴史で習ったが、それを運営するための施設である鴻臚館は知らなかった。そりゃそういうのが必要だよね。

fukuoka_s-10展示館内に貼ってあった福岡城散策マップ。これは散策に便利だと思い貰おうとしたところ、何と展示館で配布しているのは英語などの他言語版のみ。理由を聞くと、日本語版はもともと市とは無関係のNPO団体が作ったため行政は他言語版のみ作成し、市の施設である展示館では日本語版のみ配布していないとか。どこを向いて仕事をしているのやら。ということで、仕方なく英語版を貰って散策のお供とした。城跡用語メモ: 櫓=turret、櫓台=base、跡(遺構有り)=remains、跡(遺構無し)=site。天守台は base of the main tower、小天守台は base of the smaller towers と書いてあった。なお日本語版は、作成したNPO団体のHPで閲覧できる。印刷して持って行こう。

fukuoka_s-11鴻臚館跡展示館を出て、いよいよ福岡城跡へ。まずは東御門跡(二の丸御門跡)。すごく立派な打込ハギの石垣に、鏡石と呼ばれる大きな石材が埋め込まれている。当時の権力の象徴だ。例えば大坂城でも蛸石などの巨大な石材がこれ見よがしに門前に埋め込まれている。

fukuoka_s-12東御門跡 説明板。ここは家老屋敷などが並ぶ「三の丸」と「二の丸」とを結ぶメインルートだったとか。

fukuoka_s-13東御門跡の先はゆるやかなカーブの上り道になっている。登った先は、東二の丸。

fukuoka_s-14東二の丸から二の丸へは、鍵型に曲がる「扇坂」を越えてゆく。

fukuoka_s-15二の丸 説明板。ポイントごとに福岡城物語というカラフルな説明板が建っていて、分かりやすい。福岡城の二の丸は広大で、坂や門で区切られて二の丸・東二の丸・南二の丸の3つの曲輪に分かれていたようだ。東二の丸には二の丸御殿が建っていたようだ。このあたりに建っていたという「お綱門」に関する伝説が紹介されている。また説明板右上には、先ほど入れなかった堀石垣 地下展示施設の写真が掲載されている。

fukuoka_s-16鍵型に曲がる虎口の「扇坂」。向こう側は二の丸になる。

fukuoka_s-17こちらが二の丸。かなりの広さ。立派な二の丸御殿が建っていた。

fukuoka_s-18二の丸から本丸へ通じる道は先ほどより太く、ここに本丸表御門が建っており、右側の石垣の上には表御門櫓がそびえ、睨みを効かせていた模様。かなり立派な門だったのだろう。本丸表御門は城主黒田氏の菩提寺である崇福寺に大正7年に移築され、山門として現存している。

fukuoka_s-19本丸跡の北東(鬼門)には、祈念櫓(きねんやぐら)が現存している。内部の公開はしていないようだ。

fukuoka_s-20本丸 表御門跡・祈念櫓 説明板。古写真と移築後の表御門を見比べると雰囲気が異なる気がする。バラして運んで組み立て直すので、より良く作り直したということか。また祈念櫓も古写真と今目の前にある櫓がまったく違う感じだが、移築の際に大幅に改変されたそうだ。移築の際に改変されるのは意外とよくあることなのかもしれない。

fukuoka_s-21祈念櫓前にはもう1つ木製の説明板が建っていた。棟札があり、1860年(維新の7年前)に竣工し、大正時代に大正寺へ移築、昭和18年にまたここに移築されたという。昔は石垣の上に白漆喰の壁に花頭窓を持つ櫓だったのが、今は黒壁で質素な櫓になっている。

>> 福岡城 [中編] へ続く <<


訪問時期:2013年11月
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