長浜城 [前編] 秀吉が初めて建てた城

1573年(天正元年) 小谷城の戦いで浅井家は滅亡。信長は功績のあった秀吉に浅井家の旧領を与え、秀吉は廃城となった小谷城の資材等を流用し、湖岸に自身初の持ち城となる長浜城を建てた。1582年(天正10年) 本能寺の変後、清洲会議を経て長浜城は柴田勝家のものとなるが、同年秀吉は長浜城を攻め奪取。賤ヶ岳の戦いでは秀吉軍の軍事拠点となった。その後、城主変遷を経て1615年(元和元年) 廃城となり、資材は彦根築城に流用された。

nagahama_cover<基本データ>
●名称: 長浜城
●所在: 滋賀県長浜市(マップ
●築城: 1573年(天正元年)
●築主: 豊臣秀吉
●分類: 平城 (水城)
●関連: 長浜城歴史博物館


2014大河ドラマ「軍師官兵衛」3/2放送の第9話にて、初めて秀吉が城持大名となった際に建てた城としてここ “長浜城” が登場しました。
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<訪問記>

nagahama01JR長浜駅から徒歩5分ほどで、長浜城 模擬天守が見えてくる。天守は模擬とはいえ天正期の望楼型で、あの国宝現存4天守の1つ犬山城を参考にした設計(というかほぼソックリな姿)となっていてぱっと見は実に本物っぽい。城跡一帯は初代城主の秀吉をあやかって豊公園と名付けられている。

nagahama02長浜城址の石碑と説明板はこの位置。10月とはいえまだ木々が茂っていて天守が見えづらいのが残念。

nagahama03長浜城跡 説明板。元々は今浜という名前だったこの地に、秀吉が城を建てた際に「長浜」と名づけたという。市内の大通寺および知善院に移築した長浜城の門が残るという。発掘調査も行っているようだが、出てきたという石垣などの遺構があまり展示されていないところをみると、埋め戻してしまったようだ。残念。ちなみに冒頭の「バサラ大名」とはWikipediaによると当時の流行語で「奢侈(しゃし)な振る舞いや粋で華美な服装を好む美意識感」のこと。時代は異なるが信長のうつけ者みたいなものか。無双系ゲームで有名な戦国BASARAもこの「ばさら」が語源の模様。

nagahama04まずは天守へ。この石段を上がると天守正面の広場に出る。

nagahama05こちらが長浜城 模擬天守。中は長浜市歴史博物館になっている。入館料400円。中は長浜および秀吉に関する歴史解説や伝来品などが展示されているが最上階以外は撮影不可。

nagahama06天守前の広場には発掘調査で出てきたと考えられる石垣の根石が2つ鎮座?していた。どのへんにあったか等の説明は一切なし。ちなみに根石とは石垣の一番下に積む(というか埋める)、いわゆる石垣の礎石。

nagahama07もう1つ 旧長浜領 境界碑 が立っている。傍らの説明板によると、これは秀吉が特別に長浜の町に年貢を免じた政策を行った際、どこからどこまでが長浜の町(=年貢免除地)かを示す石碑を町のあちこちに立てたというもので(石碑自体は秀吉の政策を引き継いだ徳川幕府により建てられたもの)、立てられた30数本の石碑のうち14本が今も長浜に残るという。「從是南長浜領(これより南 長浜領)」と読める。旧街道沿いなどに今も見られる国境石のようなもの。「從」は従の旧字。

nagahama08天守を天守台の下から眺める。この石垣自体も復興による模擬石垣で、角度が鈍角すぎるので、足をものすごく開いて立っている人のような印象を受けた。ちなみに別の場所に「天守閣跡」の石碑もあることから、そもそも天守台の位置もここではない模様。

nagahama09お城の向かい側には、大きな松の木とともに「長浜城 本丸跡」の石碑が立つ。

nagahama10模擬天守に登ってみる。1Fはお土産売場、2Fと3Fは展示室、4Fは機械室(階段で通りすぎるだけ)、で最上階の5Fが展望台になっている。5Fのみ撮影可。5Fの階段の前に戦国合戦パノラマの世界と称した長浜城から見える有名な戦国時代の史蹟が方角・距離とともに載っているという一風変わった巨大パネルがあった。「ナレーションによってたどってみましょう」とあるが、どうやったらナレーションが聞けるのか分からなかった。

nagahama11展望台から東方面を眺む。正面奥の高い山は伊吹山(1377m)。右(南)の方には関ヶ原古戦場、左(北)の方には姉川古戦場があるという。(現地説明板より)

nagahama12続いて北側へ。正面左の小山は「山本山」。そのすぐ右あたりは賤ヶ岳古戦場、中央マンションの右側の山は小谷城址とのこと。

nagahama13こちらは南側。中央の白い大きなホテル(長浜ロイヤルホテル)の右に小さく見える山が佐和山、その右端には彦根城。が見えるはず。

nagahama14天守を出て琵琶湖畔の方へ歩いて行くと、小高い丘の上に「長浜城 天守閣跡」石碑と秀吉の石像が建つ場所がある。琵琶湖畔ぎりぎりのここが天守台のようだ。

nagahama22天守台付近の石垣。当時の野面積みのようにも見えるが、恐らく復興天守と同時に積まれた石垣と思われる。

nagahama23天守台の前には「おかねさん」という人柱に関する石碑が建っていた。築城の際に人柱を立てる話はよく聞くが、当時のしきたりとはいえ、悲しすぎる話だ。

nagahama15天守閣跡 石碑の横にある、長浜城の構造 説明板。天守台の大きさは東西12間x南北10間。1間=6尺=1.8mなので、東西22mx南北18mか。城跡周辺に説明板や石柱を建てるプロジェクトをやったようだ。街中散策の際に注意して見てみよう。

nagahama16天守台跡から更に琵琶湖畔へ行くと、秀吉が築城時に掘らせたという井戸跡「太閤井跡」がある。今は砂浜だが、当時はここも城内だったというから長浜城は琵琶湖に建物がせり出した、いわゆる水城だったということだろう。なお石碑と周囲の石だけで井戸跡らしきものは見えなかったが、琵琶湖の渇水が進むと何かが出てくるのかもしれない。

nagahama17太閤井跡から少し南へ進むと「長浜城 石垣出土地」という石碑が現れた。あたりは草むらで石垣らしきものは見えないが?と思い、隣の説明板を読んでみると、、、

nagahama18昭和44年の湖岸埋立工事の際に水底調査を行ったところ、石垣の根石と思われる30数個の巨石が約30mに渡り整然と列をなしていたという。しかしどうやらまたもそのまま埋めてしまったようだ。。。残念史蹟。

nagahama19気を取り直して、天守周辺で見つけた内堀跡の石碑を2つ紹介。1つ目は豊公園の看板の手前。石碑隣の細い小路が内堀跡か。

nagahama20もう1つは市民プール前の交差点前駐車場の入口付近。現在の豊公園全体が内堀の内側といった感じか。

nagahama_yakei02おまけ1:夕日に染まる太閤井跡。金曜ロードショー。日本の夕日100選。

nagahama_yakei03おまけ2:夜間ライトアップされた長浜城天守。なかなか見事。

天守および豊公園内の遺構は見終えたので、続いて城下町に残る長浜城の遺構を訪ねて回る。

>> 長浜城 [後編] へ続く。<<

訪問時期:2013年10月