彦根城 [1/2] 徳川四天王 井伊家の居城、天守や櫓・城門等が多数現存

徳川四天王の1人「井伊直政」が関ヶ原の軍功により近江国に入国、かつて石田三成の居城だった佐和山城小谷城大津城など近隣の城の具材を利活用して急ピッチで築かれた。以後明治維新まで井伊家は改易されることなく、江戸時代260年を通じて城主を務め上げた稀有な例である。現存天守は国宝5天守の1つ。天守以外にも櫓や城門、石垣、水堀、登り石垣などなど、見どころが多すぎて丸一日かけても終わらない規模。すっかり彦根城の顔となった「ひこにゃん」も今だ人気衰えず。

彦根城<基本データ>
●名称: 彦根城(Wikipedia
●所在: 滋賀県彦根市(マップ
●築城: 1622年(元和8年)
●築主: 井伊直政、直勝
●遺構: 現存天守、櫓、城門、石垣、内堀等


<訪問記>

hikone01-sJR彦根駅を降りると、騎馬にまたがった「井伊直政公」が出迎えてくれる。徳川四天王の1人として徳川家康の元で大活躍、関ヶ原後は譜代大名として彦根藩35万石の大大名となった。井伊家といえばやはり直政と直弼 (いいなおすけ。幕末期の大老で開国政策を推進するも安政の大獄で少しやりすぎたか桜田門外で暗殺)。ちなみに直弼の銅像は公園と天守内の2箇所にあった。

hikone01a-s駅前には井伊直政公の他に、亀の上に載った彦根の歴史を神代(古事記)から紐解いて説明してくれる石碑が建っている。「〜であります」調がちょっと堅苦しいが、書いてある内容はなかなか興味深い。天照大御神の子供の天津日子根命(あまつひこねのみこと)・活津日子根 兄弟がここに鎮座して彦根の街を作り、奈良時代には藤原不比等が彦根を治めたことで平城京にも劣らぬ地方都市となり、平安時代には彦根山に参拝者が絶えなかったとか。彦根すごい。

hikone02-s彦根城は、駅からまっすぐ進むと到達する。すばらしい。さらに姫路城のように駅から天守が見えれば最高だった。とはいえ主要駅からアクセスが良いのは電車攻城派には大変助かる。ちなみに当時の大手門(正面入口)は駅側ではなく向かって左側。

hikone03-s正面の佐和口へ通じる一直線の街道沿いに松が並ぶ。これらは「いろは松」と呼ばれ、元は47本あったことから「いろは47文字」の最初の3文字を取ってそう名付けられた。人馬の往来の邪魔にならないよう地面に広く根を張らない土佐松を高知から持ってきて植えたとか(現地説明板より)。

hikone05-s彦根城にはかつて内堀・中堀・外堀の3つの堀があったが、最外周の外堀は戦後埋められ道路となった。ここに残る窪地は当時の外堀の姿をそのまま残す貴重な場所とのこと。

hikone06-sこちらがその外堀跡。浅いのはある程度埋められたからだろう。

hikone07-s佐和口御門。巨大な食い違い虎口を形成している。左右の石垣を繋ぐ櫓門にはなっておらず、多聞櫓が左右に分断されて建っているが、説明板によると元々は中堀のところに高麗門が建っていたとのこと。ちなみに右側の櫓は「開国記念館」として整備されており、彦根城の歴史やお隣の佐和山城と石田三成に関する資料が展示されていた。左側は「佐和口多聞櫓」として当時のまま残っており、内部見学も可。

hikone08-s佐和口の手前には中堀が広がる。澄み渡る青空が映る静かな水面を白鳥が泳いでいるという漫画みたいな場面に出くわした。事実は漫画よりも奇なり。

hikone85-s佐和口多聞櫓には、裏側から入る事ができる。入場無料。多聞櫓の前は駐車場になっている。

hikone09-s内堀にかかる木橋を渡ると表門となり、彦根城への入口(料金所)となる。

hikone10-s彦根城 案内図。内堀の内側に現存する天守などの建物があり、中堀と内堀の間には庭園「玄宮園」があるぐらいか。まずは内堀の内側エリアを見よう。

hikone11-s表門を入ると、本日のひこにゃんスケジュールが表示されていた。1日3回公演(?)のようだ。ひこにゃん出演のタイミングでは人が多くて落ち着かないという観点と、逆に人がひこにゃん側に集中して天守や城門など遺構周辺の人が減る(撮影に最適)という観点とがある。

hikone83-s表門の前には、表御殿を復元した「彦根城博物館」がある。城と玄宮園と博物館のセット入場券で1000円がお得。博物館の中は、井伊家伝来品の展示とともに、当時の表御殿を再現した藩主の居間や茶室、庭園などがある。写真はたまたま前庭でひこにゃんが公演中のもの(15時頃)。ちなみに、ひこにゃんの公演が終わると前庭に通じる扉が閉められてしまうようなので注意。

hikone12-s表門すぐの場所には「登り石垣」の看板が建っていた。登り石垣とは、山の斜面を敵が平行移動できないよう、斜面を垂直に仕切る石垣。いわば堅堀の石垣版といったところ。彦根城では5箇所でこの登り石垣が見られるが、登り石垣そのものはほとんどが立入禁止内にあり、また遠くからは樹木等で見づらい。しかし頑張って城内を回ればすべて見る(コンプリート)は可能。

hikone13-s少しわかりにくいが、こちらが表門横の登り石垣。斜面を遮るように石垣が建っている。その左側は少し掘ってあるのでこちらは堅堀か。

hikone14-s表門でお金を払い奥へ進むと、次の曲輪まで続く長い石段が現れる。1段1段の幅が広く、また登るに連れて傾斜が急になってきて実に登りにくい。これは例によって意図的にこう造られたもの。

hikone16-s石段を登り切ると、そびえ立つ高い石垣と立派な櫓が見えてくる。天秤櫓だ。築城当時の建築物で、重要文化財。長浜城の大手門を移築したものと言われている。櫓に入るには、廊下橋の下をくぐってまずは左側へあがり、廊下橋を渡る必要がある。

hikone17-s廊下橋を渡って反対側へ。この道は堀切になっており、有事の際は廊下橋を落としてしまえば、攻め手はこの石垣を登らざるを得なくなる。

hikone18-s廊下橋へと続く坂道を上がる。

hikone18a-s坂道を上がると「鐘の丸」と呼ばれる曲輪へ出る。築城当時はここに鐘楼があったらしいが、肝心の鐘の音が北方まで届かなかったので移設したという。また「大広間」も建っていたが、それも江戸に移築された。

hikone19-sではいざ天秤櫓へ。よく見ると向かって右側の櫓と左側の櫓の向きが90度ずれている。一見、左右対称のように見えて、実はそうではないという設計者の「粋」か。(それぞれ京都と江戸の方を向いているという話もある)

hikone20-s天秤櫓 説明板。こちらから見ると横長の多聞櫓だが、上から見ると凹の形をしていて、天秤のような形に見えるのでそう呼ばれたとのこと。また、江戸末期に石垣修復工事をしており、左右で積み方が異なるという。という情報を頭に入れて1つ前の写真を見直すと、確かに左右で石垣の色も積み方も異なることが分かる。右側が築城当時の古い「牛蒡積み」(表からは見えないが細長い石を奥に差し込んで積んでいく方法)、左側が幕末修理時の「落し積み」(石を斜めに積んでいく方法)。勉強になる。

hikone21-s天秤櫓を越えると更に次の曲輪へ続く坂道になるが、訪問時ちょうど右側で工事をしていた。さっきから建っていた赤白のカラーコーンは工事車両の通路確保用ということか。何の工事かと言うと↓

hikone22-s石垣保存修理工事。さすがに400年以上経つと石垣も傷んでくるので、やばそうなところから徐々に組み直しているとのこと。ただ直すだけでなくこのように何をしているのか/どんな様子なのかをちゃんと説明してくれているところが素晴らしい。石材もできるだけ原石を再利用して行っているとのこと。工事関係者の皆さん暑い中ごくろうさまです。

hikone23-s天秤櫓の中には、内側の隅にあるこの入口から入れる。

hikone24-s天秤櫓 内部。板張りだが現存なので土足禁。ただ中に入れるだけでなく、パネルで色々と説明してくれている。展示物もほとんどなく、櫓そのものを楽しめる。個人的にはこの方が好き。

hikone25-s天秤櫓のみどころ。よくある長文の説明ではなく、箇条書きで短くまとめているところが素晴らしい。櫓は江戸と京都を向いているのは本当のようだ。また扉にもいろいろ攻めにくい細工がしてあるとのこと。表門と大手門と鐘の丸という三方からの敵を一手で引き受ける要所であるがゆえに、ここまで作りこんであるということか。

hikone26-s天秤櫓から外を見る。表門からの敵は左から、大手門からの敵は右から、そして鐘の丸からの敵は正面からやってくる。まさにここは第一の関門だ。

hikone27-s天秤櫓に関する別の説明板。短くまとめられた「見どころ」を見た後は、細かい字の長文が目に痛い。大体先ほどと同じようなことが書いてあるが、追加情報として、長浜城の大手門を移築したという話は井伊家の歴史書に載っているものの、それを裏付ける物的証拠は未だ見つかっていないとのこと。

hikone28-s天秤櫓の奥から外を見る。中央やや左奥にポコッと膨らんで見える山は「佐和山」。石田三成の居城、佐和山城跡がある。琵琶湖の水運が重要だった江戸初期において、少し内陸の山の上にある堅固な佐和山城より、琵琶湖に面した彦根城の方が確かに便利だ。

hikone29-s天秤櫓を出て石段を上がると、鐘楼が現れる。これが天秤櫓の向こう側の鐘の丸にあったという鐘楼か。

hikone30-s鐘楼 説明板。今でも1日5回 鐘を鳴らしている。聴鐘庵とは鐘楼の隣にある茶屋のこと。有料でお抹茶がいただけるようだ。

hikone31-sいよいよ本丸へ続く最後の門、太鼓門櫓へ。この向こうは本丸となる、まさに最後の砦。

hikone32-s太鼓門櫓は、背面が開放されて高欄付きの廊下となっているらしい。門をくぐったら見てみよう。

hikone33-s太鼓門櫓の裏側。確かに壁がなく、廊下が丸見えになっている。ちなみに、現在はこの廊下の奥がひこにゃん殿の御殿になっているようだ。(この廊下を通って現れた)

hikone34-s太鼓櫓門を抜けてこの枡形虎口を越えると、本丸。

hikone35-s本丸へ入ると、こじんまりした彦根城天守がお目見え。なんだか、かわいらしい。なお単独で建っているようにも見えるが、右側に附櫓が隣接している。

hikone36-s天守の横では、ひこにゃんがパフォーマンス中だった。表門の看板に書いてあった朝10時半からの公演(?)にちょうど出くわしたようだ。ちなみに客が誰も居らずポツーンとしているように見えるが、実は右側に大勢の見物客が居た。もみくちゃにされないよう、ある程度の距離を置いている。ひこにゃん人気、未だ健在。

hikone37-sひこにゃんに人が集まって空いている間に天守へ。まずは天守 説明板。確かに規模は小さめだが、小さい中にもたくさんの破風がところ狭しと設置してあり、にぎやかな雰囲気だ。大津城の天守を移築したものと伝えられるとのこと。

hikone38-s天守に入る前に、今一度 天守を斜めから見返す。正面からの姿と横からの姿では、破風の種類や位置、並びが異なっており、異なる雰囲気を醸し出している。個人的には正面より横からの姿の方が好きだ。

そして、いざ天守内へ。

>> 彦根城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2013年9月
撮影機器:SONY NEX-C3
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