龍王山城 : 南城と北城に分かれる大和国最大級の中世山城跡。

龍王山城(りゅうおうざんじょう)は大和国(奈良県)最大級の中世山城(信貴山城に次ぐ)で、大和の有力国人だった十市氏が築城した。十市氏は大和国内の勢力争いで筒井氏を経て松永久秀の配下となり、龍王山城も松永久秀のものとなる。その久秀も信長への謀反に失敗し滅亡、その後に龍王山城も廃城となった。南北2つの城域に分かれる構造が特徴的で、建造物は一切残っていないが、堀切跡や曲輪跡が残る。

<基本データ>
●名称: 龍王山城 (Wikipedia)
●所在: 奈良県天理市(地図
●築城: 十市氏
●築主: 15世紀頃?
●遺構: 郭、土塁、堀切
●関連: 天理市HP


<訪問記>

ryuozan_map-s龍王山城跡はハイキングコースとなっており、龍王山麓のトレイルセンターでは「歴史と健康の道 龍王山」というパンフを配布している。カラフルでポップなイラストに驚いた。今回は上記「ダムルート」(天理ダム)の奥にある小さな駐車場から散策スタート。

ryuozan01-sこちらがダムルート奥の駐車場。パンフには10台停められると書いてあるが5台が限度か。ここまでの道も対抗車とすれ違うのがやっとな細い道だった。

ryuozan01a-s駐車場を出るとすぐに龍王山城跡の入口となる石碑へたどり着く。石碑周辺に城跡や由緒に関する説明板が複数建っているのでまずはそれを確認。

ryuozan02-s石碑のすぐ横に建つ龍王山城跡全体マップ。この場所を中心に、北側が北城跡、南側へ少し進むと南城跡がある。まずは奥にある南城跡へ行き、その後ここに戻ってきて北城跡へと向かうこととする。

ryuozan03-s龍王山城に関する説明板。北城は本丸を中心に周囲に曲輪を配置する「環状式」なのに比べて、南城は尾根筋に沿って各曲輪が一列に並ぶ「連郭式」。北城跡には石垣跡も残り、南城の後に北城が築かれたようだ。

ryuozan11-s城跡碑から展望台(木が茂りすぎて眺望は何も見えない)を越え、南城の入口付近に辿り着くと、また案内地図が建っていた。それぞれの看板のタッチが違いすぎることが少し気になる。柳本龍王社から石段を通って南城本丸跡へと向かう。

ryuozan13-sこちらが柳本龍王社へと続く道の入口。いきなりの緑のトンネル状態だが、確かに立て看板はこちらを指している(写真では白飛び)。

ryuozan15-s奥へと進むとすぐに広場に出て、柳本龍王社が現れる。雨乞いの神様とのこと。社の前には小さな池があり、毒蛇注意の看板が建っていた。

ryuozan16-s柳本龍王社から更に奥に進む。左側の盛り上がりは土塁か。

ryuozan17-sここからが曲輪群。長い階段を上がると連郭の最初の曲輪へ。

ryuozan18-sこちらが最初の曲輪。ただの細い道のようにも見えるが、写真左側も平朔地(に木々が茂っている)。

ryuozan19-s次の階段から2つ目の曲輪へ。こちらは非常に小さく、すぐにその次の階段へと繋がった。

ryuozan20-s3つ目の曲輪へ向かう階段。ここから石段となる。十市氏が構築した山城時代の石段かと思いたい。

ryuozan21-sこちらが3つ目の曲輪。非常に広い削平地で、門跡や建物の礎石と思われる石材がいくつか露出していた。天理市観光協会HPによると平成9年にここで発掘調査を行っており、敷地の幅いっぱいに瓦葺の建物が建っていたことが分かったという。

ryuozan22-s更に奥に進むと4つ目の曲輪である主郭への道が現れる。崩れかかってはいるがこちらも当時の石段と思われる。たぶん。

ryuozan23-s南城の主郭跡。綺麗に整備されており、ハイキングで登ってきた人たちが弁当を食べていた。中央左奥に写っている三角の建物は遊具。右側には二等三角点も写っている。

ryuozan24-s主郭からの眺望。南側が開けており、奈良盆地が一望。現地で話しかけてきた人の話によると、空気が澄んでいると何と明石海峡大橋が見えるという! 訪問当日はそこまでは見えなかったが、それでも大和三山、二上山、葛城山、金剛山がバッチリ見える。

ryuozan25-sどれがどの山かは現地説明板で見比べてみよう。なお明石海峡大橋の印が2つあるが、現地の常連さんぽい人の話によると、テプラの方が正しい方角という。

ryuozan26-s主郭からの眺望を堪能したところで更に奥へ。主郭の奥にはあと2つの曲輪と堀切があるようだが、特に道で繋がっているわけではなさそうなので、堀切を横断して向かうこととする。まずは主郭一番奥にある、この小道から下へ。

ryuozan27-s主郭と、その奥(東)の曲輪との間の堀切。枯葉や木枝が積もっているが、はっきりと堀切の形が分かる。

ryuozan28-s曲輪の上にあがるが、特に何かの跡らしきものは無い。

ryuozan30-s更に奥へと進むと、巨大な堀切が出現。写真では分かりづらいが、かなりの高さがあった。すべるように降りていく。(登るのは無理)

ryuozan31-s苦労して堀切斜面を降り、堀切底へ。見事なV字谷。

ryuozan32-sもう1つ奥に曲輪があるのだが、堀切が急かつ深すぎて上がりづらい。慎重に斜めに登っていく。ここらあたりだけが少しなだらかになっていたので、ここが曲輪への入口だったか?

ryuozan33-s曲輪の上へ。奥が土塁になっており、ここが一番東の端の曲輪と思わせる。特に遺構等は無し。曲輪散策はここまでにして、元来た道を戻り、大堀切を南へ進んだところにあるという虎口跡を目指す。

ryuozan36-sこのあたりが食い違い虎口(食い違い土塁)跡か。倒木が多く通りづらいだけでなく、土塁や堀などの遺構の判別もしづらくなっている。主郭あたりと比べてこのあたりの整備はまったくなされていない印象。

ryuozan37-s食い違い土塁 付近の道もこの有り様。まさに、忍びが通るケモノ道。

ryuozan38-sなお草木だけでなく大きな蜘蛛の巣が道を塞いでいることもあるので、それらを払うストック等も必須。

ryuozan39-s道が多少 踏み固められてくると、元のハイキングコースに近づいてきた証拠。

ryuozan40-sさて、南城はほぼ見尽くしたので、北城へ向かうべく、最初の城跡碑の方へと戻る。

ryuozan41-s北城跡の手前には馬池と呼ばれる湧水地があった。今も池の隅から水が湧き出ており、とあるように、確かに池の隅のほうの水が揺れており、水が湧いている感じがした。

ryuozan42-sこちらが馬池跡。写真左奥まで続く。水は少なかったが、枯れてはいなかった。

ryuozan04-s北城跡への入口にあたる部分に建つ北城略図。たくさんの曲輪跡や堅堀跡が残るようだ。

ryuozan43-sまずは本丸東側の道を進む。元 堀切と思われる。

ryuozan44-s道の東側(崖側)には堅堀跡。と地図にあったのだが、非常に分かりづらい。

ryuozan45-s道は奥へと続き、本丸跡へと向かう。

ryuozan46-sこの土塁の上が本丸跡。となるのだが、樹木が生い茂っているだけでなく角度も急すぎてこちらから登るのは断念。本丸の反対側にも道があったので、そちらへ向かう。

ryuozan47-s最初に見た、この龍王山城跡の石碑の横にある小道が、本丸西側の道にあたる。こちらから本丸方面へ向かう。

ryuozan48-s道はある程度踏み固められているので通行人はいるのだろうが、枯れ木などが散乱しており、南城と比べ北城はほとんど整備されていないことが伺える。

ryuozan50-s道の右側は地図によると南虎口跡となっており、食い違い土塁のような絵が描いてあった。該当する場所に辿り着くと「土塁」の説明板が建っていた。

ryuozan52-sその奥には南虎口の説明板が建っている。円形の窪地で当時も主要な出入口だったこと、食い違い虎口の片方(左側)が破損していること、攻め手の弓が逆手になるような方向に土塁が積んであることなどが書かれている。なるほど。しかし土塁の片方が破損していることと草木が生い茂り過ぎていることから、どこが虎口跡なのかは分からなかった。

ryuozan53-s奥へ進むと、堀切と思われる場所へ到達。左側が本丸跡、右側が「辰巳の櫓」跡。

ryuozan54-s辰巳の櫓跡の下には石垣というか石積らしき跡が残っていた。

ryuozan55-s辰巳の櫓跡を見上げる。結構な高さがある。特に入口等ないので、そのまま坂を上がってみる。

ryuozan56-s辰巳の櫓跡。だが、特に礎石などの遺構は無かった。

ryuozan57-sいったん堀切へ戻り、今度は本丸跡へ。木で造られた階段のようなものがあったが、朽ちてしまっており逆にここからでは登りづらい。北城跡がまったく整備されていないことがここからも伺える。

ryuozan58-s北城本丸跡。かなり広い削平地になっており、草もある程度刈られているようだ。

ryuozan59-s本丸跡の奥には小さな土塁跡があり、そこには植木と遊具?展望台?があった。

ryuozan60-s遊具の奥には一部樹木が開けているところがあり、そこから大和三山・金剛山方面を見渡すことが出来る。しかし視界が狭いので、眺望を楽しむなら南城本丸跡の方が数倍上。

ryuozan61-s北城本丸の周囲はこのように小さな土塁で囲まれていた。

更に本丸の奥の曲輪や遺構類を見に行こうとしたが、9月末とは言えまだまだ樹木が生い茂っていて道が道でなくなっているため、今回の散策は本丸までで終了とした。地図によると、奥には「西の大手丸」「五人衆の郭」「井戸跡」「北虎口」などがあるようだ。また機会があれば訪問したい(もう少し木々が枯れてから)。

ryuozan64trail-sおまけ:龍王山城跡へ徒歩で行く場合の始点となる「天理市トレイルセンター」に建っていた石碑。十市遠忠は、16世紀前半に龍王山城を現在の南北2城構成に改修し、龍王山城を十市氏の居城とした人物で、この頃が十市氏の最盛期だったと言われている。
「天下おさまる時を朝夕の月にも日にも先いのる哉」という歌から分かるとおり、戦国武将とは思えない平和を望む人物だったようだ。

なおトレイルセンターは主に天理市内の古墳に関する資料を展示しており、龍王山城跡に関する資料は少ない。

訪問時期:2013年9月
撮影機器:SONY NEX-C3
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