和歌山城 [3/3] 二之丸を囲む城門めぐり、現存の追廻門・岡口門と、復元された大手門へ

和歌山城 訪問記 − 其ノ三(全三回)。
Link: 和歌山城

[概要]
吹上御門跡から、西ノ丸、御橋廊下を経て、二之丸御殿跡を見学。そのまま石垣に沿って上へ上がり、本丸・天守へ。Part3では下山し、周囲の城門、堀跡等を見て回ります。


<訪問記>

本丸から新裏坂を降りたところからスタート。最初の地図で言うと右側の「新裏坂登り口」付近。

wakayama72a-s新裏坂を降りたあたりは、動物園方面そして不明門方面へ抜ける食い違い虎口があり、さながら立体迷路のよう。動物園方面の虎口を形成する石垣はかなり隙間の多い打込ハギで出来ていた。

wakayama72-sそしてこちらは不明門跡へ抜ける食違い虎口。不明門跡はすぐそこだが、ここからは出ずに一旦中に戻り、西の追廻門からぐるっと廻って各門を見て回ることとする。

wakayama75-s2天守南から西へ、護国神社の入口方面へ向かう途中、天守の石垣前にこんな看板が立っていた。和歌山城石垣の刻印について。城内には2110個、新裏坂周辺だけで854個も刻印石があると言う。刻印の数はすごいが、それよりも「よく数えたなぁ」と担当者の頑張りに感心してしまった。

wakayama76-s看板付近の石垣の石を間近で見てみる。確かに刻印がある。右上の石には▶◀、中央下の石にはそれを90度回転した刻印が見て取れる。

wakayama79-s天守の南西方向には和歌山県護国神社が鎮座している。原則 各都道府県ごとに1つずつある護国神社は、国家のために殉難した(戦時中の戦死だけでなく自衛官や警察官なども含む)国民の英霊を祀る神社である。お城を訪れた際は日本を守ってくれた彼らに敬意を表してお参りしていこう。彼らのおかげで、今の日本が、ある。

wakayama93-s和歌山城 護国神社 二の鳥居。和歌山城内に入った時に最初にくぐった鳥居が「護国神社 一の鳥居」となり、一の鳥居からこの二の鳥居までは、ほぼ一直線の参道となる。

wakayama89-s護国神社の北側にある砂の丸広場。グラウンドになっていて、訪問時は子供たちが野球をしていた。

wakayama91-s砂の丸広場(追廻門近く)の石垣横には、石垣修復工事記録の石碑が立っていた。石碑によると、砂の丸西側南寄の石垣を昭和50年に修復したようだ。当時の予算で4000万円。補足石も100個ほど用意したようだが、基本 石を積み直すだけでも結構かかるものだ。

wakayama90-sその修復された石垣には石段も綺麗に整備されていたので、石垣の上に登って和歌山城天守を北西方面から眺めてみる。ギリギリだが、天守郭にある4つの櫓が全て見える。一番手前の大きく見える櫓は乾櫓。

wakayama92-s2では本丸西側にある追廻門へ行ってみよう。高い石垣で囲まれた虎口の奥に「赤門」が見える。内側の柱の上に小さな屋根がついている、高麗門と呼ばれるスタイル。オシャレなだけでなく、後ろの控柱の上に小さな屋根を載せることで、薬医門に比べて本体の屋根を小さくすることが出来、防御側から門の外の様子がよく見えるようになる利点がある。そのことから、近代城郭に於いて枡形虎口など主要な防衛拠点の前に位置する城門は、たいていこの高麗門形式となっている。

wakayama80-sこちらが追廻門 正面。赤い門を見ると有名な東大の赤門(旧 加賀藩邸)を彷彿とさせる(あちらは高麗門ではなく薬医門)。

wakayama81-s2「追廻門」説明板。大手門の反対側の搦手(からめで=裏門のこと)に位置するこの門は、門前に馬術を練習する追廻(おいまわし)があったことから追廻門と呼ばれる。紀州徳川藩の際に構築されたこの門は、陰陽道の裏鬼門に当たり除災のため朱色に塗られたと考えられる。昭和20年の空襲でも焼けずに残った江戸時代の遺構。なるほど。

wakayama73-s続いて、本丸南側にある不明御門(あかずのごもん)跡へ。和歌山城 5城門のうち、最初に通った吹上御門跡とここ不明御門跡が、失われた「門跡」となる。門よりも隣の高石垣に圧倒される。現在の門跡は車両で城内に入るためのゲートとなっている。

wakayama74-s2高石垣の脇に立つ「不明御門跡」説明板。その名の通り、通常は使わず遺体や罪人を出す非常時の門として使われていた。紀州徳川藩の城拡張で南の丸が造られ、その際に不明御門および高石垣・南堀も造られた。大正4年に倒壊したと言われるが、同年に南の丸に動物園が造られたため搬入のために壊されたとも。

wakayama82-s不明門と岡口門の間にある「南堀跡」。もともとは水堀だったようだが、現在は空堀でこのとおり堀底が公園に整備されている。もちろん降りて石垣を間近に見ることも出来る。

wakayama42a1-sでは南東端にある「岡口門」へ。こちらは立派な櫓門。米軍の空襲にも耐えて焼け落ちなかった江戸時代の遺構、その2。

wakayama421-s岡口門の内側へ。上の写真では高石垣に櫓門の二階部分も接続しているようにも見えるが、こちらから見るとそうではないことが分かる。当時は左右の石垣の上にも城壁や多聞櫓があり、そこから櫓門の中へ接続されていた。なお岡口門の説明板は、この門の内側にある。

wakayama431-s2「岡口門」説明板。正面から撮ると太陽光で反射してまったく読めなかったので斜めから。説明板によると、元々 秀長による築城時はここ岡口門が大手門だったが、浅野氏時代に現在の「一の橋」が大手門となり、紀州徳川家で現在の形の門となったとのこと。浅野氏時代までの岡口門には1Fに畳三帖があったとか。どんな構造だったのだろうか。

wakayama411-s岡口門から城内に入り、まっすぐ北上して大手門を目指す。本丸に上がる際に登った表坂登り口を下から見ると、このとおり高石垣になっている。切込ハギそして勾配が美しい。そして、この角の尖り様!

wakayama401-s高石垣を虎口の内側から見上げる。そびえ立つという表現が似合う圧倒的な迫力。まるで富士山。ここも和歌山城の見どころの一つ。

wakayama391-s表坂登り口へ続く食い違い虎口。遠くから見ても高石垣の迫力はすごい。

wakayama94-sそのまま北上し、伏虎像を超えて、大手道へと続く虎口(一中門跡)へ。かなり整形された石で切込ハギが構成されている。

wakayama83-s2大手門へと続く大手道。左側の石垣の向こうは二の丸・表。

wakayama84-s2そして突き当たりにある高麗門が、紀州徳川家 和歌山城の正門「大手門」。意外と小さい門で少しびっくり。門の向こうには「一の橋」。

wakayama95-s門の内側に立つ「大手門と一の橋」説明板。戦争ではなく明治42年に「倒壊した」とある。古写真等を元に、昭和58年から59年にかけて復元。この門の内側が「内郭 (二之丸より内側)」、外側が三ノ丸(城の外)だった。

wakayama85-s2大手門の外側を見る。内側から見た時は、紀州徳川家55万石の和歌山城 大手門としては少し小柄かと思ったが、 しかし門から奥にまっすぐ伸びる一中門までの大手道が立派で、これを合わせての城の顔かとも感じた。復元とはいえ、素晴らしい。

wakayama86-s大手門と一の橋を、堀の外側から眺める。夕日効果もあり、この角度からが美しい。が、土塀が門の左右ちょっとだけしか復元されておらず、かなり寂しい。

wakayama86a-s2門外にある「一の橋と大手門」説明板。古写真(明治初期の撮影)を見ると、全然違う雰囲気だ。門の向かって右側には月見櫓が建ち、左側は今は土塀だが当時は多聞櫓だったようだ。

wakayama87-s2東堀。和歌山城には西堀・北堀・東堀の3つの水堀が残っている(南に空堀もあり)が、この東堀が最も広い。元々は絵図を見る限り全て繋がっていた模様。

wakayama88-sおまけ:南海電鉄 和歌山市駅前には、木彫りの「雑賀孫市像」が立つ。独特のタッチだが、裏の銅板によるとチェーンソーアーティスト世界チャンピオンで和歌山県在住の城所ケイジ氏が掘ったものだとか。チェーンソーで一気にこれを掘りあげたのかと思うと、実にすごい!

紀州徳川家 55万5千石の居城、和歌山城。米軍の無差別爆撃や明治の廃城令で、建物は門2つを除いてほぼ失われてしまったが、天守を始め要所の城門などが復元され、石垣や木々も整備され、堂々たる当時の様子がよく感じられる名城。二之丸内部しか残っていないとはいえ見どころは多く、やはりここも一日かけてゆっくりと廻りたい。

訪問時期:2013年9月
撮影機器:SONY NEX-C3
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