和歌山城 [2/3] 美しく外観復元された連立式天守へ。

和歌山城 訪問記 − 其ノ二(全三回)。
Link: 和歌山城

[概要]
北西にある吹上御門跡より入城。西ノ丸、御橋廊下を経て、二之丸御殿跡を見学。建物は維新や戦時の米軍による無差別爆撃でほぼ全て失われてしまったようだ。Part2では石垣に沿って奥へ進み、本丸を目指す。


<訪問記>

wakayama36a-s2伏虎像から本丸の東側の大通りを南へ進み、表坂登り口を目指す。

wakayama37-s2「和歌山城の石垣」説明板。このあたりからは石垣が近くでよく見えるということなのだろう、和歌山城で見られる3種類の石垣積石技法(石の加工程度と積み方の違い)に関する説明板があった。本能寺後の豊臣(羽柴)時代、関ヶ原後の浅野時代、そして紀州徳川時代。和歌山城は3つの時代に渡って築城や増築が行われ、その時代ごとに最新の積石技法が用いられたため、場所によって技法が異なるという状態になっているというわけだ。写真つきでなかなか分かりやすい。

wakayama38-sこのあたりは石の大きさも疎らで荒々しく豪快な「野面積み」の石垣を見ることが出来る。

wakayama44-sいざ表坂登り口へ。このあたりの石垣は雰囲気が変わって「打込ハギ」となる。本丸は秀長時代にすでに造られていたが、この立派な登り口は後の時代の拡張工事で造られたことが分かる。

wakayama46-sそして上り坂の最上段の石垣は更に雰囲気が一転、切込ハギとなる。ちなみに茶色の柵は車椅子用のスロープ。バリアフリー。

wakayama47-s2本丸への上り坂の最上段より、現存櫓門「岡口門」を見下ろす。結構な高さだ。このあたりは入口にあった地図(再掲)によると「松の丸角櫓跡」の模様。写真左側に見えるのは東堀。かなり大きい。

wakayama48-s本丸へと続く通路。本丸のある右側の石垣はまた「野面積み」へと戻る。

wakayama49-s通路中ほどにある石柱の集まりは「七福の庭」と呼ばれる。本丸御殿内の庭にあったがこちらに移設されたとのこと。

wakayama49a-s「七福の庭」説明板。七福神の姿に似た名石を巧みに配して宝船乗り合いを模した、とのことだが… 自分にはそれを理解するセンスは無いようだ。右奥に見えるネットは城内に併設されている動物園(水禽園)。なんと入場無料。

wakayama50-s奥に見える石垣もなかなかの高石垣。このあたりも柵がないので立派な石垣に見とれて足を踏み外さないよう要注意。

wakayama51-s虎口を通っていよいよ本丸へ。

wakayama52-s立派な石垣の向こうに天守が見えた。俄然盛り上がってくる。

wakayama53-s天守へ向かうその前に、本丸の東半分は本丸御殿跡ということでそちらを見学。この階段の上が本丸御殿跡… なのだが、建物は解体され、庭は先ほど通ったところ(松の丸)に移設され、跡地には給水場が設営されており、現在は立入禁止。残念。一応階段を登ってみたが、門扉が固く閉ざされていた。給水場の建設で遺構も失われたことだろう。

wakayama54-s2階段の手前にある「本丸御殿跡」説明板。二代目の浅野氏時代に本丸御殿が造られたが、紀州徳川家の頃には地形が不便との理由でほとんど空家状態だったとか。確かに階段40段は辛い。

wakayama55-s立派な門跡を通っていよいよ天守のある本丸へ。門柱の礎石が残っている。

wakayama55a-s門跡を超えると、いよいよ天守へ。

wakayama56-s2和歌山城 天守がお目見え。姫路城などと同じく、小天守や隅櫓が多聞櫓で繋がっている連立式天守。右側の蔵風の小屋で入城料を支払い、100名城スタンプを押して、奥の坂から櫓門へ向かう。ここからの天守の姿が、和歌山城の最も有名な姿だろう。

wakayama57-s2「天守郭(てんしゅくるわ)と天守閣(てんしゅかく)」という説明板。時代により拡張されていく和歌山城において、天守 (最も高い櫓) の位置も変遷していったようだ。最終的には紀州徳川家の頃に、現在見られる複数の櫓等が輪のように連なる「連立式天守」となり、その建っている場所自体の呼び名も「天守郭」となった。なお当初は黒板張りだった天守の壁は、江戸後期になってから現在見られる漆喰塗りの白壁に変えられた。なお文中で「天守」と「天守閣」の言葉が混在している。諸説あるが、歴史上は「天守」が本来の呼び名で、「天守閣」は明治以降の観光名所としての呼び名、と考えて良い。そのため現存および正確に復元したものは「天守」と呼び、復興(天守跡に史実とは異なる形状の建物を建てたケース)や模擬(天守の無かった所に想像上の建物を建てたケース)は「天守閣」と呼ぶ、というのが落とし所とも思えるが、まあ正直どうでもよい。

wakayama58-s和歌山城 天守を再度見上げる。再建にあたっては史実無視の適当にそれっぽく建てたケースも散見される中、鉄筋コンクリート造とはいえ往時の連立式天守の姿できちんと外観復元してくれたのは嬉しい限り。ちなみに岡山城広島城熊本城名古屋城なども和歌山城と同じく「外観復元」だ。

wakayama59-sこちらが天守郭入口となる櫓門。重厚。昔はここに料金所があったのか、それっぽい窓口が門内に作りこまれていたあった(現在は無人)。

wakayama60-sこの櫓門は「楠門」と称されている。総楠木造り。米軍に燃やされる前は天守ともども国宝だったが、焼失。再建されたのは天守と同じく昭和33年、この門もすでに再建50年以上が経過している。

wakayama61-s天守郭の内部より、南西角の位置にあたる「二の門櫓」。

wakayama62-sこちらは北西角にあたる「乾櫓(いぬいやぐら)」。

wakayama63-s大天守と小天守を天守郭内部から見上げる。中は展望台 兼 築城当時から伝わる品々の展示スペースとなっている。残念ながら内部は撮影禁止。

wakayama63a-s小天守入口。唐破風の内側も全て漆喰で塗り固められている。柱間に横通しされた長押(なげし)にも細工が施してある。

wakayama64-s天守閣 説明板。北東と南西から見た姿が雄大さを増すような構造になっているとか。北東といえば二の丸広場、南西といえば護国神社の鳥居あたりか。たしかに、二の丸広場から天守はよく見えた。

wakayama65-s天守入口にある案内図。このように各櫓が輪のように連結しているため、ぐるっと廻ることができるようになっている。「小天守」は「しょうてんしゅ」ではなく「こてんしゅ」とルビが振ってある。建物内は以降写真NGのため、続いて展望エリアへ。

wakayama66-s大天守3Fの展望エリアより、西方面を眺む。楠門、二の門櫓、乾櫓がよく見える。その向こうには和歌山湾が見えたはずだが、天気が良すぎて白トビしていて写真ではよく分からない。

wakayama67-sこちらは東側。天守東側の郭はほとんど森になっていることが分かる。ポツンと見える白い建物は、先ほど入れなかった「本丸御殿跡」に建つ給水場関連。

wakayama68-s天守最上階はこのように板張り&薄い金網で構成されており、すれ違うときなど結構怖い感じもする。廻縁がある場合 たいてい設置されている欄干が無いが、当時も無かったのだろうか。

wakayama69-s天守郭を降りると、実は天守郭のすぐ外側をぐるっと廻ることも出来る小道がある。本丸郭の石垣や外側から見た各櫓を間近に見ることができる。ぜひ訪れてみよう。

wakayama70-sぐるっと廻って再度 楠門の前へ。よく見ると、楠門へ上がる坂道の石垣(手前・打込ハギ)と本丸郭の石垣(奥・野面積み)とは積み方が異なることが分かる。元々の天守への入口は最初はここではなく、天守郭になったときにここが出来たということか。

wakayama70a-s楠門のすぐ横には新裏坂という石段があり、本丸の南側(動物園などがあるところ)へ降りることが出来る。石段のすぐ横にはちょっと小さめで不揃いの石が多い石垣。

wakayama71-s新裏坂を降りきったところ。なお本丸への登り口は現在3つあり、今回登ってきた東側の「表坂」、この南側の「新裏坂」、そしてもう1つ、本丸御殿と天守郭の中間あたりに上がってくる北側の「裏坂」がある。裏坂にはTV等で有名?な人が石垣を登ろうとしている姿に似ている木の根がある。

Part3では、新裏坂登り口付近から本丸の周りをぐるっと廻るように歩いて、追廻門・不明門・岡口門・大手門などを見て回る。

>> 和歌山城 [3/3] へ続く。<<

訪問時期:2013年9月
撮影機器:SONY NEX-C3
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