岸和田城 [1/2] 本丸を取り囲む内堀と石垣が現存する南大阪の拠点。

岸和田城は南北朝時代に楠木正成一族の和田高家が築いたと言われており、戦国時代にはここを拠点に秀吉が紀州根来寺・雑賀衆を征伐したと伝わる。その後 城主が巡るましく変わり、小出秀政や岡部宣勝らにより近代城郭化されていったという。伏見城から二ノ丸に櫓も移築され、本丸には五層天守が建造された。その天守は落雷により江戸時代に焼失、昭和29年に三層鉄筋の復興天守が再建された。本丸を取り囲む立派な水堀と石垣が現存する。

<基本データ>
●名称: 岸和田城 [千亀利城] (Wikipedia)
●所在: 大阪府岸和田市 (地図)
●築城: 南北朝時代
●城主: 和田高家 / 小出秀政 / 岡部宣勝
●遺構: 石垣、水堀
●関連: 岸和田市HP

訪問時期:2013年9月
岸和田城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

kishiwada01-s岸和田城は南海電鉄 岸和田駅より徒歩10分ほどの場所にある。1つ和歌山寄りの「蛸地蔵駅」のほうが近いが、各停しか停まらないため、特急サザンも停車する岸和田駅から歩くほうが便利だと思われる。岸和田城の北側にある市役所前に「史蹟 岸和田城址」の石碑が立つ。

kishiwada02-s岸和田城 大手門。大手門の向かい側は櫓跡などがある二の丸公園。また岸和田城は別名 千亀利城(ちきりじょう)と呼ばれ、小高い丘だった猪伏山(いぶせやま)に築城されたことから、それらの名前が左右の柱に記されている。

kishiwada01a-s大手門前に建つ岸和田城絵図 説明板。文字の黒色が薄れて読みづらいが、3重の堀を持つ巨大な城だったことが分かる。

kishiwada04-s再建された立派な大手櫓門。

kishiwada05-s大手門入ってすぐ正面に建つ岸和田城址碑。石碑には、岸和田藩に仕えた儒教学者だった「正五位勲五等舊臣 土屋弘 謹撰」とある。舊は旧の旧字。碑は大正6年建立。

kishiwada06-s城内に入ると、屋外にカラフルなパネルで岸和田城の古絵図や歴史などが展示されていた。やや派手だが、説明が豊富なのはありがたい。奥に建つ塔は江戸時代に岸和田城主だった岡部氏の記念碑。

kishiwada07-s本丸より岸和田城天守を眺む。江戸時代に建てられたオリジナルの五層天守は1827年(文政10年)に落雷で焼失した。昭和29年に市民の強い要望と寄付を受けて鉄筋コンクリートで再建された。予算の都合等で三層になったこともあり、外観は史実に基づいていない昭和オリジナル。犬山城と大坂城を組み合わせたようなデザイン。

kishiwada08-s正面より復興天守を眺む。天守の手前にある変わった枯山水は「八陣の庭」で、上空からの俯瞰も意識した近代的な日本庭園という (パンフより)。下から見るより、天守の上から見おろすべき庭園ということか。

kishiwada09-s天守内は有料(300円)。月曜は休館なので注意されたし。天守は復興で元々の岸和田城 五層天守とは全く異なる形となっているが、正面の壮大な大入母屋破風(おおいりもやはふ、2〜3層を突き抜ける大きな三角の造形)がとても目立つ。

kishiwada11-s天守に入る。元々天守は図書館として造られたこともあり、中はモダンな造り。小天守はただの入口で、展示物等はすべて大天守にある。

kishiwada12-s大天守1Fは常設展で、仏像や鎧兜・古絵図など岸和田城に伝わる岡部家伝統の品々の展示。2Fは企画展で、訪問時(2013年9月)は新島襄・新島八重が岸和田に来たときの手紙や資料が展示されていた。どちらも撮影禁止だった。写真は3F展望台スペース。

kishiwada13-s3Fに展示してあった、岸和田城模型。

kishiwada13a-s岸和田城模型の説明。模型は天守再建時と同じ昭和29年に作成された模様。

kishiwada14-s展望台から西側の眺め。中央付近の大きな屋敷は、二の丸公園内にある観光交流センター兼イタリア料理屋。以前は二の丸公園内に猿舎があったらしいが、2011年に中央公園へ移設された。

kishiwada15-s天守展望台から見下ろした「八陣の庭」。なるほど上から見たほうが全景がわかりやすい。パンフによると、諸葛孔明が考案したと言われる八陣法という陣形をテーマにしているという。なぜこれをテーマにして庭園を作ったかは不明。

kishiwada22-s小天守前にあった八陣の庭の説明板。復興天守が再建される前にこの庭が設計・造成されたようで、将来建設されるであろう復興天守からの俯瞰を意図して作庭された、とある。

kishiwada16-s大天守より、小天守を見下ろす。鯱だけでなく、屋根にも細かい装飾が美しく施してある。

kishiwada17-s大天守より南側を眺む。水堀の向こう側にあるのは、左側は府立岸和田高校、右側は五風荘。五風荘は廃城後しばらくして建てられた明治時代の市長の別邸で、現在はレストランになっている (岸和田市指定文化財)。

kishiwada19-s本丸の南側にある、石垣の外に出る石段へ通ずる道は封鎖されていた。犬走りに行けるかと思ったが、残念。

kishiwada20-s本丸の南側の小道。ぐるっと天守台の周りを回ることができる。堀側の塀には鉄砲狭間が再現されている。

kishiwada21-s小天守左横(本丸東端)にひっそりと佇む二等三角点を発見。三角点自体は写真下の大きな石板の下に埋まっているという。

kishiwada23-s本丸西端にある多聞櫓。こちらも復興。右奥に写っている隅櫓ともども、管理用スペースとなっているようで入れなかった。なお、元々天守は図書館用途で、こちらの多聞櫓が資料館だったようだ。

kishiwada24-s多聞櫓前に置いてあった棟飾瓦。明治29年(1896年)に泉南郡が出来た時、岸和田も泉南郡の一部で、ここ岸和田城内に郡役所(後の旧市役所庁舎)が造られた。120年ほど前の鬼瓦。雨ざらしにしないで、城の中に飾ってあげて欲しい。。。

>> 岸和田城 [2/2] へ続く。<<

訪問時期:2013年9月
撮影機器:SONY NEX-C3
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