岸和田城 [2/2] 青空に映える、白亜の復興天守と石垣、水堀のコラボ。

岸和田城 訪問記 其の二。

[前回までの訪問記 概要]
駅から歩いて市役所経由で岸和田城へ。美しい復興天守の中は資料館。本丸内に築かれている日本庭園はこの天守の上から見下ろす姿を想定して作られている。其の二では二ノ丸や美しい水堀越しの復興天守の姿を見て回る。

訪問時期:2013年9月
岸和田城 訪問記 − 其の一


<訪問記>

kishiwada25-s岸和田城本丸前にある二の丸公園。今は芝生公園だが、以前はここに二の丸御殿が建っていたという。

kishiwada26-s二の丸庭園入口付近にある櫓の形をした建物。入口には「二の丸多聞」とある。中身はなんと公衆トイレ。

kishiwada27-s京都・伏見城から移築された櫓が建っていた「伏見櫓跡」。豊臣政権・徳川政権 (極初期) の政治の中枢だった伏見城が1623年に廃城となったとき、伏見城の建物は全国の主要な城に伏見櫓として移築された。岸和田城も当時の徳川政権にとって (紀州徳川家への抑えか) 重要な位置づけだったことが分かるとのこと。伏見櫓自体は他の櫓や門等と同じく、明治の廃城令の際に破棄されたという。残念。

kishiwada28-s二の丸公園の西端には「心技館」という市民道場が建つ。剣道や居合道の練習をやっている模様。

kishiwada29-s二の丸から更に西へ。内堀を橋で渡る。二の丸公園側の堀は、ハスがすごい。

kishiwada30-s一方、本丸側の堀にはハスは無い。本丸は天守だけでなく櫓門、隅櫓、多聞櫓など全周が復元されているので、さながら現存城郭のように見える。

kishiwada31-s本丸側の堀の周りをぐるっと廻る。堀の外側にもいろいろ遺跡があるようだ。大きな駐車場は、岸和田藩薬園跡(あぶみ郭)となっていた。

kishiwada32-s城の南側には五風荘という昭和初期に建てられた邸宅が残っていた。現在は何と「がんこ屋敷」となっており中でご飯が食べられるようになっている(がんこ寿司は関西の古い御屋敷をそのままお店にして営業している店がいくつかある)。

kishiwada34-sこちらが五風荘の入口。

kishiwada33-s五風荘 由来説明板。元々は江戸時代後半の岸和田城主・岡部氏の新御茶屋敷だったとのこと。2400坪!サッカー場より広いじゃないか(サッカー場は坪計算すると約2160坪とのこと)。

kishiwada35-s五風荘の説明板にあった「本来の正門」である南木門。奈良東大寺の塔頭(たっちゅう)の1つである中性院から移築されたとのこと。

kishiwada36-s堀の南東側、岸和田高校前あたりから岸和田城を見る。堀に浮かぶ島の上にそびえる石垣と白壁の城が美しい。城の裏側だが、写真に収めるならこちら側か。石垣と堀の間にあるちょっとしたスペースは「犬走り石垣」と呼ばれており、上部の石垣が壊れやすいので補強するために造られたそうだ。犬走りは今治城や彦根城など、他の城郭でも見られる。

kishiwada38-s堀の東側へ。少し逆光になってしまったが、こちらからも美しい。石垣の石の色が異なるものがたくさん混じっているのは、1999年(平成11年)に豪雨で一部の石垣が崩れた際に別の石を使って修復工事をしたためだとか。

kishiwada39-s城の東側に少し進むと、岸城神社(きしきじんじゃ)が鎮座する。岸和田城の鎮守社であったという。

kishiwada40-s岸城神社の説明板。このあたりは三の丸にあたるとのこと。

kishiwada41-s岸城神社の境内へ。

kishiwada42-s岸城神社 御社殿。相当立派だ。平成23年に御鎮座650年大祭式を行うにあたり、平成20年に御社殿を改築したとのこと。さすがは岸和田城の鎮守神。さすがは岸和田だんじりの宮入り神社。

kishiwada43-s岸城神社 御由緒。御祭神は、伊勢神宮 内宮と同じ天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)と、京都 八坂神社から勧請した素盞鳴尊(すさのをのみこと)。神社にも興味あるが、その前に古事記をしっかり読み直さないといけないなあ。

kishiwada44-s岸城神社の境内にも古い石垣があった。移設・積み直しかもしれないが、当時の石だと思われる。

kishiwada46-sぐるっと廻って城の北西部へ。高台が展望スペースぽくなっており、城下町の雰囲気をよく残すエリアを見ることが出来るという。説明板によると、この先は以前海だったがどんどん海岸線が後退していったという。

kishiwada47-s高台から見た、紀州街道と城下町の面影が残る町並み。右側のハスは二の丸の堀。左側の駐車場は、更にその左側にある「だんじり会館」の駐車場。ちなみに堀の向こうに見えている太い道は紀州街道ではない(もう1本奥)。

kishiwada48-s二の丸公園の堀の外側から、心技館・交流センター・天守を眺む。こちらからの眺めもなかなかいい感じ。

kishiwada56-sせっかくなので紀州街道も散歩してみる。紀州街道は江戸時代に成立した、大坂高麗橋から和歌山までを結ぶ街道で、途中この岸和田も城の北側を縦断する。紀州徳川家も参勤交代で通ったとのこと。

kishiwada57-s市役所別館の角に、紀州街道の石碑あり。横に書いてある「こなから坂」は、だんじり祭の時にだんじりがこの坂を城まで一気に駆け上がることで有名らしい。

kishiwada50-s紀州街道沿いで見つけた歴史スポットをいくつか紹介。まずは吉田松陰の逗留地。幕末にここ大坂沿岸の警備状況視察にために岸和田を訪れた松陰は、この家に泊まったという。時に松陰23歳。23歳にして外国船に対し日本の海防は手薄であると繰り返し説いていた! この2年後、長州に戻った松陰は有名な松下村塾で高杉晋作・伊藤博文などその後の日本を大きく動かす偉人たちを育てることとなる。

kishiwada51-sこちらが吉田松陰が泊まった屋敷。現在は久住さんという方が住んでいる模様。いかにも江戸時代の御屋敷という感じだ。

kishiwada52-s続いて紀州街道本町一里塚跡。紀州街道の基点である大坂高麗橋から一里ごとに塚が設けられていた。

kishiwada53-s一里塚弁財天 石碑。この石碑の裏に小さな祠があった。

kishiwada54-s最後に、岸和田城 防潮石垣跡。海岸防備および防潮の役割があったという。岸和田城が建てられて以来、二の丸あたりにあった海岸線がどんどん後退していったという記録が残っているが、防潮堤の跡は実際にここに海岸線があった実証拠というわけだ。

kishiwada55-sこちらがその防潮石垣跡。住宅街のどまんなかにいきなり現れた。ごく近くまで来ないと石垣が見えないので、探すのに少し苦労した。当時はこれが800mに渡って築かれていたという。壮観だったろう。

大坂城と和歌山城の中間地点に存在し、紀州徳川家の監視所とまでウワサされた岸和田城。美しい水堀と白亜天守の姿は復興とは言え一見の価値あり。

訪問時期:2013年9月
撮影機器:SONY NEX-C3
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