有岡城 : 謀反を起こし官兵衛を幽閉した荒木村重の居城

有岡城は元々伊丹氏がこの地に築城し支配していた伊丹城を1574年に織田家家臣の荒木村重が攻め落とし、大改修の上「有岡城」と名を改めたことに始まる。戦国時代には珍しい惣構えの広大かつ堅固な城であったという。その後村重は信長に対し謀反を起こし、信長の大軍に包囲されるも1年近く籠城で持ち堪えたが、最終的に村重は尼崎城へ逃亡、有岡城は開城し廃城となった。

arioka_cover<基本データ>
●名称: 有岡城(旧名:伊丹城)
●所在: 兵庫県伊丹市(マップ
●築城: 南北朝時代 / 天正年間
●築主: 伊丹氏 / 荒木村重
●遺構: 石垣、土塁 等
●関連: 伊丹市HP

2014大河ドラマ「軍師官兵衛」5/4放送の第18話にて、遂に信長を裏切り謀反を起こした摂津国主・荒木村重の居城として、有岡城が登場しました。
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<訪問記>

arioka01有岡城跡公園は、JR伊丹駅前にある。有岡城自体はかなり広く、阪急伊丹駅あたりまであったようだ。駅を出てすぐ目の前に石碑があるが、そのすぐ上の広場は説明板ぐらいしかなく、遺跡などは北隣にある模擬石垣の上にある。まずは広場を見てみよう。

arioka04伊丹駅目の前の広場。有岡城跡に関する説明板(写真左)があるだけで、あとは遺跡らしいものはない。城跡というよりも駅前広場。

arioka03有岡城跡に関する説明板。有岡城は主郭・城下町全体を堀や土塁でぐるっと囲む「惣構(総構)」と呼ばれる構造で、左の地図を見ると結構広かったようだ。城跡公園以外にも伊丹の街中には砦跡や堀跡が残るようなので、街をぐるっと回ってみる。ちなみに城下町を城壁等で囲む「そうがまえ」は昔から「惣構」と表記していたが、惣の字が常用漢字にないことから現代では「総構」と書かれることもある、とのことだ。

arioka02こちらの模擬石垣の上に、実際の有岡城跡の遺跡が残る。写真左端の石垣の切れ目から上にあがる。なお先ほどの広場の方は人がたくさんいたが、こちらの遺跡側にはほとんど人が居ない。

arioka05遺跡の入口には縦長の石碑が立つ。ここの石垣は、表面加工された切込み接ぎ・布積みであることからも分かる通り、村重時代の遺構ではない。

arioka06石段を上がって、模擬石垣の上へあがってみる。何かいろいろありそうだ。

arioka07まずは説明石板。駅前の説明板より少し詳細な説明がなされている。平成4年にそれまでの発掘調査の総まとめとしてここに遺跡公園を作り石碑を建てた。が、残念なことに余り人が来ないからか駅前広場の方にも平成20年に説明板を立てた、という感じか。

arioka08遺跡その1。礎石建物跡。等間隔に礎石が並ぶも、明らかに礎石ではない大理石のような石も混じっている(中央付近の青い石)ことから、模擬遺跡のような胡散臭さを感じてしまった。説明が何も無いので何の礎石かなど詳細不明。

arioka09遺跡その2。井戸跡。2箇所あった。丸い部分はどう見てもコンクリートのような。文字通りここに井戸の跡が発掘された、という解釈をすべきか。

よく分からないので帰ってから調べてみた。伊丹市HPを見ると「発掘調査で見つかった本丸に関係する礎石建物跡と二つの井戸跡を復元して位置を表示しています。」とあった。跡を復元して位置を表示、ということは、これらは遺跡自体ではないが、この位置(の真下)で発見されたという意味と解釈。つまり正確には「この地下でこんな感じの井戸跡の遺構を発見」。

arioka10遺跡その3。土塁。先述の伊丹市HPにも「本丸跡西側の土塁と自然石をそのまま積んだ野面積みの石垣が保存され」とあるので、土塁と石垣は当時のもののようだ。

arioka11遺跡その4。石垣。昭和51年の発掘調査の写真を見ると本当にここにこんな形で出たようなので、少しは積み直しただろうが、ほぼここに石垣があったことは間違いないようだ。

arioka12土塁の向こう側はロープが張ってあり立入禁止だったが、その前に石碑と説明板がある。「懐古園」と名付けられた石碑には、ここの土地の所有者が城跡が朽ちていくのを惜しみ修復しようとしたが果たせず亡くなったのでその未亡人が碑を建ててお祀りをした、とある。左の説明板は碑文の概要。明治34年とある。昭和50年から長期に渡り発掘調査を行い、小規模ながらもこうして遺跡公園になっていることを氏も喜んでいると思いたい。

arioka14もう1つ石碑が立つ。荒木村重と正室だし(たし)が詠み交わした歌が刻まれている。
だし「霜がれに 残りて我は 八重むぐら なにはのうらの そこのみくづに」
村重「思いきや あまのかけ橋 ふみならし なにはの花も 夢ならんとは」
何とこの歌、あの信長公記からの引用と石碑にある。探してみたところ、巻十二の中盤、天正7年11月に尼崎城にて荒木久左衛門の説得工作が始まった頃、警備が厳しくなった有岡城に残る村重の妻だしが、余りの物憂さに尼崎城に居る村重と歌を詠み交わしたとあった。警備の厳しい有岡城と尼崎城間でどうやって歌の詠み合いをしたかは不明。(信長公記 巻十二 PDF 22ページ参照)

JR伊丹駅前の遺跡はこの位しかない。続いて、伊丹の街に残る有岡城の痕跡を訪ねる。

arioka19伊丹駅の北西にある猪名野神社(いなのじんじゃ)。ここは当時 有岡城の北端で「岸の砦」があったという。

arioka20猪名野神社の御由緒書き。有岡城に関する記載は無し。

arioka21参道を歩いて行くと、途中に「有岡城 岸の砦跡」という説明板を発見。南北1.7km、東西800mという巨大な総構だったようだ。境内には土塁跡・堀跡が残されている、とある。

arioka22猪名野神社 拝殿。お参りして、遺跡探索をする。

arioka23伊丹市HPによると西側に土塁が残っているとあるので西側へ。確かに土塁と思しき盛土スペースがあった。土塁等に関する説明板等は無し。奥に見える石段は虎口か。

arioka24もう少し南へ。コンクリートで囲まれてはいるが、土塁ぽい。ちなみに境内の東側も土塁ぽい盛土があったが何かは不明。堀跡は見つけられず。すべての盛土が土塁に見えてくる。

arioka26社務所前には地元商店街のこんな旗がかかっていた(後ほど訪れた商店街にもたくさんあった)。恐らく来年のNHK大河ドラマに絡めた「いたみ官兵衛プロジェクト」なのに、その官兵衛を幽閉した荒木村重のゆるキャラを採用。

arioka27猪名野神社より南下すると、商店街の真ん中辺りに堀跡の説明板を発見。場所はここ(ストリートビューにもこの説明板が写っている)。このあたりは当時の城下町(町家)で、幅4m、深さ1.5mほどの堀跡が見つかったとか。

arioka28その堀跡の現状。埋め戻して開発され、全く面影なし。

arioka17こちらは現ニトリ前にある「伊丹郷町の大溝跡」説明板。伊丹郷町(いたみごうちょう)は江戸時代にこのあたりで栄えた酒造の街。その頃に酒蔵の排水を流す用途で用いられた溝跡だとか。復元ではなく再現。恐らく大溝は有岡城時代は堀であったと考えられる。

arioka16こちらがその再現大溝跡。並行する漆喰の塀も相まって良い雰囲気を醸し出している。

arioka18大溝跡の近くにあった伊丹郷町の看板。遺跡探索で商店街を歩いていると酒造会社などお酒関連の企業やお店が多く、街にとっては有岡城跡よりも伊丹郷町を推したいのかもしれない。

arioka29続いて有岡城総構の西端あたりにある墨染寺。ここは地図によると当時の上臈塚砦(じょうろうづか)にあたる場所であり、処刑された荒木一族の墓もあるという。

arioka30墨染寺。奥の階段を降りたところに墓地があったが、檀家の方の墓地のようだったので入りづらく、荒木一族の墓を見ることは断念。個人的に神社は入りやすいが寺は入りにくい。神社は日本人みんなのものだが、寺は信者・檀家のもの、という印象が有る。官兵衛ブームで訪問客も増えるだろうから、いっそ志方城跡の櫛橋家供養塔のごとく、ここがお墓ですという案内板を(期間限定で)立てても良いかもしれない。

arioka31最後に、いかにも荒木村重と関連がありそうな名前の「荒村寺」へ。JR伊丹駅のすぐ南にある。門が柵で封鎖されている。お呼びでないということか。

arioka32伊丹市による荒村寺の説明板。歴史的由緒があるので私のような訪問客もあるだろうから、せめて句碑だけでも自由に見せていただきたいなあ。ちなみにこの句「古城や茨くろなるきりぎりす」は商店街のあちこちで見かけた。伊丹を代表する句ということだろう。

arioka15商店街で見つけた荒村寺の句碑の句。古城とはもちろん有岡城跡。

arioka33荒村寺のすぐ北隣の丘の上には忠魂碑が建っていた。忠魂碑は明治以降にたくさん建てられた日清・日露戦争の戦死者供養の碑であり、戦後ひどいことにGHQが多く撤去したものの、こうして残っているものもある。乃木希典大将の書とのこと。

大河ドラマ官兵衛ブームのおかげで俄然注目が集まる有岡城跡。放映前に訪問したときはこんな感じだったが、放映中の2014年はいろいろ案内板等ができているかもしれない。分かりやすい遺構は少ないが、街の説明板もあちこちにあり、広大な有岡城惣構の規模感を歩いて体感するのも良い。姫路の大河ドラマ館で展示されている官兵衛幽閉の土牢ジオラマ、大河ドラマ館の営業が終わったら伊丹駅前の城跡公園にでも保存展示してはいかがだろうか。

訪問時期:2013年9月

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