淀城 : 京阪駅近くに巨大な石垣と水堀が残る徳川時代の城郭跡。

淀城は京都・桂川と宇治川の中州に建っていた山城国の近世城郭で、二代将軍秀忠の頃、一国一城令で廃城となった伏見城の石垣や、二条城の旧天守(二条城へは玉突きで伏見城の天守が移築)を利活用して築城されたと伝わる。江戸中期に稲葉氏が入部し、そのまま明治を迎えた。古絵図によると城があった当時は東西南北を川や池が取り囲む堅固さだったという。火災や幕末期の戦乱などで建物は失われた。ちなみに秀吉の側室「淀殿」の名前の由来となった「淀城」は別の城(こちらは淀古城と呼ばれ少し北の妙教寺に石碑がある)。

<基本データ>
●名称:淀城 (Wikipedia)
●所在:京都府京都市(マップ
●築城:1623年(元和9年)
●築主:松平定綱
●遺構:石垣、天守台、石垣
●関連:京都観光Navi


<訪問記>

yodo01-s京阪 淀駅の改札を出て南西へ200mほど行くと淀城跡の入口がある。城跡内には藩主稲葉氏を祀る稲葉神社がある。

また入口前は駐輪場となっているが、京阪高架下の新駐輪場完成の後に旧駐輪場を元の内堀に復元する計画がある。実物スケールの櫓などの話もあり、期待したい。

yodo02-s城内に入ると稲葉神社と稲葉氏、淀城との関係に関する説明板が立つ。今はほとんど埋め立てられているが、当時はまさに川の中に建つ城という感が強い。

yodo03-s「淀城之故址」、「淀小橋旧趾」、「唐人雁木旧趾」の石碑と説明板が並ぶ。この3つの石碑はすべて当初の設置場所から移設されており、淀城故址は與杼神社参道からの移設、淀小橋と唐人雁木は納所村(のそむら)からの移設とのこと(参考)。なお唐人雁木(とうじんがんぎ)とは江戸時代に大陸から来た使節用の船着場のこと。

yodo04-s奥は天守台跡で、目の前の石段は封鎖されているが別のところ(写真右奥)から一段のぼることができ、天守台の前までは行くことができる。

yodo05-s天守台前には淀城の由来に関する説明板が立つ。当時は8mもある巨大な水車が南西と北に2つ建っており、古絵図にも当時の城の雄姿が残っているが、1756年の雷火で焼失、昭和62年の発掘調査で四隅に櫓を持つ構造が確認された、とのこと。

yodo06-s天守台向かって右奥の石段から、本丸周囲の石垣塀の上にあがることができる。

yodo07-s石垣塀の上から天守台を眺む。なお本丸内は写真のようにブランコや滑り台などの遊具が設置された公園となっている。

yodo08-sさっそく天守台の方へ進んでみる。

yodo09-s天守台。打込み接ぎの美しい石垣。文献によると、当時この上には二条城の旧天守が移築されたが、天守台に比べ旧天守が小ぶりだったため、天守台の四隅に小さな櫓を建てそれらを多聞櫓で繋ぎ、その中央に天守を載せるという独特の構造になっていたという。復元の際はぜひこの淀城独特の姿を模していただきたい。

yodo10-s淀城の天守台は中央が穴蔵になっておりいわゆる地階が存在した構造だったようだ。が、残念なことに天守台内部への入口はこの通り固く閉ざされており入る事はできない(埋蔵文化財包蔵地につき立入禁止、とのこと)。

yodo11-s天守台横には「絶対に入るな」という看板も立つ。ここを訪れた全国の城郭ファンはこの看板に打ちひしがれたことだろう。

yodo12-s門の隙間から天守台の内部を垣間見る。中央穴蔵までの間にある右側の小さな道は、航空写真を見ると、この先に天守台の上にあがる石段があるようだ(参考)。

yodo17-s天守台石垣を、南面石垣塀の上から眺む。向こう側に見える京阪の高架下あたりから見るとよく見えそうだが、訪問時(2013年8月)は駐輪場建設工事のため立入禁止だった。

yodo13-s天守台から西側へ進み、南側の石垣塀の上へ。南西角の櫓跡まで歩いていくことができそうだ。

yodo14-s途中、淀城の三等三角点を発見。南側の石垣の中央付近に設置されている。ちなみにこれは説明板で、三角点そのものは左心には写っていないが説明板と奥の白い棒(「大切にしましょう三角点 国土地理院」と書いてある)の中央より少し手前あたりにある、15cm四方で中央に「+」が刻印されている柱石。

yodo15-s南西櫓跡。木のベンチが設置してある以外は特に何も無い・・・ように見えるが、奥にある石に近づいてみると。↓

yodo16-s何気なく置いてある石をよく見ると「田」の刻印が。刻印石(この石を削りだした大名家を示す記号が刻まれた石)だ。「田」のマークは細川家とも言われている。淀城は廃城となった伏見城から石垣を持ってきたと言われているため、これも元々は伏見城の石垣か。公園整備時はこのあたりの説明板も欲しいところ。

yodo19-s隅櫓を下から見る。

yodo18-s本丸内部は公園になっており、このように結構広い本丸敷地内には遊具や休憩所(写真左奥)などが設置されている。

yodo20-s本丸の西側奥には「淀城址」の石碑が建つ。左横に刻まれている「子爵 稲葉正凱」は、18世紀から幕末まで淀藩主を務めた稲葉氏の子孫(最後の藩主・12代稲葉正邦の孫)。

yodo21-s本丸跡の北西角にも櫓台跡があり、こちらも登ることが出来る。

yodo22-s櫓跡には「明治天皇御駐蹕之址」が建つ。裏側の記載によると、慶応4年(1868年)3月の明治天皇大阪行幸の際に淀城にて一泊された事実があり、昭和3年の昭和天皇御即位の大礼に際して史実の記録・後世への伝達のため建立、とある。

yodo23-s櫓跡より西側の堀を眺む。

yodo24-s北東の櫓台の奥にも入口があり、北東側からも城跡公園へ入ることが出来る。淀古城跡(妙教寺)へ行くにはここから出ると便利。

yodo25-s北西端から見た淀城西側の石垣。石の隙間から大量の木が生えていて見えなくなっているので、公園整備の際はこのあたりも綺麗にしていただきたい。看板によると、ここのハスは廃城後の明治18年に植えられたとのこと(全国花はすの会で「淀姫」と命名)。

yodo26-s明治になって桂川の河原付近から淀城址に移築された與杼神社(よどじんじゃ)。写真の鳥居は城址北東端にある。築1100年ほどの由緒ある神社。

yodo27-s與杼(よど)神社の説明板。本殿は昭和50年に未成年の花火で焼失(何てこと!)してしまったそうだが、拝殿は江戸初期の1607年建造で国の重文とのこと。

阪急の駅前に巨大石垣や水堀がそっくり残る「淀城跡」。アクセスも良く手軽なので近くに寄られた際は是非。

訪問時期:2013年8月
撮影機器:SONY NEX-C3
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