高槻城 : キリシタン大名・高山右近の城。

キリシタン大名・高山右近が一時期城主を務めたことで有名な高槻城は、摂津国における西国街道沿いの重要拠点だったこともあり、戦国を経て江戸幕府においても改修され、3層の天守を持つ広大な城郭であった。しかし明治の破却後は櫓や石垣などが鉄道建築の資材として利活用され、当時の遺構はほとんど残っていない。

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<基本データ>
●名称: 高槻城(Wikipedia
●所在: 大阪府高槻市(マップ
●築城: 10世紀頃 / 16世紀
●城主: 近藤忠範 / 高山右近
●遺構: 石垣、曲輪、堀跡
●関連: 高槻市立しろあと歴史館


<訪問記>

takatsuki01s高槻城址は城跡公園として整備されている。遺構は発掘調査により出土した少量の石垣などを除いてほとんど残っていないが、城跡公園らしく復興石垣などが設置されている。

takatsuki02s城跡公園入ってすぐにある、高槻城跡の石碑。変わった形をしている。上部中央には、南北朝時代の築城であること、高山右近が有名な城主であること、藤井竹外などの有名文化人がいたこと、城の石は鉄道敷設に役立てられたことなどが刻まれている。

takatsuki03s16世紀に高槻城主を務めたキリシタン大名・高山右近の立像。同型の像は右近に縁のあるマニラや金沢など計4箇所に存在するという(しろあと歴史館ボランティアさんの話より)。

→ 晩年に高山右近が縄張りを担当した越中國 高岡城にも同じ銅像がありました。コチラ

takatsuki04s立像横の高山右近に関する説明板。キリシタン大名として有名な右近は領内へキリスト教の伝導に努めるが、秀吉によるバテレン追放令により国外追放となり、追放先のマニラで亡くなった。

takatsuki05s城跡公園内には池と復興された天守台(説明板などは無し)があり、自由に散策できる。

takatsuki06s天守台を別角度から。写真のちょうど反対側から天守台の上に渡ることができる。なお実際に当時天守があったのはこの場所ではなく現高校の敷地内とのこと。

takatsuki07sその他、城跡公園の奥には日本庭園的な空間がある。

takatsuki08s公園の入口手前に立つ高槻城に関する説明板。

takatsuki09s説明板横の「高槻城跡」石碑。石碑に関する説明がないため、公園内部にある別の石碑との関係などは不明。

takatsuki10s更にその奥には、発掘調査で掘り出された石垣石がいくつか残る。ほとんどの石垣石は鉄道敷設で利活用されてしまったが、僅かとはいえ調査で出てきた当時の石をちゃんと展示?してくれているのはありがたい。

takatsuki11s石垣石に関する説明プレート。非常にわかりづらいが、石垣石の手前の足元に埋めてある。現・高等学校の敷地内の発掘調査で、これらの石垣基礎が発見されたという。石垣基礎の構造に関する詳細は、しろあと歴史館にて。

takatsuki12s城跡公園横の高校グラウンドは、戦時中は陸軍工兵第四聯隊の駐屯地だったとのことで、記念碑が立っている。当時のものと思われる門が記念碑奥にある。

takatsuki13s現存する陸軍工兵第四聯隊の門。右側には守衛ブースのようなものもある。

takatsuki14s説明板によると、これは大日本帝国陸軍工兵第四聯隊(中部第29部隊)の営門であり、戦争を忘れないための歴史モニュメントとして保存されているとのこと。

takatsuki15s公園の東側には数少ない高槻城遺構の1つである外堀の段差が残る。この説明プレートが無いと気づきにくいが、確かに急に現れる長い段差は人工的な盛土だ。

takatsuki16sここが今に残る外堀の段差。

takatsuki_minzoku01s公園南側には、阪急高架化工事の際に高槻市駅前付近から移築されたという民家を利用した歴史民俗資料館がある。入場無料。

takatsuki_minzoku02s民俗資料館の説明板。江戸時代中期に建築された民家とのこと。

takatsuki_minzoku03s民俗資料館内部。畳の間にもあがることができる。元の民家は米問屋を営んでいたとのことで、写真手前にはソロバンや金庫などが並ぶ商売用カウンタースペースがある。

takatsuki_rekishi01s城跡公園の北側には「しろあと歴史館」がある。ブログの掲載順とは逆に、城跡を訪ねる前に歴史館を見ると背景が分かって面白い。展示だけでなくボランティアの方の説明もあり。入場無料(イベント開催時除く)。

takatsuki_rekishi02sしろあと歴史館前の高槻城跡 説明板。二重の堀を構える結構大きな城郭だったようだが、残念ながらほとんど遺構は残っていない。

takatsuki_rekishi03s↑の足元にある説明プレート。道路上に残る高槻城の堀跡・・・とのことだが、公園東側に見られたような盛土も無く、ほとんど分からないのが正直なところ。でも所々にこうして説明プレートを立ててくれているのはありがたい。

takatsuki_rekishi04sしろあと歴史館へ。写真は2Fから見た全体像。石垣のようなところから展示スペースに入る事ができる。ちなみに2Fはパネル展示。

takatsuki_rekishi05s模擬石垣は石ではないが、右下の3つのみ実際に発掘された石垣石とのこと。石を割るときに開けるミシン目のような「矢穴」跡が見える。模擬石垣の下には、高校敷地内の発掘調査により判明した、軟弱な地層の上に石垣を組むために胴木や丸太を組み小さな栗石を敷いた構造が再現されている。

takatsuki_rekishi06s高槻城の歴史パネル。有名な高山右近の時代(戦国時代)よりも、その後の江戸時代においてより強固な堀と城下町が形成されていったことがわかる。また当時は櫓なども多数あったようだ。

takatsuki_rekishi07s在りし日の高槻城 復元模型。現在地(しろあと歴史館)は、外堀の上。

takatsuki_rekishi08s発掘された鯱瓦。どこについていたものか、詳細不明。

takatsuki_rekishi09s各時代ごとの詳細な説明板。これらを読むだけでも面白い。

takatsuki_rekishi10s高槻城の鳥瞰図。描かれた時代は不詳とのことだが、図中で二の丸・三の丸まで総石垣になっているのは事実と異なる。橋のかかる北大手門は、現在は交差点になっている(北大手交差点)。

takatsuki_rekishi11s当時の高槻城詳細マップ。描かれている御殿・天守・門・櫓・堀の類はほぼ残っていないが、図にある「八幡宮」や「野見神社」、北部の本行寺などは現存する。

takatsuki_rekishi13s江戸時代に使われていたという火縄銃やその銃弾なども展示されている。写真下の白地に黒丸の紙は当時の銃撃練習の的で、左側にあるのはその成績表とのこと(●:当たり、□:白い部分に当たり、−:ハズレ)。

takatsuki_rekishi14s鎌倉時代の刀工「了戒」作と言われる日本刀。手前の書類は当時(江戸時代)の刀剣鑑定書?

takatsuki_rekishi15s江戸時代のものと思われる兜も展示。

takatsuki_rekishi16sしろあと歴史館の建物前には、中学校体育館の新築工事の際の発掘調査で出てきた枡形門の石垣石が置かれている。説明板によると、東側内堀跡から出てきたため、明治の破却時に堀底に落ちたのでないかとのこと。石に残る矢穴跡から、江戸時代初期に切り出された石らしい。

takatsuki_rekishi18s更にその向かいには高槻市商工会議所があり、そこはかつて高山右近が設立した天守教会堂があった場所として記念碑が建てられている。

訪問時期:2013年8月
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