明石城 : 山陽道沿いに西国の押さえとして築かれた総石垣の城。

明石城(あかしじょう)はJR明石駅前の明石公園内に櫓2基が現存する平山城で、大阪夏の陣の後に西日本地方の抑えとして徳川秀忠2代将軍により譜代大名・小笠原家に命じられ築城された。天守台はあるが天守は建築されず、現存2櫓以外の建物は廃城後に取り壊しや近隣の建物に流用等され残っていない。

<基本データ>
●名称:明石城(Wikipedia
●所在:兵庫県明石市(マップ
●築城:1618年(元和4年)
●築主:小笠原忠真
●遺構:現存櫓2棟、天守台、石垣、曲輪
●情報:日本百名城 No.58 (一覧)

訪問時期:2013年7月


<訪問記>

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明石城址はJR明石駅ホームからもよく見える。明石駅は新快速・快速・普通のすべてが停車するため、停車時にゆっくりと見ることが出来る。

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駅ビルを北側に出ると、美しい堀が目前に現れる。堀の向こう側が明石公園になっており、城址はその公園の一部を形成している。堀の中には写真のように噴水も設けられるなど美しく整備されている。

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堀の端は緑に覆われているが、橋の両側のみ石垣を垣間見ることが出来る。白鳥もいた。

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明石公園の入口は堀を渡る橋。橋の向こうはS字に曲がる大手虎口。

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折れ曲がった大手虎口を進み公園内へ。石垣は江戸初期の造りらしい打込ハギ。

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入口横には中部幾次郎(なかべいくじろう)という人の銅像が建っている。説明板によると、マルハニチロの前身となる漁業・水産加工会社を設立し明石の発展に寄与した人物とのこと。

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明石公園マップ。敷地はかなり広く、城址だけでなく野球場や陸上競技場、ボートに乗れる池まである。訪問前にルートを確認しておこう。

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大手虎口を抜けると芝生公園の向こうに2基の立派な櫓が見える。それぞれの方角を取って「巽櫓(たつみやぐら)」「坤櫓(ひつじさるやぐら)」と呼ばれる。巽=辰巳=南東、坤=未申=南西。正面が北なので、右側が南東の巽櫓、左側が南西の坤櫓であることが分かる。よく見ると90度お互いが違う方向を向けて建てられていることも分かる!いずれの櫓も国重要文化財。

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芝生公園の横には「武蔵の庭園」という日本庭園がある。説明板によると、あの剣豪・宮本武蔵が藩主小笠原家の客人だった頃、城内に「樹木屋敷」と呼ばれる庭園を造ったらしく、それを様々な資料等から復興したものとのこと(当時の庭園はここではなく現在の陸上競技場付近にあった)。ちなみに武蔵は庭園だけでなく明石城下町の都市計画を行ったという記録も残っている。

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「武蔵の庭園」説明板。宮本武蔵というと巌流島の戦いを代表とした剣豪というイメージが強いが、実は水墨画を描いたり、都市計画を行うなど、文化人としての能力もあったようだ。

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「武蔵の庭園」内部。入場無料。

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城址の手前にある日時計。中央部が兜の形をしている。明石城とはあまり関係なく、明石市内を日本標準時子午線が通ることから設置されている模様。なお、ここだけでなく市内のあちこちに日時計が設置されているらしい。

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では山上に残る城跡へ向かってみよう。緩やかな石段を登る。この石段の幅(微妙に広くて歩きにくい)は籠(かご)の幅に合わせてあるとのこと。

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美しく高く積み上げられた石垣がそびえ立つ。熊本城を思わせる勾配が美しい。隅部は江戸期の建物らしく算木積み、通常部は打込ハギだろうか。

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明石城8代城主・松平直明公 遺愛の井戸跡。明石城内で最も良い水が出る井戸として親しまれてきたとのこと。明石城は交通の要所・西国(外様)大名の押さえとして譜代大名が代々城主を務めており、小笠原氏・松平氏・本多氏などが名を連ねる。

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石垣に沿って一旦 東の丸の一番奥まで進み、そこから城内へ。東の丸→二の丸→本丸というルートで進む。

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東の丸。屋敷などが建っていたようだが、現在はこのとおり樹木の生い茂る公園。

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二の丸。ここも同じく樹木生い茂る公園と化している。

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なお東の丸を経由しなくても、下の芝生公園から直接 巽櫓の真横までこの道を通じて上がってくることは可能。普通の観光客はこちらのルートか。石垣が見たい人は東の丸ルートを推奨。

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本丸に入るといよいよ櫓へ。東側の櫓は「巽櫓(たつみやぐら)」。3層構造で、昭和の改修工事の際の調査により、明石城建設当時に新築されたことが判明した。第1層は時期により開放されており中に入ることが出来る。

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・・・と思ったら公開中止期間で入れず(訪問時は7月)。夏場はかなり暑くて入ったらサウナになっていそうな気もする。何故か冬もダメ。櫓に入りたい人は、春(3〜5月)か秋(9〜11月)の雨が降っていない土日祝に来る必要がある。なかなか「難攻不落」だ。

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巽櫓(東側)と坤櫓(西側)を繋ぐ塀。平成の修復工事で復元されたものとのこと。塀の内側には写真にように木製の台が設置されており、塀越しに明石の街を見下ろす事ができる。

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塀から東南方面(巽櫓方面)を見ると、遥か彼方に明石海峡大橋を見ることが出来る!橋はライトアップされるので夜はさぞかし綺麗だろう。

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こちらは西側の坤櫓(ひつじさるやぐら)。パンフによると、天守が造られなかった明石城において天守代わりとなった建物だとのこと。なお昭和の大改修工事での調査により他城から移築された跡が発掘されたとのことで、1619年に一国一城令により廃城となった伏見城から移築した可能性が濃厚という。

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本丸内には「人丸塚」と呼ばれる場所がある。看板の説明によると、812年にあの弘法大師 空海がここに寺を建て、歌人 柿本人麻呂公を祀り、明石築城後は城の守り神として祀られてきたとのこと。

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坤櫓の北側には小さな階段があり、ここから旧天守台へ行くことができる。看板などなく見逃しがちなので注意。ちなみに明石城においても天守台だけは造られたが天守はあげられなかった、江戸期によくあるパターン。

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天守台。明石の城下町を一望できる。

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天守台より坤櫓を見下ろすの図。天守は無くとも堂々たる「御三階櫓」があるので、確かにこれで十分だと思う。白漆喰の壁に各フロア各面に千鳥破風(△)や唐破風が飾り付けられた美麗櫓だ。

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本丸跡。特に建物の痕跡等は残っていないが、ここに藩主の居館である御殿が建っていた。失火で焼亡。

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本丸から北側へ抜ける通路。この先には、桜堀、剛の池、稲荷曲輪などがある。

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猫様がお住まいの様子。

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剛の池。アヒルボートで池内を散策することもできる。明石城にとっては北側を守る自然の要害。

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桜堀。パンフによると春は桜と野鳥で絶好の観光スポット、とのこと。

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稲荷曲輪へ続く道。木々が覆い茂る公園となっている。稲荷曲輪ということは以前はここに神社など信仰の対象となるものがあったと思われるが、現地に説明板等は特になし。

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稲荷曲輪 中央部。

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稲荷曲輪 南端部。建物跡のような礎石が並ぶものの詳細は不明。

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稲荷曲輪から見上げる天守台の石垣。かなり高くまで積み上げられている。

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稲荷曲輪から芝生公園側へ抜ける坂虎口。

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坂虎口から見上げる坤櫓。上から見ても下から見ても、これが天守代わりとなったのも頷ける堂々たる御三階櫓。

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坂虎口。ここから攻め入ると四方八方から弓や鉄砲で攻撃される!西の守りということで姫路城同様に美麗ながらもしっかりと守りの普請が行われていた。

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虎口下より坤櫓を見上げる。

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稲荷曲輪の石垣。少し広いが犬走り的なスペースが設けられている。

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芝生公園北端にある、阪神・淡路大震災の犠牲者を追悼する石碑。まさにここは震源地のすぐ北(震源地は淡路島北端)で、激震のあまり明石城址の石垣や櫓の壁も崩壊した(すべて復元済み)。大地震の経験と防災のノウハウは受け継いでいかなければならない。

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再び芝生公園より、東側の巽櫓を見上げる。

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同じく、芝生公園より西側の坤櫓を見上げる。両櫓の構造は異なり、第2層と第3層の唐破風(からはふ、「{」を90度右に倒した形の屋根造形)と千鳥破風(ちどりはふ、▲の屋根造形)の位置が違う。

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建造物は櫓2基しか残っていないとはいえ、石垣や三の丸、堀までじっくり見ようとすると1時間以上かかるため時間に余裕をもって訪問しよう。櫓の中を見学したいなら春か秋の土日祝の雨じゃない日に。

訪問時期:2013年7月
撮影機器:SONY NEX-C3
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